想像力って凄いと思う。
初めて読んだのは、週刊少年サンデーに30年ほど前に連載された「赤いペガサス」だと思う。まだ世間に知られていなかったF1レースを舞台にした漫画で、ボンベイブラッドという稀有の血液を持つ主人公と妹との近親愛、ライバルやチームメイトとの確執など、少年誌とは思えないほどの濃い内容が印象に残っています。でも、まさか作者の村上もとかが運転免許証を持っていないなんて、想像すら出来なかった・・・そう、連載当時、車を運転したことはなかったそうです。
村上もとかは、その後剣道漫画である「六三四の剣」。登山家に焦点を当てた短編集「岳人(クライマー)列伝」など多数の漫画を描いていますが、剣道の経験はなく、登山の経験もない。いやはや、なんとも脱帽だ。漫画家へ資料を提供した編集者の力量もさることながら、その資料だけであれほどの作品をものにするとは、ただただ敬服せざるえません。
やはり一番印象に残っているのが表題の「六三四の剣」です。岩手山の麓で警察官であり、剣豪である父の指導の下、少年剣士として育っていく六三四が、父のライバルの息子や日本各地の少年剣士たちと日本一を目指して戦い、成長していくドラマでした。
私は子供の頃、剣道なんてチャンバラごっこだと思っていたことがありますが、実はとんでもなく怖い武道でした。剣道をやっている奴と喧嘩(もちろん素手で)してみて分かったのですが、おそろしく間合いを取るのが上手い。しかも、ぶつかり合いに慣れているため、取っ組み合いにも強かった。なにより闘争心が凄い。戦い慣れていやがる・・・あれで棒でも持たしたらお手上げです。
強さの秘訣は精神面にあった気がします。あいつら剣道をスポーツなどと思っちゃいなかった。武道だと言い放たれました。その気迫になんとはなしに気圧されたことを覚えています。この気迫は、柔道や空手をやっている連中からも感じたものです。以来、どうも苦手意識があって、喧嘩早い割には格闘技系の武道からは、距離をおいていたものです。私のように、単に粋がって喧嘩する馬鹿には、格闘技は真面目すぎて、なんとなく気恥ずかしかったのが本音です。
それにしても、剣道の経験がまったくない村上もとかが、あれだけ迫力ある剣道の試合を描けるのだから、人間の想像力って凄いと思う。
初めて読んだのは、週刊少年サンデーに30年ほど前に連載された「赤いペガサス」だと思う。まだ世間に知られていなかったF1レースを舞台にした漫画で、ボンベイブラッドという稀有の血液を持つ主人公と妹との近親愛、ライバルやチームメイトとの確執など、少年誌とは思えないほどの濃い内容が印象に残っています。でも、まさか作者の村上もとかが運転免許証を持っていないなんて、想像すら出来なかった・・・そう、連載当時、車を運転したことはなかったそうです。
村上もとかは、その後剣道漫画である「六三四の剣」。登山家に焦点を当てた短編集「岳人(クライマー)列伝」など多数の漫画を描いていますが、剣道の経験はなく、登山の経験もない。いやはや、なんとも脱帽だ。漫画家へ資料を提供した編集者の力量もさることながら、その資料だけであれほどの作品をものにするとは、ただただ敬服せざるえません。
やはり一番印象に残っているのが表題の「六三四の剣」です。岩手山の麓で警察官であり、剣豪である父の指導の下、少年剣士として育っていく六三四が、父のライバルの息子や日本各地の少年剣士たちと日本一を目指して戦い、成長していくドラマでした。
私は子供の頃、剣道なんてチャンバラごっこだと思っていたことがありますが、実はとんでもなく怖い武道でした。剣道をやっている奴と喧嘩(もちろん素手で)してみて分かったのですが、おそろしく間合いを取るのが上手い。しかも、ぶつかり合いに慣れているため、取っ組み合いにも強かった。なにより闘争心が凄い。戦い慣れていやがる・・・あれで棒でも持たしたらお手上げです。
強さの秘訣は精神面にあった気がします。あいつら剣道をスポーツなどと思っちゃいなかった。武道だと言い放たれました。その気迫になんとはなしに気圧されたことを覚えています。この気迫は、柔道や空手をやっている連中からも感じたものです。以来、どうも苦手意識があって、喧嘩早い割には格闘技系の武道からは、距離をおいていたものです。私のように、単に粋がって喧嘩する馬鹿には、格闘技は真面目すぎて、なんとなく気恥ずかしかったのが本音です。
それにしても、剣道の経験がまったくない村上もとかが、あれだけ迫力ある剣道の試合を描けるのだから、人間の想像力って凄いと思う。
剣道は 同じ段数なら 空手や柔道よりも 3倍強いと言われてます
ことができるんでしょうね~。
経験してるとその経験が実体験レベルでストップかけ
てしまう。絵コンテなどでも、経験のない世界をもっ
ともらしく描かなければならないことがよくありま
す。不思議なもんで、知ってる世界だと「こうなんだ
よね」とか意識の底で決めつけちゃって、こじんまり
納まりすぎて納得行かない
ってこと、あります。
想像力って、際限ないですからスゴイです。
ほんと、想像力って凄いですね。地球上では、人間にのみ与えられた才能かもしれませんね。
運転免許すら持たずに、「赤いペガサス」や
「ドロファイター」「熱風の虎」を描き、
厳冬期エベレストどころか夏の里山すら登ったこともないのに「クライマー列伝」
駐≠ャったこともないのに、「六三四の剣」。
体験ゼロで描けるのは、やはり「プロのマンガ家」
なんだと思います。題材に対して素人でも、マンガ家としてプロであると。
体験が描くに不可欠なら、ドストエフスキーはどっかで守銭奴の金貸しババアを斧で殺してなきやなりません。どころかエスエフなんか書けないてことになります。本来は村上氏みたいな在り方が本当のクリエーターで、体験しないと描けないヘミングウェイみたいな方が異常なのでなきでせか?
私なんぞ、自分である程度体験しないと書けません。多少の編集というか強調や創作も付加しますが、基本実体験がないと記事は書けません。
クリエーターとして、そもそも筋が違う。
確かにクリエーターには、調べたり、取材を重ねて、何らかの行動を基に書く人たちと、創造力を駆使して書く人たちとに別れるようですね。
たぶん、邪推かも知れませぬが、純正のフィクション作家は、案外に、実体験を描くことができないのでないすかね?