善意で行ったとしても、それが正しいとは限らない。
時折、TVなどで大人たちに付き添われ、川岸で鮭の稚魚を放流する光景が放送されることがある。川を下り海に出て育ち、大人の鮭として戻ってくることを期待しての行為である。実際、鮭やニシンなどかつては沢山取れた魚介類は減少の一途を辿っている。その回復のための一助となると思っていた。
子供たちの手で放流される稚魚に微笑ましい光景と感じる向きも多いと思う。実際、私自身この稚魚の放流をさほど問題視することはなかった。ただ心の底では、まず川を綺麗にすることが先だろうとも思っていた。でも楽しそうな子供たちの様子をみると、ケチをつけるのもなんだなと思い、流していた。
ところが、これが全くといって良いほど効果のない慈善事業だと知ったのは、わりと最近のことだ。私のお気に入りのユーチューブの番組「へんないきものチャンネル」で取り上げていた。詳しくはこの番組を視ていただくのが良いと思う。
ちなみに全ての放流が駄目なのではなく、ホタテのように稚貝を放流しても、その海域から動かないような場合、人が管理できるために商業的に成功しているケースもある。ただし、これはかなりレアなケースだ。
稚魚の放流がうまくいかないことは、既に幾つもの学術研究がされているようだ。でもあまり広く知られてはいないのが残念だ。実際、わりと物知りだと自負している私も知らなかった。
私も善意の色眼鏡で見ていたのだろうと思うが、反面初めて鮭の放流を多摩川でしているのを知った時、子供心に感じた「こんな汚い川に、鮭を戻してどうするんだ?」との素朴な疑問あるいは反発は、案外正しかったようだ。
ただ気になってあれこれ調べてみたのだが、私が思う以上に日本各地の水産業者や水産研究所、所轄の行政機関は知っていたようだ。しかし、予算の壁にぶつかり、なかなか改善策を打ち出せずにいるのが実態らしい。
簡単に説明すると、鮭の稚魚(単価15円)として10万匹放流し、数年後に戻ってきた成魚の鮭(8000円)となると、稚魚放流事業に予算を付けやすい。
しかし、鮭の育成に好ましい環境づくりとなると、河川の清掃、堰堤の再整備、河川敷及び周辺の森林整備までが必要になる。こうなると周辺自治体及び地域住民の理解、関係業者間の利害調整など予算付け以前にやることが膨大となる。
行政の専門家でもない私でも、この後者の政策実行のための予算策定がたいへんな作業になることは容易に予想がつく。だから、稚魚の放流が事実上無駄と知りつつ、その予算付けを繰り返すだけにしてきた地方政治の苦悩も分からないではない。
でも、このままでいいのか?
率直に言って、地方の一行政機関に任せるには荷が重いと思う。せめて都道府県レベルでやらないと、本当の意味での魚介類の復活事業は難しいと思う。ちなみに国レベルまでもっていくと、現場知らずの霞が関のエリート様が混乱を招き、さらに永田町の政治業者が余計な口を挟むので推奨できません。
迂遠に思うでしょうが、適正な手続きを踏むことが民主主義国家における大原則。即効性の治療法なんてないと思います。まずは稚魚の放流事業が無駄である残酷な事実を知らしめることが第一歩なのでしょうね。
時折、TVなどで大人たちに付き添われ、川岸で鮭の稚魚を放流する光景が放送されることがある。川を下り海に出て育ち、大人の鮭として戻ってくることを期待しての行為である。実際、鮭やニシンなどかつては沢山取れた魚介類は減少の一途を辿っている。その回復のための一助となると思っていた。
子供たちの手で放流される稚魚に微笑ましい光景と感じる向きも多いと思う。実際、私自身この稚魚の放流をさほど問題視することはなかった。ただ心の底では、まず川を綺麗にすることが先だろうとも思っていた。でも楽しそうな子供たちの様子をみると、ケチをつけるのもなんだなと思い、流していた。
ところが、これが全くといって良いほど効果のない慈善事業だと知ったのは、わりと最近のことだ。私のお気に入りのユーチューブの番組「へんないきものチャンネル」で取り上げていた。詳しくはこの番組を視ていただくのが良いと思う。
ちなみに全ての放流が駄目なのではなく、ホタテのように稚貝を放流しても、その海域から動かないような場合、人が管理できるために商業的に成功しているケースもある。ただし、これはかなりレアなケースだ。
稚魚の放流がうまくいかないことは、既に幾つもの学術研究がされているようだ。でもあまり広く知られてはいないのが残念だ。実際、わりと物知りだと自負している私も知らなかった。
私も善意の色眼鏡で見ていたのだろうと思うが、反面初めて鮭の放流を多摩川でしているのを知った時、子供心に感じた「こんな汚い川に、鮭を戻してどうするんだ?」との素朴な疑問あるいは反発は、案外正しかったようだ。
ただ気になってあれこれ調べてみたのだが、私が思う以上に日本各地の水産業者や水産研究所、所轄の行政機関は知っていたようだ。しかし、予算の壁にぶつかり、なかなか改善策を打ち出せずにいるのが実態らしい。
簡単に説明すると、鮭の稚魚(単価15円)として10万匹放流し、数年後に戻ってきた成魚の鮭(8000円)となると、稚魚放流事業に予算を付けやすい。
しかし、鮭の育成に好ましい環境づくりとなると、河川の清掃、堰堤の再整備、河川敷及び周辺の森林整備までが必要になる。こうなると周辺自治体及び地域住民の理解、関係業者間の利害調整など予算付け以前にやることが膨大となる。
行政の専門家でもない私でも、この後者の政策実行のための予算策定がたいへんな作業になることは容易に予想がつく。だから、稚魚の放流が事実上無駄と知りつつ、その予算付けを繰り返すだけにしてきた地方政治の苦悩も分からないではない。
でも、このままでいいのか?
率直に言って、地方の一行政機関に任せるには荷が重いと思う。せめて都道府県レベルでやらないと、本当の意味での魚介類の復活事業は難しいと思う。ちなみに国レベルまでもっていくと、現場知らずの霞が関のエリート様が混乱を招き、さらに永田町の政治業者が余計な口を挟むので推奨できません。
迂遠に思うでしょうが、適正な手続きを踏むことが民主主義国家における大原則。即効性の治療法なんてないと思います。まずは稚魚の放流事業が無駄である残酷な事実を知らしめることが第一歩なのでしょうね。