今さらではあるが、人間の想像力って凄いと思う。
表題の映画の原作である、士郎正宗の「攻殻機動隊」が書かれたのは、1988年である。まだインターネットは始まっておらず、日本では銀行が第三次オンラインを構築し終えた頃である。
知らなければ、インターネットが世に出てから描かれた作品だと思い込むこと請け合いだ。如何に、この作品が先駆的であったかが良く分かる。実際、士郎正宗は、日本ではSFファン限定なところがあるが、初期の「アップルシード」の頃から、欧米で評価の高い漫画家であった。
いささか不幸なことに、士郎の絵柄は明らかに大友克洋の影響が強く、その亜流と見做されることも多かった。今だから分かるが、明らかに方向性が異なるし、細緻な手書きが売りの大友とは異なり、初期の頃からMacを駆使したコンピューター・グラフィックの使い手でもあった。
その才能が開花したのは、やはり「攻殻機動隊」であった。この作品はヤングマガジン誌に連載されただけでなく、アニメ化されTV放送された。これは大人の鑑賞に堪えうる質の高いアニメであった。その後、映画化もされ、もはやSFファン限定の人気ではなく、一般的なファンも獲得したことが証明された。
元々、世界のSFファンの間では評価が高かったのだが、遂にはハリウッドの眼にとまり、実写化されたのが表題の作品である。原作とはかなり異なるストーリーなので戸惑ったが、分かり易くなってはいる。
でも、出来たら原作に合わせて欲しかった。特に草薙素子の生い立ちに触れるなら、原作と違い過ぎるのが最大の難点。バトーとの邂逅も、原作のほうが私は好きです。
文句ばかり言ってますが、上映中はけっこう楽しんでいました。やはり最新の画像技術を駆使した映像は見応えあります。原作のファンなら、観ても損はないでしょう。
ところで、話題はそれますが、果たして人間の思考は、電気信号だけで構成されるのか、私は疑問に思っています。この作品では、人間の脳の電脳化と、その電脳のネットワークが実現した未来の社会が舞台となっています。
しかし、人間の思考は、果たして電気信号の組み合わせだけではないだろうと思うのです。そこには微量ながらホルモン物質などが介在しているはずで、私たちの技術で感知できない、なにかの媒介物質もあるように思う。
何故かというと、もし電気信号だけで思考が構成されるなら、これほどまでに人は悩み、苦しみ、妄想し、それが行動に出てしまうなんておかしいと思うから。人間の思考は、必ずしも論理的でなく、むしろ情動に流され、感情の揺らぎに左右される。
電気信号ならば、二進法で表現できる。でも、人間の思考は、矛盾だらけで虚数と真数の組み合わせでも表現しきれないように思えるのです。思考だけでなく、感情や直観など、まだまだ解明されていないのが、現在の人類の科学の実情だと思います。
そう考えると、電脳ネットワークの構築なんて、まだまだ相当な未来でないと無理ではないかと悲観的になります。また、電脳ネットワークが実現したとしても、それが人を幸福にするのかも、私には疑わしく思えてならないのですがね。