新年、おめでとうございます。
今年は申年ということですが、はたして如何なる一年になるのか。期待よりも、不安が先立つのは、やはり昨年の停滞感が大きいと思うのです。
年の瀬に、顧客回りをしていて、気が付かざるを得ないのは、中小企業や零細事業者の高齢化と人手不足。県庁所在地の都市の駅前でさえ、シャッターの下りたままの商店が少なくなくない。また、工業団地に足を運べば、工場は更地となってトラックの駐車場や、資材置き場、廃材置き場になっている。
だが、その一方では、24時間稼働している工場もあり、常時求人募集をしている。その工場を覗かせていただくと、働いているのは高齢者と外国人ばかりだったりする。
経営者に伺うと、若い日本人が欲しいが、来ても続かないし、そもそも募集にすら応じてくれない。結果、長年勤続している中高年の日本人と、昼間は主婦のパートであり、夜と深夜は外国人労働者が頼りとなる。
その話を聞いた後、帰路の駅前には、昼間にもかかわらず暇そうな若者たちがスマホ片手に集まっている。その様子からして、働いているようには思えなかった。親や祖父母からの援助があれば、働かなくても食べていけるのだろう。
だが、その一方で、冬空に必死で働く若者だっている。その姿に逞しさを感じつつも、半世紀後の日本を思うと、激変しているであろうことが容易に想像できてしまう。
申年のサルは、当然にニホンザルだが、これは日本の固有種で、世界でも最も寒い地域に棲息しているサルでもある。本来は短毛のアカゲザルの一種であったと思われるが、夏は暑く、冬は寒い日本の気候に合わせて進化した固有種となっている。その適応には知能の高さがあったからこそだと思う。
サルは賢い動物である。が、賢い動物は他にもいる。にもかかわらず、サルから類人猿が進化し、やがては猿人となり、現在の人類へと進化に至った。その最大の原因は、直立歩行により手が自由になったことだと云われている。
アフリカの大地溝帯の樹林帯から放り出され、草原に棲むようになったサルは、立ちあがることで視界を広げて安全を確保した。その際、歩行の手段から解放された手が、道具の使用に使われて知能を発達させた。
器用な動きをする手先こそが、サルを人へと進化させた大きな動機となっている。この手が石器を作り上げ、土器を練り上げ、火を使うことを可能にした。
せっかくの申年である。サルに倣って、再びその器用な手先で何かを作ってみようと思うのです。ある老人介護施設で見聞きしたのですが、痴呆に陥った高齢者に、編み物や折り紙をやらせたところ、痴呆の改善が見られたとのこと。
私も、いずれは高齢者の仲間入り。そろそろ、手を駆使した趣味を持とうかと考えております。まだ何にするか決めていませんが、それを模索する年にしたいと思います。
それでは、本年もよろしくお願い申し上げます。
私も数年前から物忘れがはげしくなてきたのに加え、込み入った話を聞いてるとボ~っとしちゃたっりする様になってきて、焦っています。(笑)
実は半年前位からPCのチェスゲームにはまってて、ボードも買おうかと思っています。少しは頭の体操になるかな?
あと、ルービックキューブも買いました。(爆)
こんな調子の私ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。<(_ _)>
手先を使う趣味といってすぐに思い浮かぶのは楽器や手撃ナすが
実用的なところでは料理もありますね。
複数のプロセスを同時進行するところが脳にいいとか?聞いたことがあります。
私もみなさんからたくさん刺激をいただいて
好奇心旺盛な年にしたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願いします。
今の世の中、全てにおいて二極化が進んでいるのか、富裕層と貧困層、教育熱心な家庭と教育に無関心な家庭、アベノミクスの恩恵を受ける大企業と皺寄せばかりの中小企業、そして、懸命に働く人と働かない人、と両極端に分かれているように見えます。
ヨーロッパの混乱を見ていると、移民受け入れには諸手をあげて賛成とは言えないけれど、このまま少子高齢化が推移して行く日本の将来を考えると、どうしたら良いのか考えあぐねてしまいます。
個人的には、心を鬼にして?息子を厳しく育てて来た私としては、子供を甘やかす親の無責任さが理解できません。甘やかしは子供の自立を妨げる恐れもあり、虐待行為に等しいと思います。新年早々、また熱くなってしまいました(汗)。
今年も、改めて考えるきっかけを与えてくれる多彩な記事を期待しております。相変わらず怒りん坊な私ですが、本年も引き続き、よろしくお願いいたします。
そういえば年末の美術館のWSでボランティアを務めた(都立高校では年に一回、何らかのボランティア活動に参加することを義務づけているそうです)都立高校生が「小さい子供と接する機会がこれまで全然なかったけれど、接してみると子供って案外かわいいなあと思いました」と事後の感想を述べていました。少子化解消の策として、若者と幼い子供達の接点をもっと増やすのもひとつの手かなと感じました。
それと、便利な言葉ですが、少子高齢化とひとくくりにしない方がいいと思います。それぞれ、原因も対策も異なるので、少子化問題、高齢者増加問題と別個に捉えた方が、より具体的で、現実的な対応となると私は考えています。