毎年、寒さが厳しくなると訃報が届く。
私がまだ駆け出しの頃だ。ある老舗の日本料理店の会計及び申告を担当していた。店はいかにもな古風で和風の作りで、献立はその日によって違う。達筆なお品書き次第で値段も変る。都内とはいえ少し県境よりであったからか、高級割烹としては少しお安い。
こんな店が地元にあったらなァと少し憧れた店でもあった。店主は無口な頑固職人を思い浮かべていただければ、まず間違いない。店主が喋らない分、賑やかな奥様が店内を切り盛りしていたからか、いつも賑やかな雰囲気であった。
私はいつもランチタイムと夜の営業の合間の時間に店を訪れ、帳簿をコピーし、いくつかの領収証等を預り、後は賄いを頂きながらの雑談であった。実はこの賄が美味しかった。
未だに忘れがたいのは、卵かけご飯である。たかが卵かけご飯というなかれ。一口食べたら唖然とするほど美味かった。卵に出汁が入っているのは分かるが、その出汁の旨味が尋常じゃない。付け合せの小松菜のお浸しもさっぱりとしていながら、微かな出汁の旨味が絶妙で、お代わりしたくなるほど。
もっとも駆け出しの私は、お代わりを頼むほど図々しくはなれず、レシピを訊きだせるほどに厚かましくはなれなかった。でも「美味しいです」の一言は忘れたことはない。
ある日のことだが、前日に電話があり、少し早めに来て欲しいという。ランチタイムの終わり際に店に行き、片づけをしている奥様を置いて、店主は私を連れて車に乗り込んだ。
一時間ほど走り、郊外の洋風レストランに連れていかれた。そこで店主が頼んだのが、ビーフシチュー。なんでも口コミで人気の献立らしいが、店の雰囲気が如何にもな洋風であり、初老の店主には入りずらかったらしい。なので、若い私を同伴したそうだ。
そこで頂いたビーフシチューは確かに美味かった。肉はほろほろに溶ける様な柔らかさで、噛み切る必要がない。だがシチューの風味が独特で、私が知っているビーフシチューとは明らかに違った。
店主もその違いが気になるようで、匂いを嗅いだり、舌の上で転がしたりと、なにやら探っているようだ。しばらくして納得したように頷き、帰りはスピード違反に私がビビるほどに急いで車を走らせた。
店に戻るなり厨房に籠って、なにやら料理をし始めた。もう私のことなど忘れているようだ。一休みしていた奥様が現われ、「なにかヒントをつかんだみたいよ」と少し呆れ気味で笑っていた。
老舗の割烹料理の店で、ビーフシチューをどう活かすのか、私は妙に思っていた。私が悩む顔をみて奥様は言った「日本料理はね、いつも時代の最先端を取り入れて、今日よりも明日に美味いと云わせる努力をしてきたのよ」と話してくれた。
その後、領収証にやたらとワインの仕入れが増えたのだけは覚えている。店主はなにも云わなかったが、奥様の話だと「煮込み料理」に幾つか新しい手順が加わったそうだ。実際、店の売り上げは順調に伸びていたので、効果はあったのだろう。
まだバブルの残照が眩しい頃だったせいか、その店に大手の不動産会社から立ち退き請求があり、随分と抵抗したが最後は押し切られてしまい、店は閉店となった。ただし閉店の理由は店主が体調を崩したからで、身体が復調したら新たに店を開くはずであった。
その数年後のことだが、奥様から郷里に夫婦して帰ることを伝えられた。どうも体調の回復が思わしくないらしく、店の再開は諦めたそうだ。実に残念に思ったが、致し方ないことでもある。
私は未だにあの店の賄で食べた卵かけご飯以上の美味しい卵かけご飯にお目にかかったことがない。
そして先日、奥様よりご連絡を頂き、御主人の訃報を知った。遠方であり、またコロナ禍で家族葬なので、最後の挨拶が出来なかったことが心残りである。
美味しさなんて、その場限りの感動であり、刹那的な感動でもある。それは分かっているのだが、記憶に深く刻まれるほどの美味しさを、後何度味わえるだろうか。長生きに固執する気はないが、出来るだけ美味しい記憶は沢山味わいたいと思います。
私がまだ駆け出しの頃だ。ある老舗の日本料理店の会計及び申告を担当していた。店はいかにもな古風で和風の作りで、献立はその日によって違う。達筆なお品書き次第で値段も変る。都内とはいえ少し県境よりであったからか、高級割烹としては少しお安い。
こんな店が地元にあったらなァと少し憧れた店でもあった。店主は無口な頑固職人を思い浮かべていただければ、まず間違いない。店主が喋らない分、賑やかな奥様が店内を切り盛りしていたからか、いつも賑やかな雰囲気であった。
私はいつもランチタイムと夜の営業の合間の時間に店を訪れ、帳簿をコピーし、いくつかの領収証等を預り、後は賄いを頂きながらの雑談であった。実はこの賄が美味しかった。
未だに忘れがたいのは、卵かけご飯である。たかが卵かけご飯というなかれ。一口食べたら唖然とするほど美味かった。卵に出汁が入っているのは分かるが、その出汁の旨味が尋常じゃない。付け合せの小松菜のお浸しもさっぱりとしていながら、微かな出汁の旨味が絶妙で、お代わりしたくなるほど。
もっとも駆け出しの私は、お代わりを頼むほど図々しくはなれず、レシピを訊きだせるほどに厚かましくはなれなかった。でも「美味しいです」の一言は忘れたことはない。
ある日のことだが、前日に電話があり、少し早めに来て欲しいという。ランチタイムの終わり際に店に行き、片づけをしている奥様を置いて、店主は私を連れて車に乗り込んだ。
一時間ほど走り、郊外の洋風レストランに連れていかれた。そこで店主が頼んだのが、ビーフシチュー。なんでも口コミで人気の献立らしいが、店の雰囲気が如何にもな洋風であり、初老の店主には入りずらかったらしい。なので、若い私を同伴したそうだ。
そこで頂いたビーフシチューは確かに美味かった。肉はほろほろに溶ける様な柔らかさで、噛み切る必要がない。だがシチューの風味が独特で、私が知っているビーフシチューとは明らかに違った。
店主もその違いが気になるようで、匂いを嗅いだり、舌の上で転がしたりと、なにやら探っているようだ。しばらくして納得したように頷き、帰りはスピード違反に私がビビるほどに急いで車を走らせた。
店に戻るなり厨房に籠って、なにやら料理をし始めた。もう私のことなど忘れているようだ。一休みしていた奥様が現われ、「なにかヒントをつかんだみたいよ」と少し呆れ気味で笑っていた。
老舗の割烹料理の店で、ビーフシチューをどう活かすのか、私は妙に思っていた。私が悩む顔をみて奥様は言った「日本料理はね、いつも時代の最先端を取り入れて、今日よりも明日に美味いと云わせる努力をしてきたのよ」と話してくれた。
その後、領収証にやたらとワインの仕入れが増えたのだけは覚えている。店主はなにも云わなかったが、奥様の話だと「煮込み料理」に幾つか新しい手順が加わったそうだ。実際、店の売り上げは順調に伸びていたので、効果はあったのだろう。
まだバブルの残照が眩しい頃だったせいか、その店に大手の不動産会社から立ち退き請求があり、随分と抵抗したが最後は押し切られてしまい、店は閉店となった。ただし閉店の理由は店主が体調を崩したからで、身体が復調したら新たに店を開くはずであった。
その数年後のことだが、奥様から郷里に夫婦して帰ることを伝えられた。どうも体調の回復が思わしくないらしく、店の再開は諦めたそうだ。実に残念に思ったが、致し方ないことでもある。
私は未だにあの店の賄で食べた卵かけご飯以上の美味しい卵かけご飯にお目にかかったことがない。
そして先日、奥様よりご連絡を頂き、御主人の訃報を知った。遠方であり、またコロナ禍で家族葬なので、最後の挨拶が出来なかったことが心残りである。
美味しさなんて、その場限りの感動であり、刹那的な感動でもある。それは分かっているのだが、記憶に深く刻まれるほどの美味しさを、後何度味わえるだろうか。長生きに固執する気はないが、出来るだけ美味しい記憶は沢山味わいたいと思います。