歌手の谷村新司が亡くなったと報じられた。
私としては十代の頃によく聴いていたニューミュージックの代表的グループの一つ、アリスのメンバーである。「冬の稲妻」や「チャンピオン」といった大ヒット曲が並ぶが、実は私はデビュー前から大学の文化祭などでフォークグループとして歌っていた頃から知っており、初期の名曲の「紫陽花」や「帰らざる日々」が好きだった。
もっとも解散してからは、あまり聴いていない。というか爆発的に売れ出した頃から次第に聴かなくなった。アリスはコンサート数が異常に多いので有名で、地道な活動時期が長く、観客との距離が近いほどに楽しいバンドだと思っていた。
だから売れっ子になったのは嬉しいが、武道館だとか云われると遠すぎて、逆に近寄りがたくなり、親近感を喪失したのが本音だ。
つい先日、アリスのリーダーであった谷村新司の訃報が伝えられた。まだ70代だから少し早いと思うが、死因が急性腸炎だと聞いて思わず納得してしまった。
ここ二年ほど、私は体調の悪化に苦しんでいるが、その始まりと言ってよいのが急性腸炎だった。忘れもしない令和3年の11月末だ。夜更け近い時間に記憶にない下腹部の痛みに目が覚めた。前夜から腹痛を感じてはいたが、我慢できる程度の痛みであったから、一晩眠ればいいだろうと考えていたが甘かったようだ。
かかりつけの病院の緊急外来に電話したところ、タクシーで早めに来て欲しいとの事。まだ夜も明けきらぬ朝、タクシーを捕まえて病院に行くと、急性の腸炎だと云われて、そのまま処置室で点滴1時間。これで落ち着いたが、再発の恐れが高いので、痛み止めだけ処方されて一度帰宅。
そのまま帰宅して、ひと眠りしてから出勤した。落ち着いたかに思えたが、翌朝出勤して間もなく再び下腹部が痛み出した。さすがに焦り、再び件の病院に赴いた。この日は幸いにも消化器系の主治医が居たため、詳しく診察してもらい初期の腸炎だと診断された。
医師は「少し点滴の種類を変えて様子をみよう」と云われ、そのまま処置室にて夜まで過ごす。私が入院を嫌がるのを医師は知っていたので、臨時の処置を嫌がらずにやってくれたのは嬉しかった。その後、3日間夕刻に通院して点滴して事なきを得た。
もし対処が遅れたら緊急手術もあったかもしらないし、谷村新司のように亡くなる可能性もあった訳だ。たかが腹痛と思わず、早め早めに医師の診断を受けたことが幸いしたと思います。
これは素人の思い込みに過ぎませんが、おそらく9月、10月に大腸ポリープを11か所切除したことも影響していると思う。別に痛くはなかったけれど、微妙に体力が落ちていた気がする。その後の腸炎に直接の関係はないと思うが、体力の低下が影響を及ぼしたことは否定しがたい。
そして年が明けてすぐに心臓に異常が生じ、遂にはICDを埋め込む手術を受ける羽目に陥っている。多分、体に無理をさせ過ぎたのだと今になって反省している次第です。