一度途切れたら、復活させるのは至難の業だ。
そのことを痛感させられたのが、今回の三菱航空機のスペースジェット(旧MRJ)の失敗だ。
太平洋戦争後、アメリカに武装放棄させられ、軍需産業も解体され、二度と戦争が出来ないようにされたのが日本だ。しかし、冷戦により日本を軍事補助に活用することに決めたアメリカの都合により、再び軍需産業が復活した。
朝鮮戦争やヴェトナム戦争において、アメリカ軍に大量の軍需物資の供給を担ったのが日本の産業界だった。その余勢をかって、日本は再び航空機を作り世に送り出した。それがかの名機YS11である。
プロペラ駆動の小型旅客機ではあったが、無聊をかこっていた旧日本軍の航空機を設計製作した技術者たちが全力を注ぎ作り上げた。一応は成功を収めたのだが、残念ながら後継機がつくられることなく日本航空機製造は解散している。
先に名機と書いたが、実は経営的には成功とは言いかねる迷機であった。元々が軍用機を専ら設計していた人たちが作っただけに、機体は極めて頑丈であったが、一般旅客向けには不親切な機体であった。
また操縦性能もイマイチで、あるパイロットはクラウンの車体に軽自動車のエンジンを積んだ様な機体だと酷評している。機体が頑丈ゆえに重すぎて、そのわりにエンジンが非力であった。これらの欠点は後継機で改善されるべきであった。
しかし、国策により作られた会社だけに、経営の効率化が出来ず、万年赤字体質であった。そのため、後継機を作ることなく会社は解散している。その後、日本の航空機産業はもっぱら軍用機のみ作ってきた。
だから三菱がMRJを製造するニュースが出たの期待感は凄かった。しかし、私は当初から怪しんでいた。30年近く民間機を作ってこなかったのに、いきなり出来るのか?と。
案の定というか、ハード先行でソフトが追いついていなかった。現代の旅客機は電子機器の塊である。いくらハード(機体、エンジン)をしっかり作っても、それを制御するソフトは全て電子操作である。
三菱重工の子会社である三菱航空機は、そのソフト面がきわめて脆弱であった。だから機体が完成しても、それを空に飛ばせて安全に運航できるかのアメリカの審査基準をクリアできなかった。
当たり前である。日本にはそのノウハウがまったくない。あるのは軍用機だけだ。いくら防衛庁を始めとして霞が関の大物退職官僚を役員に揃えても、世界の航空機界の基準となるアメリカの審査を通過できる訳がない。
もしYS11の後継機を作って運用していたのなら、これほど苦労することはなかったと思う。もっといえば、YS11の失敗を糧にして、新たなチャレンジをしていたのならば、MRJは失敗しなかっただろう。
一方、初めっから政府の支援など当てにしていなかったホンダは、さっさと航空機部門をアメリカに移転した。そして30年間の赤字に耐えつつ、小型旅客機であるホンダ・ジェットを完成させアメリカの審査をクリアし、セスナ機を一位の座から押しやり、今やベストセラー機として世界の空を飛んでいる。
かつて通産省から不要な自動車会社だと切り捨てられたホンダは、天下り官僚にすがることなく、世界の市場に打って出て成功を収めている。
30年の赤字に耐えて空への夢を果たした本田と、30年間の無為の時間を政府にすがって乗り越えようとした三菱の違いが、残酷なまでに成功と失敗との境界線となった。
で、日本の新聞やTVは少し報道のスタンスが甘すぎませんかね。いくら記者クラブ頼りだからといって、あの手ぬるい報道はないと思いますぜ。
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