私は大陸というか平原には住めない。
そのことが分かったのが、30代の頃に行った欧州旅行の時である。現地に駐在している友人の運転で、各地の美術館を回った。当初はその広々とした平野の広がりに感銘を受けた。
分かりやすい道路標識と、走りやすい自動車専用道はさすがだと思った。驚いたのは、道路の両脇が放牧状態の羊、牛で溢れかえっていたことだ。まさかこれほど牧畜が盛んだとは思わなかった。
同時に違和感も感じていた。高層ビルや中層のマンションがある都市部を離れると、あっというまに牧草地ばかりの平坦な校外が拡がるばかり。なんとなくだが、重苦しい気持ちになった。
やがてなだらかな山稜が目に入るようになり、ようやく気持ちが落ち着いた。どうも私は平原が苦手らしい。東京生まれの東京育ちという都会育ちではあるが、晴れた日には富士山が目に入るし、西側には奥多摩という山岳地帯、南西には丹沢山稜がある。
景色のなかに山と言う起伏があることが、当たり前の環境で育ったので、初めて目にした平原のみが延々と続く光景に心がめげてしまったようなのだ。それは海も同じで、子供の頃から砂浜よりも岩場のほうが好きだった。
海辺で空を眺めたり、海中に潜って海底を見るのは好きだった。でも、広大な水平線はそれほど好きではなかったと思う。幼心に自分は船乗りにはなれないような気がしていた。
成長するにつれて全く忘れていたのだが、ヨーロッパの平原地帯を延々とドライブしてみて、私は平坦な土地が好きではないと実感した。よく地方の人が東京に来て驚くことの一つに、坂道が多いことがある。
元々関東平野の河川の下流域ではあるが、実はけっこう山や丘が多く、徳川家康は山を切り崩して、海を埋め立てて造ったのが江戸である。地名をみれば分かるが、四谷とか渋谷は谷合というか低地である。近くには必ず高所があって、そこが高級住宅地となっていることが少なくない。
そのせいか、東京は案外と電動自転車が普及している。坂道を登るのは大変なので、電動自転車は実に便利なのだろう。
ところで表題の書だが、多分20年ぶりの再読である。当初から私は大陸の広大さに憧れる主人公や李歐の気持ちがよく分からなかった。そのせいか、あまり印象にない本であった。
社会に出てシナの人たちとの交流が進むようになると、よくやくシナ人の気宇壮大なことは、なんとなく感じることが出来るようになった。でもなぁ~、桜の木を数千本植えようとする気持ちは、やはりよく分からない。
たとえ一本でも、桜の木は華やぐものだし、数が多ければ良いというものでもないと思う。私はむしろ他の緑の木々のなかにャbツリと華やぐ桜の美しさが好きだ。
なんとなく違和感を覚えつつも、久々に高村薫の緻密なミステリーを堪能しましたよ。多分、違和感の半分は、当初の原稿に後から手を入れ過ぎているせいでしょう。完璧主義者なのでしょうけど、あまり良い傾向だとは思えないのですけどね。
李歐、私も読みました。
大陸の風を感じる作品でしたよね。島国の日本人にはなかなか肌で感じるのは難しいですが、憧れを感じる気持ちはよくわかります。
私も大平原では暮らせないかな~。そもそも、動物としての人間は森林出身だし、平原に進出するのはかなりの勇気と危険をともなっただろうと思います。その危険が、さらなる進化も促したのでしょうしね。
でも森も浮「な~。(;´∀`)
平原の浮ウと、森の浮ウは別物だと思いますが、恐浮ェ進化を促した可能性は高いでしょうね。もっとも、それ以上に欲が進化を加速させた可能性も高いとも思います。