ヌマンタの書斎

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プロレスってさ 新日本プロレス編

2006-02-09 12:21:30 | スポーツ

1970年代後半から80年代にかけては、今とは比較にならないほどプロレスは人気がある娯楽でした。猪木の新日本プロレスと、馬場の全日本プロレスが中心でしたが、プロレスブームそのものは、どちらかといえば、新日本プロレスが中心でした。

私は格闘者としては、案外馬場のほうが強かったのでは?と思っていましたが、プロレスラーとしては、猪木のほうが断トツで面白かった。私人としての猪木は、ほら吹きで、嘘つきで、かっこつけ屋でしたが、だからこそプロレスは面白かった。どんなヘボい相手でも、そこそこ観客を盛り上げる術を知っていた役者でした。それに比べると馬場は試合の相手を選んだ。いや、選ばざる得なかった。異様な長身であった馬場は、大柄の外国人相手でないと、試合が盛り上がらなかった。ただし私人としての信用度は、馬場の方が格段上でしょう。胡散臭さが付きまとうプロレス界にあっても、馬場のビジネス上の信用は常に安定していたものです。

一方、興業主としての実績は猪木、というか新日本プロレスのほうが上でした。IWGPというチャンピオン・ベルトを創り上げたり、異種格闘路線でプロレスの格上げを目指したり、旧・ソ連から金メダル・アマチュアレスラーを連れてきたりと、常に話題の中心を担っていました。

格闘路線について一言、言わせて貰うと、元々技を受け合うことを前提とし、相手の技をかわすディフェンス技術をもたないプロレスラーが、真剣な格闘技をやること自体無理がある。私が知る限り、ほとんどの試合が、勝ち負けのシナリオらしきものがあったらしい。相当な金が動いたはずですよ。まあ、観客としては、盛り上がって、楽しければいいのですがね。

新日本プロレスがおかしくなりだしたのは、猪木の無茶苦茶な経営が原因だと言わざる得ない。猪木がレスラーとして実力があった時は、それでも不満を抑える事ができた。しかし、実力が落ちだした80年代後半からは、所属レスラーの離反を抑えきれず、あげくに猪木本人が政界へ逃げ出す始末。

見方を変えれば、よくぞ今日まで続いたものです。私自身はと言えば、自分がプロレスごっこをやらなくなってから、つまり社会人になってからは急速にプロレスに対する関心が薄れ、試合場にも足を運ぶことはなくなりました。それでもね、昔の試合をTVやビデオで観たりすると、懐かしさがこみ上げてきます。その面白さ、興奮は今のK1以上のものでしたからね。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (jin rock)
2006-02-09 19:58:51
よく いい選手が いいコーチになれるとは 限らないとか いい兵士が いい将校だとは 限らないと言いますね でも猪木の信者は 数知れずいます 猪木のあとには 道が続いてます まだまだこれからです 
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Unknown (ヌマンタ)
2006-02-09 20:19:01
たしかに猪木信者は多いね。現在のプロレス界でも、猪木の弟子といっていい人たちの活躍ぶりを見ているとうなずけます。はっきり言って、私、新日派でしたしね。
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Unknown (jin rock)
2006-02-12 05:39:27
いまさらですが 新日本 大幅なリストラと若返り策を 打ち出しましたね
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