無粋は嫌いだ。
公序良俗に反するとか、徒に欲情を扇動するとかの理由で、日本では性器を露にしてはならないとされている。映画、写真など、様々な表現に対して、黒墨や黒マジック、最近はモザイクなどで性器が露出しないよう、お上の指導が入る。
断っておくが、私は性の露出に関しては、やはり規制は必要だと考えている。ただし映画や写真などの作品に直接規制(改竄であり、破壊行為でもある)を掛けるのではなく、入場規制などの機会を制限するかたちが望ましいと思う。
馬鹿げていると思うのは、性器そのものを見えなくするようにすれば、公序良俗を守り、過剰な欲情を抑制できると考える、お役所の見識の低さだ。芸術とは、人間の本能に訴えるものなのだから、性器が一部露出しているだけで、それを否定するのは極めて愚かで、無粋だと思う。
そもそも、役人に判断させること自体、間違っていると思う。せめて立法府で判断すべきことだと思うが、なぜかお役人に任せている。それが日本人の気質なのだと言われれば、そうかもしれないと思うが、それでもやっぱりオカシイと思う。
80年代までは陰毛が露出すること自体、やましいことだとされていたから失笑するしかない。最近、昔はぼかしが入っていたはずの映画をDVDで観たが、なぜに、ぼかしが入っていたか理解が出来なかった。ぼかしの必然性が、まったく分からない。陰毛が見えただけで、過剰に欲情するとは、どうみても思えなかった。
世の中には、隠した方がイヤラシイ場合だってある。それを意図して隠す方が、はるかに扇情的だと思う。初めて海外旅行に行ったハワイで、ドラッグストアの奥に堂々展示されていた、100%露出しているHな雑誌は、全然イヤラシサが物足りなかった。あれほどまでに、あっけらかんと性器を露出されると、かえって淫靡さに欠ける気がする。
実は、私が初めてイヤラシイと思った本が表題の「人間豹」だ。悪役がヒロインを裸にして、豹の毛皮のなかに閉じ込めて、いたぶる場面を読んで仰天したのは小学生6年の時だった。誤解されると困るので断言するが、私にSMの趣味はない。だが後年読んだ「チャタレイ夫人の恋人」なんぞと比べても、格段に扇情的で淫靡であったと思う。
作者の江戸川乱歩は「怪人二十面相」を初めとして明智小五郎ものが好きで、熱心に読んでいたのだが、「パノラマ島奇談」を始として、けっこうスケベな作品が多い。私は小学生の頃から、大人向けの推理小説を数多く読んでいたので、スケベな少年に育ち、やがて性犯罪を犯すように・・・
そんなわきゃない! そりゃ、人並みにスケベだとは思うが、正統派のスケベだ。人様に後ろ指刺されるようなHはしたことない。まして性犯罪なんぞ、するかいな。
馬鹿げた性規制なんぞ、性犯罪の抑制の役には立つわきゃない。人間に性欲がある以上、いくら性に関する規制をかけても、性犯罪はなくならない。ただし、青少年の健全な育成という観点から、ある種の規制はあってもいいとは思う。でも、性器を隠すことが規制になるとは思えない。性行為なら、分かるけどさ。
ところで今回、再読してみて思ったのだが、「人間豹」は推理小説としては駄目だと思う。明智小五郎まるで推理してないしね。でも、単純にエンターテイメントとしてはどうか。う~ん、猟奇に頼り勝ちで、いささか消化不良の感が強い。ちょっと、がっかりの再読でした。
公序良俗に反するとか、徒に欲情を扇動するとかの理由で、日本では性器を露にしてはならないとされている。映画、写真など、様々な表現に対して、黒墨や黒マジック、最近はモザイクなどで性器が露出しないよう、お上の指導が入る。
断っておくが、私は性の露出に関しては、やはり規制は必要だと考えている。ただし映画や写真などの作品に直接規制(改竄であり、破壊行為でもある)を掛けるのではなく、入場規制などの機会を制限するかたちが望ましいと思う。
馬鹿げていると思うのは、性器そのものを見えなくするようにすれば、公序良俗を守り、過剰な欲情を抑制できると考える、お役所の見識の低さだ。芸術とは、人間の本能に訴えるものなのだから、性器が一部露出しているだけで、それを否定するのは極めて愚かで、無粋だと思う。
そもそも、役人に判断させること自体、間違っていると思う。せめて立法府で判断すべきことだと思うが、なぜかお役人に任せている。それが日本人の気質なのだと言われれば、そうかもしれないと思うが、それでもやっぱりオカシイと思う。
80年代までは陰毛が露出すること自体、やましいことだとされていたから失笑するしかない。最近、昔はぼかしが入っていたはずの映画をDVDで観たが、なぜに、ぼかしが入っていたか理解が出来なかった。ぼかしの必然性が、まったく分からない。陰毛が見えただけで、過剰に欲情するとは、どうみても思えなかった。
世の中には、隠した方がイヤラシイ場合だってある。それを意図して隠す方が、はるかに扇情的だと思う。初めて海外旅行に行ったハワイで、ドラッグストアの奥に堂々展示されていた、100%露出しているHな雑誌は、全然イヤラシサが物足りなかった。あれほどまでに、あっけらかんと性器を露出されると、かえって淫靡さに欠ける気がする。
実は、私が初めてイヤラシイと思った本が表題の「人間豹」だ。悪役がヒロインを裸にして、豹の毛皮のなかに閉じ込めて、いたぶる場面を読んで仰天したのは小学生6年の時だった。誤解されると困るので断言するが、私にSMの趣味はない。だが後年読んだ「チャタレイ夫人の恋人」なんぞと比べても、格段に扇情的で淫靡であったと思う。
作者の江戸川乱歩は「怪人二十面相」を初めとして明智小五郎ものが好きで、熱心に読んでいたのだが、「パノラマ島奇談」を始として、けっこうスケベな作品が多い。私は小学生の頃から、大人向けの推理小説を数多く読んでいたので、スケベな少年に育ち、やがて性犯罪を犯すように・・・
そんなわきゃない! そりゃ、人並みにスケベだとは思うが、正統派のスケベだ。人様に後ろ指刺されるようなHはしたことない。まして性犯罪なんぞ、するかいな。
馬鹿げた性規制なんぞ、性犯罪の抑制の役には立つわきゃない。人間に性欲がある以上、いくら性に関する規制をかけても、性犯罪はなくならない。ただし、青少年の健全な育成という観点から、ある種の規制はあってもいいとは思う。でも、性器を隠すことが規制になるとは思えない。性行為なら、分かるけどさ。
ところで今回、再読してみて思ったのだが、「人間豹」は推理小説としては駄目だと思う。明智小五郎まるで推理してないしね。でも、単純にエンターテイメントとしてはどうか。う~ん、猟奇に頼り勝ちで、いささか消化不良の感が強い。ちょっと、がっかりの再読でした。
山田風太郎の忍法帳は、いかれた発想を描きながら、どこまで奇想を展開できるか著者がゲーム感覚に醒めている感じがします。
乱歩は変態を語るのが愉しくてたまらないような、
作家があちら側に全開なのてすよ。私見ては。
そこにドン退きしたくなるのてすね。