前座の力道山と呼ばれたのが、ドン荒川だった。
ここで笑った人は、当時の新日本プロレスの試合会場に実際に足を運んだ人のはず。力道山と呼ばれたのは、単に風貌が似ていただけ。前座オンリーで、TVに映るような試合に出たことは、ほとんどないはず。あたしゃ、TVでの試合を見た事ない。
ストロング・スタイルを標榜していた新日本プロレスにあって、唯一お笑いプロレスをやっていた人、それがドン荒川。カンチョー攻撃から市役所固めなど、TVには出せないような技をやっちゃった人。
なにぜ学生時代、アマレスの大会でドロップキックをやらかして反則負けというか、退場処分を喰らった御仁。ちなみに対戦相手は後の国会議員の松浪健四郎だったとか。
プロレス入りしてからも、その性格は変わらず、前座の試合は爆笑と呆れたため息の嵐。ドン荒川と同郷の永源遥との試合は、鹿児島選手権と言われるほど激しいものでしたが、何時の頃からか、唾吐きとか、ハイレグ攻撃とかが飛び出すコミックショーになっていた。
プロレス最強を看板にしていたアントニオ猪木が苦々しい顔をしていたが、実はこのコミック・プロレスを楽しんでいたらしい。実際、止めたことないしね。
そんなドン荒川ですが、実はガチで強い人。新日の用心棒役だった藤原にも勝てるほどの実力派。なにせ、あのカール・ゴッチと30分道場のマットで戦い、一度も決めさせなかった。じれたゴッチが、荒川の口に指を突っ込むという裏ワザまで繰り出したが、それでもギブアップはとれなかった。
かくも強かったはずの荒川ですが、メインイベントとは無縁のレスラーであったのが不思議でならない。実力だけなら、確実に上位に入る逸材でした。でも、問題はその性格。とにかく破天荒でいたずら好き。洒落にならない性質の悪い悪戯のオンパレードで知られていた。
興行先の宿泊所で、夜半女風呂を覗きにいって、崖から落ちて木にひっかかっていた話は有名。ふざけたエピソードは吐いて捨てるほどある御仁でした。
にもかかわらず、新日本プロレスでの席次は、猪木、坂口に次ぐ第三の席を占めていたのは、プロレスラーとしてよりも、その人柄によるべきものだったように思います。
新日本プロレスは、後にUWF勢や長州らの離脱など、分裂と結合を繰り返しますが、事実上無風区に居たのがドン荒川。後に円満退職して、SWSへ移籍しますが、SWSが終わってもなぜかスポンサーであるメガネ・スーパーの社員として在籍していた。どうも田中社長に頼まれてのものだった模様。
プロレス界のドス黒い部分との関わりが少なく、最後は気が付いたらいなくなっていた人。既に故人ですが、騒がれることなく、静かに最後の人生を終えたそうです。
新日本プロレスは、地方巡業であっても、わりと入場料が高かったので、私は数回しか生で観ていませんが、それでもあのお笑いプロレスを観れたのは幸運であったと思います。