私が大学受験を目指すことを決めたのは、中学2年の冬だ。
母子家庭であった私は、長男の私が中卒で働けば、なんとか妹たちを高校へ通わせることは出来ると考えていた。だから大学受験どころか高校受験さえ考えていなかった。
しかし中二の冬に再会した父の支援により大学まで行けると分かった。私は関心がある分野ならば勉強は苦ではない性分だったので、なんだ行けるのかと軽く考えて、さっそく塾通いを始めた。
ただこの安易な決断が遊び仲間であった悪ガキどもから裏切り行為だとされるとは思わなかった。今だから言えるが、裏切り者として迫害されたことで、私は悪ガキの世界から抜け出すことが出来たと思う。
いや、より正確には戻るに戻れなくなったが正解だろう。悪ガキどもとの付き合いだけでなく、三茶の賭場を仕切る博徒の方々とも離れることが出来たのは、後々になって非常に重要なことであったと思う。
もっとも当時は必死すぎて、連日のイジメと迫害に対処するだけだった。以前にも書いたが、もがき足掻く私を見かねたクラスメイトたちが裏で動いて、私を自由にさせてくれたことには全く気が付かなかった。
私は自力で足抜けしたと誇らしく思っていたが、それが無様な自惚れであることを知ったのは、大学4年の時であった。気が付かなかった私も大概だが、誰も教えてくれなかった。でも大人しい真面目っ子たちが裏で動いてくれたから、今の私があることは忘れずにいようと痛切に思っている。
あの頃は、自分のことで必死過ぎて周囲が見えていなかった。同時に誠に馬鹿らしいことだが、大学に行くと決めたものの、なにかやりたかったことがある訳ではなかった。だから当時は大学に関するイメージが曖昧であった。
ただ当時から役人になる気はなかった。というか嫌だった。特に警察は真っ平だったのは、悪ガキ出身だからだが、なぜに公務員を嫌ったのかは、自分でもよく分からない。
一つには小学校の頃の一部の教師に悪い印象があったことが影響しているのは確かだ。でも良い先生との出会いもあったのも事実なので、役人嫌いの直接の原因ではない。
いずれにせよ公務員になる気がなかったが故に、国公立大学受験は考えていなかった。私は好きなことは言われなくても勝手に勉強する子供だったが、そうでないとやる気を出さない我儘な子供であった。当時、既に共通一次試験は始まっていたので、多数の教科を均等に勉強するのは嫌だと思っていた。
だから国公立大学は避けたいと思っていた。むしろ私立で歴史や経済を学びたいと思っていた。これは私が子供の頃に通っていたキリスト教系の団体の少年部担当の学生さんたちの影響でもある。
私は彼らからマルクス主義や革命理論を聴かされていて、それに強い影響を受けていた。大学に入ったら民青に入って革命の戦士として活躍する自分を夢見る世間知らずの子供だった。
もっとも悪ガキ出身の私は、資本論を片手に勇ましいアジを叫ぶ青年よりも、ゲバ棒の使い方や手拭いで作るマスクの巻き方を教えてくれる武闘派の青年に懐いていた。でも今だから言えるが、当時一番関心を持っていたのは、学校では教えてくれない洋楽をピアノで演奏してくれるシスターのお姉さんたちに甘えることだったと思う。
私は三人兄妹の一番上だったから、兄や姉が居ない分、甘えたかったのではないかと思う。やはり当時からナマケグマの資質があったのだろう。
だから必然的に大学は社会に出る前の猶予期間だと捉えていた。山に沢山登ろうと考え、勉学に励む気はなかった。そんなナマケグマであるから、大学の頂点である東大受験などまったく視野になかった。そこでどのような教育がなされているか、まったく関心がなかった。
今、表題の書を読んで、自身の安直さに少々うんざりしている。東大の日本史、面白いじゃないか。これなら勉強してみたかったゾ。そう本気で思っている。資料の読解に力を入れ過ぎの感はあるが、十分納得の理論構成でもある。
いやはや、こんな歴史の勉強ならやってみたかったですね。
母子家庭であった私は、長男の私が中卒で働けば、なんとか妹たちを高校へ通わせることは出来ると考えていた。だから大学受験どころか高校受験さえ考えていなかった。
しかし中二の冬に再会した父の支援により大学まで行けると分かった。私は関心がある分野ならば勉強は苦ではない性分だったので、なんだ行けるのかと軽く考えて、さっそく塾通いを始めた。
ただこの安易な決断が遊び仲間であった悪ガキどもから裏切り行為だとされるとは思わなかった。今だから言えるが、裏切り者として迫害されたことで、私は悪ガキの世界から抜け出すことが出来たと思う。
いや、より正確には戻るに戻れなくなったが正解だろう。悪ガキどもとの付き合いだけでなく、三茶の賭場を仕切る博徒の方々とも離れることが出来たのは、後々になって非常に重要なことであったと思う。
もっとも当時は必死すぎて、連日のイジメと迫害に対処するだけだった。以前にも書いたが、もがき足掻く私を見かねたクラスメイトたちが裏で動いて、私を自由にさせてくれたことには全く気が付かなかった。
私は自力で足抜けしたと誇らしく思っていたが、それが無様な自惚れであることを知ったのは、大学4年の時であった。気が付かなかった私も大概だが、誰も教えてくれなかった。でも大人しい真面目っ子たちが裏で動いてくれたから、今の私があることは忘れずにいようと痛切に思っている。
あの頃は、自分のことで必死過ぎて周囲が見えていなかった。同時に誠に馬鹿らしいことだが、大学に行くと決めたものの、なにかやりたかったことがある訳ではなかった。だから当時は大学に関するイメージが曖昧であった。
ただ当時から役人になる気はなかった。というか嫌だった。特に警察は真っ平だったのは、悪ガキ出身だからだが、なぜに公務員を嫌ったのかは、自分でもよく分からない。
一つには小学校の頃の一部の教師に悪い印象があったことが影響しているのは確かだ。でも良い先生との出会いもあったのも事実なので、役人嫌いの直接の原因ではない。
いずれにせよ公務員になる気がなかったが故に、国公立大学受験は考えていなかった。私は好きなことは言われなくても勝手に勉強する子供だったが、そうでないとやる気を出さない我儘な子供であった。当時、既に共通一次試験は始まっていたので、多数の教科を均等に勉強するのは嫌だと思っていた。
だから国公立大学は避けたいと思っていた。むしろ私立で歴史や経済を学びたいと思っていた。これは私が子供の頃に通っていたキリスト教系の団体の少年部担当の学生さんたちの影響でもある。
私は彼らからマルクス主義や革命理論を聴かされていて、それに強い影響を受けていた。大学に入ったら民青に入って革命の戦士として活躍する自分を夢見る世間知らずの子供だった。
もっとも悪ガキ出身の私は、資本論を片手に勇ましいアジを叫ぶ青年よりも、ゲバ棒の使い方や手拭いで作るマスクの巻き方を教えてくれる武闘派の青年に懐いていた。でも今だから言えるが、当時一番関心を持っていたのは、学校では教えてくれない洋楽をピアノで演奏してくれるシスターのお姉さんたちに甘えることだったと思う。
私は三人兄妹の一番上だったから、兄や姉が居ない分、甘えたかったのではないかと思う。やはり当時からナマケグマの資質があったのだろう。
だから必然的に大学は社会に出る前の猶予期間だと捉えていた。山に沢山登ろうと考え、勉学に励む気はなかった。そんなナマケグマであるから、大学の頂点である東大受験などまったく視野になかった。そこでどのような教育がなされているか、まったく関心がなかった。
今、表題の書を読んで、自身の安直さに少々うんざりしている。東大の日本史、面白いじゃないか。これなら勉強してみたかったゾ。そう本気で思っている。資料の読解に力を入れ過ぎの感はあるが、十分納得の理論構成でもある。
いやはや、こんな歴史の勉強ならやってみたかったですね。