ヌマンタの書斎

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戦後平和主義

2023-04-06 11:33:43 | 社会・政治・一般
これって別に日本共産党の志位氏だけではないでしょう。

戦後の日本に特有といって良い奇特な考え方で、「戦争を否定すれば平和」「話せば分るのだから、戦争は避けられる」「軍隊があるから戦争が起きる」といった日本以外では狂人扱いされる考えなのだが、当人に自覚なし。

外交すなわち話し合いによる問題解決は理想的は方法であることは私とて否定しない。しかし、世の中万事、話し合いだけで争いが収まらないのが現実だ。日本国内には警察、裁判所など司法制度による平和的な紛争解決の仕組みが用意されている。それでも警察が警棒や拳銃などで武装し、手錠を用意しているのは、話し合いで終わらない現実に対応しているからだ。

もちろん裁判所であっても警備員は必ず用意されている。話し合いでは全ての問題に対応できないことは、もはや当然の常識である。第一、当の日本共産党でさえ話し合いでは解決できない場合、相手を追放しているではないか。これは問題解決ではなく、問題の先送り、問題の他者への押し付けであり、問題があること自体を認めない現実逃避に過ぎない。

太平洋戦争後、アメリカのGHQは好戦的というより狂戦的であると日本人を捉えて、その牙を抜くとして様々な手管を弄して、日本人の凶暴性を抑え込もうとした。武道の禁止や、天皇の人間宣言などは、いずれもGHQの意向を強く踏まえたものだ。

だが、なによりも日本人が元々持っていた「和をもって貴しとなす」という話し合いと協調路線を好む歴史的あるいは風土的志向が強く復活したことが大きい。これは狭くて細い日本列島で、山や河川により分断されがちの環境が培った日本人の伝統的な思考法であり、現在も色濃く残っている。

志位氏を誹謗するのは構わないが、与野党問わず日本人全般に多少の濃淡はあれども行き渡っている考えであることは自覚した方が良いと思う。同時に、これは異なる文化圏の衝突が頻繁に起こる現在の地球では決して至高の解決法ではないこことも自覚しておくべきだ。

私が賢しげに言うことでもないが、現代社会における平和とは、互いの武力が均衡しているからこそ実現している危ういものです。だからこそ話し合いは重要ですが、その話し合いの前提として、我が身を守る武を備えていることが必携要件であるのですから。
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