戦後最大級の噴火被害、それが御嶽山の噴火であった。
2014年9月27日のことであった。その被災者が映した動画がTV画面に映された時、こりゃ無理だぁと思ったことは良く覚えている。
その後の報道で、既に二か月近く微細な火山性震動が報じられていたが、特に入山規制などはなかったそうだ。そうだろうと思う。御嶽山は標高こそ3千メートル級だが、山頂近くまでバスで登れる観光用の山だと認識されていた。実際、私も高齢になったら登ってみようかね、程度の認識であった。
だからこそあのような噴火は予想外であったのが山を登る人たちの常識であったと思う。実際、御嶽山は観光地として有名で、本来は子供から老人まで気楽に登れる珍しい3千メートル級の山として知られていた。
地震列島として知られる日本でも、あの辺りは地殻の異動が生じやすく、地震の頻発地帯との認識はあったが、御嶽山の噴火を警戒する空気は皆無であったと思う。だからこそ死者58名、不明者6名といった未曾有の噴火災害となってしまった。
家族をはじめ大切な人を失った遺族の悲しみは当然だが、ここでおかしな訴訟が持ち上がった。国は二か月以上微細な火山性震動があったのだから、入山規制をするべきであったとして損害賠償訴訟がなされた。そして、その判決が先週出された。
予想されたことではあるが原告敗訴であった。大切な家族を失った人たちにはお気の毒には思わないでもないが、基本山に登ること自体リスクを孕んだ行為である自覚が足りない。
たとえ噴火がなくとも大規模震災による広範囲な落石や斜面の崩落だってあり得る。いや、予兆などまったくなくとも災害に襲われる可能性があるのが山だ。私自身、そんな経験を幾度となくやっている。
大学4年の夏だ。就職を決めていた私はガイド付きの黒部渓谷の遡行ツアーに参加した。晴天に恵まれて、快適に沢登りを楽しんでいた。しかしツアーガイドが無線で上流の山小屋と交信して雰囲気は一転した。20キロ以上離れた上流で短時間に大雨が降り、下流が急激に増水すると警告された。
ガイドはパーティーの皆に説明してツアーは中止、急遽稜線に向かって沢を離れることになった。不満を漏らす人もいたが、ガイドに一喝されてしぶしぶ登りだす。登るといっても、ダム建設業者が利用していた凄まじい急な登り道である。
まだ若かった私も喘ぎながら沢筋から50メートルほど登った時だった。パーティーの一人が大声を上げるので沢をのぞき込むと沢が太く黒い。物凄い勢いで増水していて、背筋が凍り付いた。そこからは無言で先導するアシスタントガイドに付いて必死に登る。
200メートルほど登って安全な場所で休憩した時は息も絶え絶えであった。信じがたいことに眼下では、濁流が荒れ狂っていた。もし沢筋に残ったら命はなかったと断言できる。老齢のツアー客をアシストしていたガイドの方も無事到着して、再び上流の山小屋と無線で連絡を取っている。
まだ数日は水は引かないと予想できるので、この先は稜線沿いに安全なルートで移動するとのこと。もう誰も不満を漏らす人はいなかった。一応書いておくと、天気予報では終日快晴との報であり、今朝出発するときの山小屋でも晴天予想であった。ちなみに私たちは全く雨に降られていない。
ただ上流で雨が一時的に降ったとの無線連絡だけが、エスケープした根拠であり、ガイドの方の判断が適切であったからこそ助かった。山の天気はかくも変わりやすく危険でさえある。
もしツアー客の一人が、気象庁が正確な予報を出さなかったから危険な目にあったと訴えたとしたら、間違いなく敗訴だろうし、なにより山仲間に馬鹿にされるだろう。山を舐めるな、とね。
自然は怖い、完全な予測なんて誰も出来やしない。だからこそ生きるため最大限の努力が必要なのが山だ。多分、海だって同じだろう。
私は自己責任が安易に使われ過ぎることを危ぶむが、それ以上に自己責任と覚悟のない安直な生き方が嫌いです。