肉なら、なんでもいい。
十代の頃は、本気でそう思っていた。だから焼肉食べ放題となれば、その肉が牛であろうとブタであろうと気にしたことさえない。北海道でジンギスカンの食べ放題の店に行った時でさえ、その肉が羊であることも意識しなかった。
要は、肉ならなんでもいい。
実際、肉の種類なんぞ、まったく考慮することはなかった。値段が高い肉が美味しい肉なんだろうな、と勝手に判断していた。ロースもヒレもへったくれもなかった。
まったくもって、情けない話である。少しいい訳させてもらうと、我が家で焼肉を食べることは、ほとんどなかった。ステーキなんぞ夢の国の食べ物で、焼肉さえ記憶が無い。食べだしたのは、大学生になってからだ。
我が家で肉料理といえば、母の作るハンバーグであり、シチューやカレーの中に潜む肉のことであった。たまに祖父が築地に買い物に行った帰りに、スエヒロというお店で牛肉の細切れをお土産に買ってくれたことがあった。
この肉は美味しかったが、焼肉のタレで濃厚に味付けしてあったので、肉本来の味が薄れていた。そんな私にとって、肉とは焼き鳥であり、チャーシューであり、ベーコンであった。
だから、高校生の頃に牛丼の吉野家でアルバイトした時は、賄いに特別に肉を大盛りにしたスペシャル丼(と勝手に命名)を掻き込むことが最高の贅沢、至福の一時であった。
そんな私が大学で、先輩たちに連れられて焼肉食べ放題の店に行った時は、肉の種類なんぞ頭になく、ただひたすらに肉を胃袋に詰め込むことにしか頭になかったとしても、それは仕方の無いことだった。
それほど焼肉に疎遠であった私だが、社会人になると自然と焼肉屋に行くことが増えた。なかでも、長年銀座の税理士として鳴らした故・佐藤先生は、大の肉好きであったため、そのご相伴に預かった私は、そこでステーキを知った。
いやいや、本当に美味しかった。値段もそれなりであったが、その値段に恥じぬ美味であった。やがて、オネエチャンを揃える店で飲むようになると、同伴出勤なるものを致す様になり、さらに焼肉の世界の深みにはまることとなる。
以来、十数年たいへんな出費であったと思うが、おかげで赤身の肉の美味しさは十分に堪能できた。おかげで、安い食べ放題の店には、もはや行く気になれなくなってしまった。やっぱり、美味しいお肉は、高い肉であると、ほぼ確信している。
ただし、それはあくまで、ただ肉を焼くだけの焼肉やステーキに限る。煮込んだり、炙ったり、蒸したりするような技巧を凝らした肉料理は、また別次元のものであることは、私なりに分っている。安い肉を、如何に美味しく調理するかが、料理の醍醐味だと思う。
一方、単純に焼くだけでは十分に味わえない焼肉の世界があることも、うっすらと分ってきた。それが白身の肉、すなわち内臓(ホルモン)肉の世界だ。部位により仕込みも、焼き方も違うようなので、積極的に食べることを避けてきたが、最近その魅力が分ってきた。
私がホルモンに興味を持つようになったのは、比較的最近のことだ。つまり現在、勉強中なのだ。もっと焼肉のことを知りたいし、ホルモンも知りたい。もっと、もっと美味しく食べたい。
表題の本は、一見して分るように在日韓国人の著者が、その学歴に相応しく冷静に日本における焼肉の歴史を述べると同時に、その種類、食べ方、エピソードなどを分りやすく解説してくれる。
もしかしたら極端な反日姿勢や、過剰なほどの愛国心に出くわすかもと警戒したのだが、むしろ自然体で歴史的な事実を客観的に述べるように務めている点が、たいへん好ましく思えた良作です。
焼肉に興味があるようでしたら、一読して損はないと思いますよ。
↓、貧乏人の味方であり、当然に私の味方です(笑。
>"食べ放題 大酋長"
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金返さないといけないのですが、今度いつえにわん新小岩店に来ます!?
(それと、いくらでしたっけ!?)。
とは言え、最近、行ってないな~、焼き肉。
近いうちにがっつりいきたいですが、このところ体重がやばくって・・・。(汗)
新小岩へは、いずれ伺うつもりです。その際にはユムに連絡しておきます。たしか63でした。