夏の太陽が燦々と輝き、青い空は蒼いほどに雲を輝かせる。日焼けした肌に汗を光らせながら、暑いと愚痴を言いつつ、笑顔が消えることのない夏の一日。
病院へ舞い戻るタクシーのなかから見た夏の風景は残酷なほどに眩しい。十数年前、初めての税理士の国家試験を迎える1ヶ月前に、突然病気は再発した。少し前の全国統一模試で一番をとり、合格圏確実のお言葉を頂き、勉強は絶好調であったのに、だ。半ば強制的に入院させられたが、悔しかったので頼んで外出許可を半日もらって、意地で受験した。
しかし、病気に病み衰えた身体に1科目2時間の試験が耐えられるはずもなく、午前中に退出して、そのまま病院へ舞い戻った。あのときほど、夏の蒼い空が恨めしかったことはない。
驚いたことに秋の終わりには退院できた。別に治ったわけでもなく、病状が安定したので自宅療養に切り替わっただけだった。一日に40錠近い薬を飲み、後はただ寝るだけの毎日。
自分が何のために生きているのかが分からない。ただ生きているだけ。頑張るという言葉が、あれほど虚しいとは知らなかった。生きている実感はないが、それ以上に生きる目的を見出せない。だから、何を頑張ったらいいのか分からない。
いくら悩んでも答えはなく、寝ても覚めても脳裏に浮かぶは、自分の病気のことばかり。私は自分を怠け者だと自覚している。夢見がちな、空想にふけるのが好きな、怠惰な性分であることは分かっていた。だからこそ、常日頃から現実的であろうと心がけていた。現実的であるためには、現状を適切に認識して、そのなかで最適と思える行動をとることだと自らに課していた。
だからこそ、薬を飲み、ただ寝ているだけの毎日に対応できなくなっていた。具体的な行動が取れないことが、これほど苦痛だとは思わなかった。1年一科目受験が可能な税理士試験は、私の病状に向いたものだと思っていたのに、それすらも適わぬ現実が、私を苦しめた。
自分が生きていることに価値を見出せなくなっていた。だとしたら、死も自らの選択肢の一つだと自覚せざる得なかった。当時、真剣に自殺を考えていた。ただ、痛いとか苦しいのは嫌だった。首吊りは実際には見苦しい死に様を曝すことは知っていたので嫌だった。飛び降りは、墜落死を山でさんざん見ていたので、肉片を飛び散らかす死に方は嫌だった。
冬場ならば凍死という手もあったが、寒いのが嫌いなので諦めた。ガス自殺も考えたが、近所に迷惑がかかりそうで嫌だった。なにより臭いのは嫌いだ。薬を飲むのを勝手に止めて死ぬことも考えたが、見つかったら点滴で薬を流し込まれる可能性もあったし、ジワジワ死ぬのがなにより怖かった。
はてさて、自殺も楽じゃないと悩みながら、なにかいい手はないかと図書館へ赴いた。そこで見つけたのが表題の本だ。知っている人は分かると思うが、自殺とはまったく関係ない本だ。では何故に?(続く)
病院へ舞い戻るタクシーのなかから見た夏の風景は残酷なほどに眩しい。十数年前、初めての税理士の国家試験を迎える1ヶ月前に、突然病気は再発した。少し前の全国統一模試で一番をとり、合格圏確実のお言葉を頂き、勉強は絶好調であったのに、だ。半ば強制的に入院させられたが、悔しかったので頼んで外出許可を半日もらって、意地で受験した。
しかし、病気に病み衰えた身体に1科目2時間の試験が耐えられるはずもなく、午前中に退出して、そのまま病院へ舞い戻った。あのときほど、夏の蒼い空が恨めしかったことはない。
驚いたことに秋の終わりには退院できた。別に治ったわけでもなく、病状が安定したので自宅療養に切り替わっただけだった。一日に40錠近い薬を飲み、後はただ寝るだけの毎日。
自分が何のために生きているのかが分からない。ただ生きているだけ。頑張るという言葉が、あれほど虚しいとは知らなかった。生きている実感はないが、それ以上に生きる目的を見出せない。だから、何を頑張ったらいいのか分からない。
いくら悩んでも答えはなく、寝ても覚めても脳裏に浮かぶは、自分の病気のことばかり。私は自分を怠け者だと自覚している。夢見がちな、空想にふけるのが好きな、怠惰な性分であることは分かっていた。だからこそ、常日頃から現実的であろうと心がけていた。現実的であるためには、現状を適切に認識して、そのなかで最適と思える行動をとることだと自らに課していた。
だからこそ、薬を飲み、ただ寝ているだけの毎日に対応できなくなっていた。具体的な行動が取れないことが、これほど苦痛だとは思わなかった。1年一科目受験が可能な税理士試験は、私の病状に向いたものだと思っていたのに、それすらも適わぬ現実が、私を苦しめた。
自分が生きていることに価値を見出せなくなっていた。だとしたら、死も自らの選択肢の一つだと自覚せざる得なかった。当時、真剣に自殺を考えていた。ただ、痛いとか苦しいのは嫌だった。首吊りは実際には見苦しい死に様を曝すことは知っていたので嫌だった。飛び降りは、墜落死を山でさんざん見ていたので、肉片を飛び散らかす死に方は嫌だった。
冬場ならば凍死という手もあったが、寒いのが嫌いなので諦めた。ガス自殺も考えたが、近所に迷惑がかかりそうで嫌だった。なにより臭いのは嫌いだ。薬を飲むのを勝手に止めて死ぬことも考えたが、見つかったら点滴で薬を流し込まれる可能性もあったし、ジワジワ死ぬのがなにより怖かった。
はてさて、自殺も楽じゃないと悩みながら、なにかいい手はないかと図書館へ赴いた。そこで見つけたのが表題の本だ。知っている人は分かると思うが、自殺とはまったく関係ない本だ。では何故に?(続く)
ところで表題の作品の 富山敬氏(ヤンウェンリー)塩沢兼人氏(パウルフォン オーベルシュタイン)も すでに故人です