火曜日の朝、何気にスポーツ新聞をみたら、なんと逆鉾の死去が報じられていた。
私が大学生の頃のお気に入りの力士であった。最高位は小結であり、幕内優勝とは無縁の関取であった。しかし、その取り組みは面白かった。
得意なのは、がぶり寄りなのだが、はまるとそこからの技が多彩で見応えがあった。観ていて面白い相撲が取れる人だった。だから人気もあった。
でも、敢えて言えば、八百長相撲の上手い人でした。演技力抜群の相撲取りであったと思います。批難している訳ではありません。むしろ相撲という興業にあって必要不可欠な人材だと評価しています。
相撲は基本的に格闘技ですが、興業である以上、観客を沸かせる面白みがなければ経営的に続きません。何度か書いていますが、相撲でも本気で戦っている幕下の相撲は迫力こそありますが、素人が観て楽しいものではありません。
素人が観て楽しめるのは、概ね十両以上ではないでしょうか。幕内でも、シブい相撲をしちゃう人、居ますけど相手が合わせてくれるので観れる取組になっているだけ。
その合わせるのが上手かったのが逆鉾関でした。この人、多分運動神経が良い以上に、頭が良かったと思います。不器用な相手だと、わざと苦戦して土俵をわたわたと回り、熱戦を演じて観客を沸かせる技量のある人だったと思います。
ただ、相撲取りとしては小兵であり、横綱は無理で、大関だって無理だったと思います。ただし、不器用な横綱(誰とは言いません)や大関とも熱戦を演じられる器用さが重宝される人だったと思います。だから千代の富士とは仲が良かったですね。
三賞をよく取れたのも、この演技力のせいだと思います。実際見応えのある熱戦をよくやれる人でした。ただ八百長相撲の多い方だったので、若貴が人気の時代になると、次第に居場所をなくしていたような気がしていました。
若乃花は後に八百長相撲に関わっていたようですが、貴ノ花は頑固にガチンコ相撲を貫いていたので、やりにくかったでしょう。引退する頃には、身体が一回り小さく見えたのに驚いたものです。
そのせいか、晩年は少し不遇であったように思います。私としては残念です。彼のような素人でも楽しめる相撲をやってのける技量の高い力士が正当に評価されないのは。
私は下手な八百長相撲は真っ平ですが、逆鉾のように素人が楽しめる相撲を作れる力士はもっと評価されて良いと思うのです。最近ではいないタイプなので、その早過ぎる死は残念でなりません。
日本独特なのかもしれないが、日本人は桜が大好きだ。
そのせいか老朽化して倒壊が予測される桜の古木も、いざ早めに切り唐オて安全確保をしようとすると、たちまち地元で反対運動が起きる。
私の通勤路の途中にある桜の木も、反対運動のおかげで残された古木であった。惜しむ人の気持ちはわかる。なにせ根本回りだけで大人が二人手を回さないと囲めない巨木である。
毎年、3月の終わりになると、桜の花が満開となり近所の人だけの目を楽しませてくれる。公園のど真ん中にあり、シートを引いて酒宴を楽しむ家族連れが複数いた。わりと穴場の桜の名称であったと思う。
しかし9月に関東を直撃した台風15号の強風に、この桜の古木は耐え切れなかった。台風一過の朝には、この桜の巨木の内、一本が倒れていた。文字通り根こそぎに倒れていた。
公団のなかの敷地内であったせいか、その週末までには倒れた古木は撤去されていた。残されたもう一本の桜の巨木が、心なしか寂しげに見えた。
その後の団地内での自治会の会合の席での話が伝わってきた。
実はその桜の巨木は、地元では夫婦桜と呼ばれていたが、しばしば、どちらが夫で、どちらが妻なのかが話題になっていた。その論争に結論が出たそうである。
はい、残った桜が妻であったと認定(@自治会)されたそうである。不満げな方もいたそうだが、誰も反対することなく決まったそうである。
まぁ分からなくもない結論ではある。でも、夫のほうが長生きする夫婦もあるよなぁと思ったが、そこは黙っていた。
ただ私の周囲では、夫婦の片一方が先だった場合、残された方が元気にその後を生きるのは、圧倒的に女性だと思う。どうも男はだらしなくていけない。服装もだらしなくなるし、なんとなく覇気がなくなってしまう。
そう思うと、私のじいちゃんは偉かった。おばあちゃんが亡くなった後も、十数年生き延びた。まぁ、母が同居して食事などの面倒看ていたこともあるが、じいちゃんは海外旅行に、写真、近所の老婦人とデートとけっこう多忙であった。
最後に倒れた時も、母や叔父、叔母の大半が揃うまで息があったので、たいした生命力だと思う。でもね、おじいちゃん、あたしゃその真似は出来そうもないよ。
でも最後は台風の強風で悼オた桜の木のように、見事に散りたいとは思っているのですけどね。
パソコンが普及したことによるメリットの一つは、文章を書くことが楽になったことだと思っている。
私はワープロ世代ではあるが、パソコンの日本語入力機能には本当にお世話になっている。既に15年を過ぎたこのブログにしても、ワープロ機能なくしては、ここまで書けなかった。
それでも、いや、だからこそ手書きを大事にしたいと思っている。正直言えば、私は悪筆であり、だからこそワープロ機能をありがたく思っている。顧客に見せることがある資料は、大半がワープロ書きである。
でも、事務所内部でしか使わない資料は、可能な限り手書きで作っている。悪筆の私なので、いささか気恥ずかしさはあるのだけれど、出来るだけ手書きで仕事の内容を記述しておくようにしている。
なぜか。
一つには、漢字を忘れない為である。ワープロソフトを使うようになると、漢字を読むことには影響がない。しかし、漢字を書く力が確実に衰える。これは厭である以上に恥ずかしい。そのためにも、なるべく手書きを増やしている。
もう一つの理由は、修正や訂正をしっかりと残しておきたいからだ。ワープロソフトを使ってしまうと、修正や訂正が綺麗にできる。それは、それでありがたい。でも、後になって困ることがある。
なぜにこの修正をしたのか。当初のアイディアは何だったのか。それがワープロで綺麗に清書された文章からは読み取れない。手書きならば、二重線なり、消しゴムなりで直した形跡が残る。ここから、当初の誤り、勘違いなどが判別できる。これがありがたい。
手書きの場合、間違いなどを直した形跡が残ることが、後になって役に立つ。また、これは私の場合限定だと思うが、筆跡から当時の気分などが読み取れる場合がある。
基本、せっかちな性格なので、修正もちゃっちゃと行う。その場合、文字は走り書きのような乱れたものになる。しかし、熟慮して慎重に訂正などをした場合、その文字はいつもよりも几帳面なものとなる。
このあたりの私の性向は、数十年かわることのないものだと自覚している。だからこそ、手書きに拘っている。綺麗に清書されたワープロ文字からは、当時の状況を推測できるような文字は読み取れない。
その意味で、手書きの文字は浮ュもある。専門家が看れば、その文字からさまざまな推測が可能であろうと思う。
そんな文字の専門家として、かつてFBIにその名を遺した名捜査官が主人公に据えられたのが表題の作品である。「ボーンコレクター」でもそうだったが、終盤のジェットコースターは健在である。
おまけに安楽椅子探偵ライムもちょい役で登場している。序盤から中盤のスローペースが面唐セが、ラストに向けての疾走感はさすがの一言。秋の夜長を楽しむには最適の一冊ですぜ。
インターネットの普及は、必ずしも良いことばかりではない。
先週のことだが、北アルプスの剣岳で19歳の女性会社員の遭難と死亡が報じられた。ネット上のニュースでは、剣岳山頂で嬉しそうに自撮したツイッターだかインスタでアップしている姿が確認できる。
いろいろと思うことはあるのだが、この方、勘違いしていたのだと思う。
インターネットが通じる範囲が、通常の携帯電話の通話可能範囲を超えているらしい。私も北アルプスの3千メートルを超す稜線上からネットにinできることは耳にしていた。
私が十代の頃、既に立山山頂には登山シーズン限定で公衆電話が開設されていたから、剣岳周辺からネットに繋がるのも不思議ではない。だが、勘違いしてはいけない。
如何にネットに繋がろうと、山の中と街の中は違う。街中ならば、なにかトラブルが起きればすぐに警察や消防署に連絡がつくし、たいていの場合数分で駆けつけてくれる。
しかし山の中は違う。携帯やネットで連絡がついても、警察や消防署がすぐに駆けつけてこれる場所ではない。場所によっては数日かかることがある。
件の遭難死した方が如何なる状況で亡くなったのかは、まだ分からないが、危急の状況であることを知らせることも出来ない状態であったと推測される。
死者に鞭打つことは控えるべきなのかもしれないが、それでも敢えて言いたい。剣岳は一人で行くべき山ではない。相当に技量の高い登山者でも、単独行は避けるべき難峰である。
カニノヨコバイや、カニノタテバイが有名だが、他にも難所は多数ある。高度な登攀技術がなくても登れるように鎖などが用意してあるが、それでもかなりの難易度を誇る山である。
登山歴の浅い登山者ならば、複数人で挑むのが常識の山だ。また情報によれば、かなり遅い時間に登っていたようで、帰路の事故らしいが、おそらく明るい時間帯ではないように思う。
ヘッドライトの用意があったかどうか知らないが、岩場馴れしていた私でも夜間での行動は避けたいルートである。想像だけど、滑落したのではないかなぁ。ほんの3メートル足らずの滑落でも、人は簡単に死にますから。
夜間の岩稜帯ルートは、ヘッドライトがあってもかなり危ない。まして単独行では、助けあうことも出来ない。多分、暗くなってきて、焦りもあって帰路を急いだ最中での事故ではないだろうか。
いくらネットに繋がっていても、山は街中ではない。それなのに、ネットに繋がっていることで、妙な安心感が生じているのではないだろうか。
私が山登りに夢中であった理由の一つは、安全な街中から隔絶された世界に身を置く緊張感を好んだことがある。山は人という脆弱な生き物が生きる為の努力をしなければ、生き残ることが許されない過酷な世界であった。
そんな過酷な世界だからこそ、そこでの経験は貴重なものであった。そこで狽チた経験が、怠け者で甘ったれの私を鍛えてくれた。山は私にとって、学校であり、試験場であり、自己確認の場でもあった。
だからこそ、安易な気持ちで山を登ったことはない。亡くなった方にはお気の毒ではあるが、山を舐めすぎである。
でも、昨今の登山ブームをみると、私のような心構えの人間こそ少数派であり、多数派はお気楽に山を楽しんでいるのでしょうかねぇ・・・
短期での収束を予測していたが、完全に外れてしまったのが香港のデモ騒動である。
「逃亡犯条例」への反感から生じた抗議デモである。天安門事件をみれば分かるように、北京政府はこの手のデモの主導者に対して厳しい。現在のシナは、世界でも指折りの監視社会であるからして、今回の香港のデモの首謀者及び支持者は既に判明していると思われる。
シナ人の政治感覚は鋭い。政府が如何に信用できないかを熟知しているが故に、デモは早期で終わり、首謀者は海外へ逃亡するものだと私は予測していた。
ところが、香港政府が「逃亡犯条例」の先送りを宣言してもなお、抗議デモは収まる気配がない。これはいったい、どうしたことか。
私は21世紀を食料、水、地下資源を巡る争いの世紀となると予想している。だが、もう一つ肝心なことを忘れていた。
今から100年前、第一次世界大戦の傷跡から立ち直りつつある欧州で「近代の終焉」が哲学者たちの間で議論の的となっていた。凄惨な戦争により傷ついた欧州の人たちは自信をなくし、欧州主導の世界に対して不信感を抱きつつあったからだ。
その時スペインの哲学者が主張した「民族と宗教が復活する」という予想は、70年後のベルリンの壁崩壊後の世界を見事に当てていた。
近代とは人間の思考を最上のものと見做す思想である。デカルトは「論理により世のすべての理は解明できる」と誇らしげに語り、ニーチェに至っては「神は死んだ」とまで言い切った。
だが近代の産み出した「議会制民主主義」はウィルヘルム2世の横暴の前に無力であり、戦車や毒ガス、強力な爆弾で傷つき死んでいく兵士たちが最後に求めたのは、神の救いと許しであった。
しかし近代はしぶとかった。社会主義という科学的思想(疑似科学だと思いますけどね)を実現するための共産国家群が、20世紀において大衆の希望となったのは、決して故なきことではない。資本家の横暴に傷つく貧困層にとって平等と公平を高らかに謳う社会主義こそ最後の希望であった。
しかし、ベルリンの壁が崩壊し、社会主義国もまた理想郷には程遠いことが判明すると、世界は近代を見限った。理性による合理的な判断に重きを置く近代に替わって登場したのは、古く懐かしい民族主義と伝統の宗教であった。
それはシナに於いても同様であった。共産主義国家とされたシナだが、中身は共産党書記長を皇帝に抱く伝統的な中央集権国家である。当然にチベットも台湾もシナの領土であり、イギリスに取られた香港もシナに帰すべき領土であると思っていた。
しかし、100年以上イギリス政府の統治下にあった香港では、既にそこに住む人々には、香港人というアいディティティが生まれていた。今、香港で抗議デモをする人たちは、頭では危険と逃亡の必要性を分かっている。
ところが、それを上回るのが香港人としての矜持である。香港人という民族感情が、北京政府の強引な口出しに対して燃え上がってしまったのだと思うのです。だからこそ、危険を承知でデモを続けているのでしょう。
まさか、これほどとはとの思いが拭いきれません。完全に想定外でした。ここまでくると、もう私には先の見通しが立ちません。