ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

クマの正義

2024-12-13 11:09:38 | 社会・政治・一般

戦争の際に一番勇猛果敢に戦いを鼓舞するのは、いつだって安全な場所にいる者だ。

自分は傷つかない、痛まない、失うものがない。だからこそ危機感もなく安易に戦争を賛美できる。他人に愛国心を強要し、自分は決して前線で銃をとることはない。あくまで傷つくのは他人であり、自分は安全な場所で他人を動かすだけ。

実に卑劣だと思うが、身の回りにもけっこういるはずだ。彼らは自らの正義と善意に酔い痴れているので、決して自身の無責任さや卑怯さを自覚することはない。

クマの駆除に反対する人たちは、私からすると安全な場所で、自らはリスクを負うことなく自身の正義と善意とを主張する人だと思う。そして何よりもクマの恐ろしさを知らない人だと確信しています。

クマを恐れなければいけない最大の理由は、その執念深さです。概ね、野生の獣は縄張り意識が強いものですが、クマは自分が強いことを知っているので縄張り内では暴君です。

クマに限りませんが、クマは獲物の肉がある程度腐敗しているほうが美味しいと思うようで、殺した獲物を一度地面に埋める性癖があります。しかも、すぐ分かるように浅く埋めます。

学生時代をWV部で過ごした私が、厳命されたことの一つに、クマに荷物を奪われたら決して取り返してはならないって事があります。クマに奪われたら、それはもうクマのもので、例え見つけても決して取り返してはいけません。クマは自分の獲物を奪われたことに激怒します。

これは実話として広まっている話ですが、ある大学WV部の部員が、テントに置いておいた食料やザックをクマに奪われました。しかし数日後、偶然そのザックが地中に埋まっているのを発見して、ラッキーとばかりに取り戻してしまいました。

クマは激怒して、その学生を付け回し、暗がりから突如襲い掛かかり、地面に倒して下腹部を爪で引き裂き内臓を貪り食いました。学生はまだ生きていましたが、クマに押し倒されて逃げることも出来ず、生きながら内臓を食われ、苦悶のうちに亡くなりました。

その後、そのクマは射殺されましたが、猟師の方の話ではクマは人間が苦しんでいるのを知りながら食い殺したはずだと。通常、クマは獲物の首を折り絶命させてから食べます。それをわざわざ下腹部から食べたのは、相手を苦しめるためだろうとの事。

そして、一度人間の味を覚えたクマは、その後も人間を襲うようになるだろうとも言っていました。食べ物というか獲物に対する執着心の強さは人間の想像を絶するものです。

先月ですけど、秋田にて街中に降りてきたクマがスーパーマーケットに立て籠もった事件がありました。そのクマは捕獲されて殺処分されましたが、その処置に対しての抗議が後を絶たないとの報道がありました。

本当にバカです。そのクマにとって最早スーパーマーケットは縄張りであり、その中で肉などを食べたのですから、もうそれはクマのもの。捕獲して山奥に戻しても、必ず戻ってくるのは明白です。そのスーパーマーケットの食材は、もうクマのもの。

ならば、それを横取り(クマ目線で)した人間に対して、どのような行動に出るのか明白過ぎる。一度、街中で人の食べる生ごみ等を漁ったクマにとって、もうそこはクマの縄張りであり、邪魔するものは敵なのです。だからそのようなクマは殺す以外にありません。

まぁ、クマを殺すなと抗議するような輩は、決してクマに襲われる危険性などないところから善意に酔い痴れているので、クマの正義など理解できないでしょう。人間が正しいと思うことと、クマの正義は両立することはない。それが野生の掟です。

コメント
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