私たち人類は生存競争の勝者である。
では、その生存競争とはいかなるものであったのだろうか。私が十代の頃は、我々の祖はクロマニヨン人であり、ネアンデルタール人に変わって地上に覇を打ち立てたと教わった。
しかし科学の世界は日進月歩であり、現在では人類の進化の系統図はだいぶ変わってきている。もちろん諸説異論はあるものの、遺伝子解析技術の向上や地質年代測定の進歩などにより格段に解析は進んでいる。
私が表題の書を読んで一番感銘を受けたのは、「筋が通った推論が正しいとは限らない」との言であった。これはけっこう衝撃的だった。
アフリカの大地溝帯の活動活性化により森が焼き払われ、原野に放り出された類人猿は、二足歩行を覚え、手を使うようになり知能を発達させた。私はこのように教わってきた。理屈は通っているので、なんとなく納得していた。
しかし著者の言う様に、二足歩行は四足歩行よりも走る速度が遅く、また敵を発見できる可能性は上がるが、それ以上に敵に発見される可能性が増える。そして平原で暮らすサルで二足歩行へと進化したものはいない。
そうなると、二足歩行への進化の従来の根拠は疑わしくなる。第一、二足歩行を始めた類猿人たちの足の骨を解析すると、やはり移動速度は遅く、四足歩行の他の動物に劣ることが分かった。
では、なぜに人類の祖先は二足歩行を選択したのか。このあたりは表題の書を読んで判断してもらうのが一番。でも、白状するとあまり私は納得していない。
ただ、非常に興味深かったのは、我々人類は最低でも4種類の類猿人を滅ぼして現在の立場を得ていることだ。やはり一番戦いに長けた種であるのは否定できぬ事実のようだ。
それなのに骨格の解析から分るのは、個体としての戦闘力は低いこと。牙が小さくなった犬歯も一番控えめであり、筋力にも乏しい現生人類が生存競争の勝者である不思議。
個体として弱いからこそ勝つために知恵を絞り、武器を開発し、集団戦法に活路を見出した。大変に興味深いことだと思います。
では、その生存競争とはいかなるものであったのだろうか。私が十代の頃は、我々の祖はクロマニヨン人であり、ネアンデルタール人に変わって地上に覇を打ち立てたと教わった。
しかし科学の世界は日進月歩であり、現在では人類の進化の系統図はだいぶ変わってきている。もちろん諸説異論はあるものの、遺伝子解析技術の向上や地質年代測定の進歩などにより格段に解析は進んでいる。
私が表題の書を読んで一番感銘を受けたのは、「筋が通った推論が正しいとは限らない」との言であった。これはけっこう衝撃的だった。
アフリカの大地溝帯の活動活性化により森が焼き払われ、原野に放り出された類人猿は、二足歩行を覚え、手を使うようになり知能を発達させた。私はこのように教わってきた。理屈は通っているので、なんとなく納得していた。
しかし著者の言う様に、二足歩行は四足歩行よりも走る速度が遅く、また敵を発見できる可能性は上がるが、それ以上に敵に発見される可能性が増える。そして平原で暮らすサルで二足歩行へと進化したものはいない。
そうなると、二足歩行への進化の従来の根拠は疑わしくなる。第一、二足歩行を始めた類猿人たちの足の骨を解析すると、やはり移動速度は遅く、四足歩行の他の動物に劣ることが分かった。
では、なぜに人類の祖先は二足歩行を選択したのか。このあたりは表題の書を読んで判断してもらうのが一番。でも、白状するとあまり私は納得していない。
ただ、非常に興味深かったのは、我々人類は最低でも4種類の類猿人を滅ぼして現在の立場を得ていることだ。やはり一番戦いに長けた種であるのは否定できぬ事実のようだ。
それなのに骨格の解析から分るのは、個体としての戦闘力は低いこと。牙が小さくなった犬歯も一番控えめであり、筋力にも乏しい現生人類が生存競争の勝者である不思議。
個体として弱いからこそ勝つために知恵を絞り、武器を開発し、集団戦法に活路を見出した。大変に興味深いことだと思います。