世界史の教科書に銘記すべきことがある。
戦争は平和主義者が引き起こすことがある。この単純にして明快な事実が日本の歴史教科書に記載されていないことこそ、戦後の日本の学校教育が如何に問題が山積されているかを示している。
以前にも書いたが、私は小学生の時、先生もグルになったいじめを受けている。先生が私を嫌ったののは無理もないと思う。なにせ私はその先生が陶酔して語る平和主義が大嫌いだったからだ。
私は幼少時を米軍基地の隣町で過ごしている。白人の子供たちの日本人を見下す目線は今でも思い出せる。英語なんて全然分からないが、白人のガキどもが言っていることが、日本人を馬鹿にしていることぐらいは察せられた。
理屈もへったくれもない。目が合えば怒鳴り合い、取っ組み合っていた。恥を忍んで云えば負けたほうが多い。なにせ奴らは身体がデカい。ケンカの強さ=体格だと思い知らされた。でもデカいってことは、弱点も大きいってことだ。
私が狙ったのは首であり、足の甲や脛だった。一番得意だったのは、奴らのどてっぱらに頭突きを食い込ませ、足の甲や脛を拳に握りこんだ小石で削る。そして背後に回って首を絞める。締めながら数を数えて、十数秒ごとに力を緩める。これを何度か繰り返せば、大半の奴らは負けを認める。
我ながら汚い喧嘩だと思うが、あの街ではそう珍しい遣り口ではなかった。だから転校先で突っかかってきたクラスメイトを、小石入りの靴下で殴り倒した時も、別に悪いことだとは思わなかった。それが周囲から嫌われる遣り口だなんて知らなかった。
もっとも転校一年目のクラス担任はしっかりした人で、喧嘩両成敗だと拳で教えてくれた。おかげですぐに転校生いじめは収まった。しかし翌年の進級後の新しい担任とは相性最悪であった。
このアホは「世界の人たちが笑顔を交わして手を取り合えば、戦争の無い平和が実現する」と理想に酔い痴れている世間知らずであった。碌に言葉も通じない白人のガキどもと散々やり合い、喧嘩して後お互いの遊び場所を確保することが当然の街で育った私は、のっけから「こいつ馬鹿なのか?」と呆れた。
戦って互いの存在を認め合い、無駄に傷つかないように均衡を保つことが実際の平和の実相だと、今なら言える。当時、まだガキで知識も知恵もなかった私には、まともな抗弁などできやしなかった。
そんな私にガンジーの無抵抗主義や、国連の理想を説く若い教師は、すぐに気が付いた。私がろくに話を聞いていないことを。だから私は嫌われた。そうなるとクラスの目ざとい奴らは、私をターゲットにしたイジメという遊びを始めた。
さすがに一対多数では勝ち目がない。だから放課後、帰宅時を狙い相手が一人の時に襲い掛かってやり返した。おかげで幾度となく交番に連れ込まれた。母は仕事だったので、おばあちゃんが迎えにきた。ありがたいことに、おばあちゃんは私を一切叱らなかった。だから私はおばあちゃんには頭が上がらない。
ただその後、若い担任は大騒ぎした。男のヒステリーは実にみっともないものだと、この時知った。校長室に呼ばれて、教頭や校長の前で盛んに「こんな悪ガキは施設に入れるべきだ」と騒いだが、私が涙ながらに必死で抵抗する姿を見た校長は、私を別室に下げて、なにやら若い担任に説教していたらしい。
おかげで私に対するイジメは激減したが、周囲からの無視といった村八分扱いであった。その後、母は教職に就いている叔父と相談したらしく、家族ぐるみで引っ越すことになった。母はなにも言わなかったが、引っ越しの原因は間違いなく私だろう。せっかく友達が出来た妹たちには悪いことをしたと思う。
あれから半世紀たった今だからこそ分かるが、担任の未熟さはともかく、イジメを見て見ないふりをしていた他のクラスメイトも共犯者だと思う。実は私に同情的なクラスメイトも確かに居た。でも、彼らはどうしたら良いのか分からなかった。だから無関心を装ったのだと思う。
白状すると、私はイジメっ子たちに逆襲して怪我させたことを悪いとは、まったく考えていない。それは今も当時も変わっていない。私が逆襲したからこそ、イジメは一応収まった。孤独ではあったが、安全を確保できたと考えている。もっともあの学校に居続けたら、私は間違いなく不良となっていたとも思う。実際、他校の悪ガキどもと一時期つるんで悪さをしていたぐらいだ。本格化する前に転校したので、真面目な子供に戻れただけだ。
戦わなければ守れないものがある。私の子供時代に刻まれた手痛い教訓であった。それが正しかったのだと確信できたのが表題の書を読んだ時だ。第一次世界大戦における悲惨な戦いの記憶が多数の平和主義者を産んだ。
そして、その平和主義者たちが政権をとることを許したが故にヒットラーは増長した。明確な敵意をもって迫ってくるヒットラーを早期に軍事的圧力で抑えていれば、第二次世界大戦は避けられたと著者は主張する。それが正しいか否かは確証はない。しかし、平和に囚われて戦うことを忘れれば、他者の侵略を許すことになることは、歴史の教訓として学ぶべきことだと思う。
その事実から目を逸らす日本の教育界は、いつか手痛い目に遭うと、私はほぼ確信しています。そのことを教えてくれたのが、表題の書でした。何故か再販されていませんが、図書館か古本屋で探してみてください。それだけの価値はある書だと思いますよ。
同感ですね。私も中学時代は暴力を受けていました。教師など助けてもくれません。自分の身は自分で守るしかないと痛感し、その後空手や剣道をすることにつながりました(剣道は今も続けています)。できることなら、もう一度その時代に戻って復習したいという気持ちはありますね(笑)。