ヌマンタの書斎

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誰のための改正なのか 准看護師制度

2017-09-25 12:07:00 | 社会・政治・一般

どれが正解とも言いかねるが、改善すべき問題だと思う。

日本において看護婦が、看護師と呼称が替わったのは、2002年からだ。背景には、男性の看護士が増えたことがある。以前は女性は看護婦、男性は看護士とされていたが、男女雇用均等の面などから、看護師へと統一された。

もっとも、これは表向きの話。この改正にいたるまでの、裏こそが本当の問題であった。それが准看護婦問題。

まず、看護婦は国家が認定する制度。准看護婦は都道府県が認定する制度です。また准看護婦は、その役割として医師や看護婦の監督下で業務を補佐することとされています。

法形式的には、上記のようになりますが、実態はかなり異なりました。まず、少なからぬ病院、特に診療所では看護婦も准看護婦も同じ業務をしていました。また、給与面で准看護婦は看護婦よりも若干安く設定されるため、多くの医院では、准看護婦を必要としていました。この雇用者である病院経営者側からの要望があり、准看護婦制度は維持されてきた。

というのは、看護婦側からすると、准看護師制度は廃止して欲しかったようで、何度となくそのような意見が厚生省に出ています。また厚生労働省側でも、統一した新制度に移行したい意見は強かった。

しかし、政治的な意見が錯綜した結果、看護婦は看護師へ、准看護婦は准看護師に名称変更しただけで、抜本的な解決はされていません。

私はかなり入院生活が長かったので、この両者の違い、微妙な関係について否が応でも気が付かざるを得なかった。正直、今でもなんとかするべきだとの思いは強いです。

にもかかわらず、私は具体的にどうするべきかのアイディアを持ち合わせていない。

高齢化社会を迎える21世紀の日本では、この問題は非常に重要となります。特に医療関係者では関心が高いにも関わらず、未だ解決策は見出されていない。

入院などの経験がないと、あまりピンとこないので、少し書き記してみたい。

まず、看護師になるための勉強は、かなり難しく、それゆえに看護師さんたちの多くはある種のエリート意識をもっています。つまり誇りをもって医療業務に従事しているのです。

一方、准看護師になるための勉強は、看護師ほど難しくはない。むしろ資格を取りやすく設計されている。両者に医療知識、科学知識などにおいて差があるのは事実です。

ところが、医療の現場においては、両者はほぼ同じ仕事をしている。厄介なことに、点滴を打つとか、採血をするなど痛みを伴う、つまり患者側に分かり易い技量の差は、ほとんどありません。

というか、医者もそうなのですが、この身体に針を刺すという作業は、かなりの個人差があります。上手な人だと、巧みに痛点を避けて、患者にほとんど痛みを感じさせない。ところが下手な人は、いくら知識があろうと、患者からは痛いと明確に分かるため、腕の差がはっきり出る。

私はこの30年以上、おそらく500回以上、針を刺されてきた経験があるので、看護師と准看護師との間に技量の差は大してないと断言できる。いや、正確にいえば、上手い人は資格に関係なく、痛みをほとんど感じさせずに刺せる。

どうも資格とか、知識の問題ではないようで、不明確な表現になりますが、個々人のセンスの差としか言いようがない。

とはいえ、最新の医療行為の補助なんかは、知的水準の高い看護師が必要不可欠だし、率直にいって高い学習能力を要する看護師のほうが適応能力は高い。

ところが、病棟などで日常的な医療業務となると、実地経験の積み重ねがものを言うので、看護師と准看護師との間に差異を見出すことは難しい。いわんや、医師個人の診療所などでは、簡単な業務が大半なので、無理に看護師を雇うよりも、少し給与が安い准看護師のほうが需要が高い。

この現実が、医師会が准看護師制度の維持に固執する最大の理由なのです。

でも、私は技量の高い准看護師が少なからずいることを知っている。少子化と、高齢化社会を迎える日本にとって、医療補助者の確保は重要な課題です。外国人看護師の導入とも関係します。

今、私に言えるのは、医師にせよ、看護師、准看護師にせよ、一律な評価をしてしまうことが、この問題の根底にあると思います。現行の医療制度では、腕に良し悪しではなく、一律の点数が付いて保険医療収入が計算されます。

これが悪い制度ではないのですが、あまりに一律すぎて、かえって悪平等になっている。技量とか経歴とか、その人個人の資質、実績などを加味して、ある程度自由な評価を認めないといけないのではないか。

出来ないとは思いません。実際、美容整形等自由診療(社会保険制度不適用)では、ある程度実現しているのです。腕にいい医師のもとには患者が集まる。ある意味、非常に厳しい市場原理に基づく平等なシステムです。

ただ、不正も少なくない。だから厚生労働省や一部の医師などから反対される。それも一理あると思っている。それでも、現状が良いとも思わない。制度にもう少し柔軟性があっても良いと思うのですがねぇ。


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3 コメント

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Unknown (ヌマンタ)
2017-09-26 12:48:11
青蛙堂さん、こんにちは。実体験からのお話、ありがとうございます。私は患者サイドとして看ていただけですが、やはりこの制度的な矛盾には以前から疑問をもっていました。今日、その記事をアップしました。

準看護婦制度は時代の要請から育まれたものである以上、時代の変化に対応せねばならないのでしょう。でも、今の改正の仕方はおかしいと思います。ただ、私自身、では対案があるかと云われると、正直自信がない。
医業と顧問先に抱える立場からの考えもあるし、長年患者として世話になった立場からの意見もあります。万全の対案がないのが実に切ない。介護制度と合わせて、総合的に考えるべきなのだと、現在いろいろと考えております。
返信する
Unknown (青蛙堂)
2017-09-26 07:47:47
追記)
準看をめざす人がいたら。
まずは二年間で80~100万円です。入学金含めとすると安いです。それと実習指定校なら、たいてい推薦枠を病院が持ってます。
そして病院にお礼奉公をする気あれば、病院の奨学金で銭なくても入試入学できますよ!
お礼奉公は高看(正看)でも普通です。卒後にパートしながら高看学校に通う手もあるです!私は高看は退学したけど、看護より学費のバカ高い鍼灸マッサージの学校に通えたのは、準看になって、働いて金を貯めてるからです。卒後に高看学校に通うとしても、看護助手(介護職員)とはサラリーが全然に上ですから!
助手しながら準看学校に通う時よりは楽になるはずです!
どんどん廃止されているので、今がラストチャンスです。
返信する
Unknown (青蛙堂)
2017-09-26 03:47:48
えーと…今だから明かせば私は準看護師の資格を持ってます。鍼灸マッサージ師ですけど。ヌマンタさんには、かなり前にに学校中退したと書いたのですが、それは正看護師の学校の話で。
今では看護師の仕事はしてませんが、休業生活に入ってから、地元の自宅入浴サービスで頼まれて手伝う時に準看護師資格をいかしてます。
で、ペーパーナースとしてですが……
現在、次々と準看護学校は閉鎖されてます。私が卒業した準看護学校も既に閉鎖されてきた。
これは看護師の地位と収入向上をめざす正看護師たちの要望ですね。
私は、これは「貧しい若者が社会的に上昇するチャンス」や「中年から働きかけながら仕事をやり直すチャンス」を奪う事と考えています。
正看護学校→安くて三年で200万~300万
準看護学校→二年間。80万円。働ける。

この差を見て欲しい!
準看護学校は、ほとんどの生徒が看護助手として働いてる。働きながら通えるし
、社員のまま学生社員として身分保証されたまま通える所も多い。
それどころか……私は自分の個人特定に繋がりそうな情報は書きたくないけど、
もし、記事を読む方に、看護師になりたいけど…って方がいるのに備えて。
俺の出身ではないけど、小平駅側の多摩剤生病院なんかは、看護師でなくても寮に入れてくれます。24時間開いてる(無人)食堂があって、介護職員から学生の道を取れば、身一つで寝床と食の補償つきで学校いけますよ!
多摩剤もそうだが、学校の実習先の病院を選ぶこと。精神科の長谷川病院?や根岸病院など。そういう病院に勤めれば、
社会人入学枠の推薦を受ける事も可能!
かなり体力的なきついですが、働きながら学校に通えます。
卒後、正看護師の学校に行かずとも、在職10年で、通信教育による正看昇格が可能となります。
私の元同僚にも、御主人の協力で卒後に清瀬の看護大に進んだエリート看護婦いるし。中年から看護師になった者。
フリーターから看護師へと変わった娘さん。みんな貧乏な若者でした!
そういう人達が看護師へ転身できるチャンスを奪わないで欲しい!!
自分たちのエリート意識で、準看護師を切り捨てようとする正看も卑怯です。

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