まだホラー小説が、日本では怪談物だとくくられていたのは、そう古いことではない。
私が十代の頃は、ホラー小説はSF小説同様、日本の文壇での評価は低く日陰者扱いであった。そんな時期に、早川書房はモダンホラー・セレクションと題して、大々的にホラー小説を次々と刊行させた。
今でこそ、私は「憎きハヤカワめ!」と憤懣やるかたないのだが、あの頃の早川書房には娯楽小説としてのSFやホラーを古色蒼然たる日本の文壇界に突き付ける気概があった。
戦争の悲惨さを嘆くか、男女の別れをメソメソ描くことが純文学だと思っていた日本の文壇に対する切り込み役として、早川書房には確かに熱き情熱がたぎっていたと私は信じていた。
だが市場経済では、売れることが勝利であり、売れなければ敗北である。1980年代までではホラー小説は市場経済における敗者の地位に甘んじていた。早川書房のモダンホラー・セレクションも思ったほどに売れずに終わった。
ここで早川の悪い癖が出た。売れずに終わった本を廃版にしてしまい、倉庫の奥に眠らせてしまった。
私見だがホラー小説の売り込みは、必ずしも失敗ではなかった。スティーブン・キングやクーンツ、マキャモンといった欧米の大家が一部の読書家に知られるようになった。
特にキングは作品の映画化に恵まれており、ホラー小説の普及に大きく貢献した。だが本当の意味でホラー小説を広める契機となったのは、コンピューターゲームとゾンビ映画である。
日本のカプコンが製作したゲーム「バイオ・ハザード」は、ハリウッドで映画化されて世界的大ヒットになった。また低予算で作成されたB級映画であったはずの「ゾンビ」は、その後「バタリアン」を始めとして柳の下のドジョウが次々とヒットしてしまった。
私に言わせれば、これらのゾンビ映画は映像的なおぞましさを前面に出しただけに過ぎないと思う。でも、皮肉なことに、これらのゾンビ映画が本来のホラー小説の面白さを再確認する契機となった。
人の心の触れて欲しくない部分に、冷たい息吹を吹きかけるホラー小説の本当の面白さが、ここにきてようやく再認識されたと私は思っている。
だからこそ、早川書房が絶版にしてしまった大量のホラー小説が残念で仕方ない。
表題の作品は、密かに人類を捕食して生きながらえてきた狼男たちの存在に気が付いてしまった人々の恐怖心が分かるなかなかの良作です。ホラー小説はホラー映画には勝てないとマキャモンは嘆きました。でも、よくあるホラー映画のように、怪物が人間を襲う映像的な恐怖ではなく、人を食う怪物が長年人間社会に潜んでいたことを知ってしまう恐怖だからこそ、この作品は小説でも面白い。
でも絶版作品なので、図書館で探すか、古本屋で探すかしないと読めないことが、私は悔しくてならない。出版社が自らの意志で絶版した作品は、一定期間、たとえば30年たったらその出版の権利を自由化させるよう、法改正をして欲しいものです。これ、本当に面白いホラーですよ。まったく早川は・・・