ヌマンタの書斎

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プロレスってさ ダイナマイト・キッドの死

2019-01-10 16:14:00 | スポーツ

昨年、一番ショックだったプロレス関係のニュースが、ダイナマイト・キッド(Thomas Billington)の死去であった。

96年に引退し、痛めた脊椎のために車椅子生活を送っていることは知っていた。過度な筋肉増強剤の使用と、アルコールの過剰摂取などで身体に重大な障害が生じているそうなので、辛い晩年であったと思う。

でも、私はこの人の笑顔を見たのは、車椅子姿になってからであった。プロレスラーとしてリングに上がっている頃は、絶対に笑顔をみせない男であった。

少し不機嫌そうな表情を崩さない無愛想な男であった。でも、それが格好良かった。苦しそうな顔もみせない男であった。そして、なによりも、その戦い方に華があった。イギリス伝統のレスリング・スタイルではあったが、この人の本質は街の不良少年であった。それも硬派の不良であった。

プロレスラーとしては小柄な部類であったが、長身、巨体ぞろいのプロレスラーの中にあっても、決して埋もれない存在感があった。小さいからといって、甘く見られる事はなかったと思う。

それは彼が天性の喧嘩上手であり、鼻っ柱の強さ、腹の坐った度胸、引くことを知らない無鉄砲ぶりが、分る人には分かるからであった。

正直、男として憧れました。いや、私のような素人だけでなく、同業のプロレスラー、世界中のプロレス・ファンからも憧れられる存在でした。ただ、30代を過ぎて、アメリカはNYを主戦場にしたことが、今にして思うと悪かった。

イギリスからカナダのカルガリーへ主戦場を移した頃は、そのファイト・スタイルはレスリングが主体であり、喧嘩ファイトも辞さないファイターであった。日本へも良く遠征に来ていたが、格闘技志向の強い日本のプロレスでも、彼の基礎のしっかりしたレスリングと、根性溢れるファイトぶりは高い評価を得ていた。

1980年代、新日本プロレスにおいてタイガーマスク(佐山)が大人気を博したが、そのデビュー戦の相手を務めたのが、ダイナマイト・キッドであった。外人レスラーとしては非常に受けが上手く、タイガーマスクのアクロバティックな技にも十分対応できるキッドは、その後もタイガーマスクのライバルとして重要な役割を果たしていた。

だが、新日本プロレスで仕事をしたことが、NYを本拠地とするWWFに移籍する契機となった。ここでは、技の切れよりも、映像的な迫力が求められる。それ故に、キッドは筋肉増強剤(ステロイド)を多量に服用して、身体を大きく見せることに力を注いだ。

単なる筋肉馬鹿の大男は数多いるが、キッドのように相手の技を受けて、試合を盛り上げる技量のあるプロレスラーは、そうそう多くない。小柄であっても、筋金入りのキッドの実力は、NYのMSGでの試合には欠かせない戦力であった。

それゆえに、キッドは相当な高収入と人気を得たのだが、過剰な薬物は確実に彼の身体を蝕んでいた。ただでさえ、根性あふれる全力ファイトを信条とするキッドだけに、その試合は常に危険と背中合わせであった。

だから脊椎を傷めて引退に追いやられたことは、ある意味必然でもあった。あの小柄な体を、過剰な薬物で大きくして、危険溢れる試合をこなしていたのだから、予想された悲劇であった。彼の引退を惜しんだプロレス・ファンは、NYに行きさえしなければ、60ちかくまでプロレスラーでいられたはずだと慨嘆を禁じ得なかった。

プロレスを引退し、車椅子生活となって、キッドはようやく平静な暮らしを持てるようになったらしい。現役時代には決して見せなかった気さくな笑顔がそこにあったことは、必ずしも不幸な引退とはいえないかもしれない。

しかし、あれだけの選手が車椅子で不自由な暮らしを強いられるのだから、きっと表に出ない苦悩はあったのだろうと思う。でも、キッドはその半生を綴った自書においても、愚痴をこぼすことはなかった。

笑顔をみせなかったプロレス時代と同様に、車椅子生活に苦悩の表情をみせることもしなかった。私はそれの姿勢を尊敬はするが、同時に哀しさを感じてしまった。依怙地なまでに己の信念に忠実な男、それがダイナマイト・キッドであった。

謹んでお冥福をお祈りしたいと思います。

コメント (2)
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