戦後の日本特有の怪現象の一つは、軍事よりも経済を優先することである。
表題の作品は、200海里漁業規制が厳しくなってきた昭和60年の4月、流氷漂うオホーツク海で遭難した第71日東丸の事故と、その生存者たちを取材した力作である。
絶望的な状況から生還した生存者たちのドラマは、当然に胸を打つが、私は腹の底にどんよりとした怒りが湧いてくるのを自覚していた。
この海難事故は、船長らの操船ミスとして法的に片づけられている。しかし、著者の推測では、当時オホーツク海を潜航していた旧ソ連の原潜が、日東丸の曳航する底引き網に引っかかり、船は海底に引きづりこまれた可能性が高い。
実はこの海域はソ連とアメリカが激しく相対立する冷戦の海でもあった。判明しているだけでも、当時6隻の潜水艦がその海域で活動していたとされる。もちろんソ連は否定しているし、海上自衛隊も公式には否定している。
しかし、海難事故当時の天候は凪であり、通常の底引き漁中であった日東丸が操船ミスで沈むことは考えにくい。それゆえこの事故に強い関心を持ったNHKの記者や、軍事評論家の小川氏は通称赤いクジラの呼ばれたソ連の原潜が事故の原因だと考えているようだ。
オフレコではあるが、自衛隊の退職した某幹部や米軍の在日基地勤務の情報関係者は、この事故はやはり赤いクジラの仕業だと漏らしている。この事件は当時、国会でも話題になったのだが、当時の日ソ漁業交渉を円滑に進めるため、与野党一致して口を封じてしまった観が強い。
北洋漁業で獲れたスケソウダラやカレイが日本人の食卓に並んできたことを考えれば、漁業交渉を優先する政治判断を間違っていると断じるほどには私は幼稚な判断は出来ない。
しかし、同じ船に乗りながら生き残った3名と、亡くなった16名にとっては割り切れぬ思いは当然だと思う。事実、生き残った3名の口は重く、稚内から離れ、漁業からも身を引いてしまっている。
操船ミスが沈没の原因とされてしまった船長や漁労長の遺族が被った精神的な被害も、決して無視して良い物ではあるまい。
その一方で、冷戦の熾烈な戦場でもあったオホーツク海での漁業であったことへの疑問も、私には拭いきれない。喩えて言えば、実弾を装填して相互に構え合う緊迫した戦場で、中立面してノホホンと農作業をしているようなものだ。
ある意味、撃たれても仕方ない状況ではないかと思う。にもかかわらず、日本政府の対応は鈍い。長年北洋漁業で生活を支えてきた北国の漁師たちや漁業会社、食品化工会社に対する行政上の対応も後手後手であり、漁業関係者が憤るのも無理ないと思う。
戦後の日本は平和であったと思い込むのは、私に言わせれば欺瞞に近い。戦争という現実から目を背けて、偽りの平和の中で起きてしまった不幸な海難事故の犠牲者は、ある意味冷戦という戦争の犠牲者でもあるはずです。
それを操船ミスとして処理してしまう日本社会の欺瞞に、私は怒りを禁じ得ません。もう既に忘れ去られた事件ではありますが、この事件を誤魔化して処理した日本の厭らしさは、今も活きていると思います。是非、ご一読のほどを。