ヌマンタの書斎

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ザビエルの謎 古川 薫

2017-04-11 13:15:00 | 

日本って、幸運だったのだと思うことがある。

イエズス会の宣教師であるフランシスコ・ザビエルが日本に来たのは戦国時代であった。これを幸運と云わずしてなんと言おうか。当時の日本は下剋上が当たり前の実力社会であった。

それゆえ、各地の小領主といえども、その政治的なセンスは戦乱に鍛えられたものであるから、平和ボケした現代日本の政治家とは雲泥の差である。彼らは、最初はキリスト教に対して様子見であったが、その本性を見抜くのは速かった。

イエズス会は、ヨーロッパを大混乱と戦乱をもたらした宗教改革に対する既成勢力の反撃の烽火として立ち上がった反宗教改革集団である。もちろん目的は伝統的なキリスト教の復興であり普及である。

それゆえに、強固な信念の下に、未だキリスト教が普及していない未開の地に赴いて、そこで布教活動をする尖兵として、ザビエルは遠い異国の地を訪れている。

そして、それは西欧による植民地化の第一歩であることは、歴史が証明している。キリスト教の布教と、戦乱を勝ち抜いて、更なる発展を望む西欧の君主たちの欲望のコラボレーションでもある。

だが、アジアの強固な伝統社会がキリスト教の野望の前に屈することはなかった。もっとも、それは始まりに過ぎず、現地で拒絶され迫害されたキリスト教関係者の救助を名目に、西欧各国は武力で侵攻して支配地を増やした。

この宗教と政治の野心のコラボレーションに屈しなかったのは、シナとタイ、そして日本である。シナは巨大すぎたし、タイと日本は尚武の国であったことが幸いした。戦国時代末期の日本は、キリスト教を尖兵とした西欧の侵略を撥ねつけた。

でも、決して日本は自らの努力だけで、この侵略を撥ねつけることが出来たのではないと思う。そこには西欧側の失策もあったと私は考えている。

興味深いのはザビエルで、この人は西欧から遠く離れた僻地である極東において、精力的な布教活動をするにあたり、非常に慎重であった。日本をいったん離れて、シナでの布教を目指す中途で死んでいるのだが、どうも謀殺の匂いが漂う。

もしザビエルが生きていたのなら、日本におけるキリシタン弾圧はなかったかもしれない。そのくらい慎重な策士であったザビエルだが、それゆえに性急に結果を求める同胞から厭われたようなのだ。

ザビエルの後任の宣教師たちは、大砲などを搭載した船を、秀吉らに見せつけて力を誇示してしまった。これは布教を優位に進めるためであったと思われるが、過酷な戦場を生き抜いた秀吉の警戒感を呼び起こし、結果的にキリシタン弾圧となった。

ザビエルだったら、こんな拙速な真似はしなかったではないか。私にはそう思えてならない。結果的に、キリスト教は自らの稚拙、性急な布教拡大策をとって自滅した。やはり日本は幸運であったと思うのです。

コメント (2)
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