民主主義を掲げる政治家にとって、時には偽善も必要だ。
それは分かるので、広島に集まったG7の首脳たちが原爆資料館で心にもない発言をしていることを非難する気はない。本音を口にすることは、時として愚かしいことであることぐらい、私でもわかるからだ。
でも私は政治家ではないし、大衆に媚売る義務もない。だから本音を言わせていただく。
核兵器が廃絶される日が来るとしたら、それは最低でも二つの要件を満たした時だ。一つは、核爆発(核分裂)を外部から強制的に終わらせる技術が完成すること。もう一つは、核兵器以上に威力のある兵器が実用化されることだ。
もっといえば、話し合いで核兵器は廃絶されることはない。
核兵器は政治的な手段であり、それも極めて有効な手段である。だから、核兵器に替わる、あるいは核兵器以上の手段が見つからぬ限り、核兵器は廃絶されることはない。
更に意地悪なことを付け加えよう。日本人は外国の方が広島を訪れ、記念館などで核爆弾による悲惨な実情を知ると、当然のように核兵器廃絶に共感すると思い込む。
私も大多数の外国の方もそう思って欲しいと願っている。しかし、そうでない現実も知っている。すなわち、これほど悪魔的な破壊力のある兵器を我が国も持てば、自国の平和を守るのに役立つだろうと考えてしまうことだ。
もちろん原爆資料館がそのように曲解されることを望んでいるわけではない。しかし、武器をもってして平和を守ることが常識である以上、広島の悲惨さをアピールすることは、むしろ核兵器拡散に寄与している可能性があることは、頭の片隅に留めておいて欲しい。
残念ながら日本の常識は世界の非常識であることは多々あると思います。