小学生の頃、私はプラモデル造りに夢中であった。
戦車や戦闘機も造ったが、やはり本命は軍艦である。そうなれば、一番人気は世界最大の戦艦であった大和である。プラモデル屋の棚でも、戦艦大和は一番目立つ場所に置かれていた。
戦艦大和は世界一!
私はそう信じていた。その夢が破られたのは、高校生の頃だと思う。私の夢を踏みにじったのは、小室直樹と長谷川慶太郎であった。どちらも具体的に、総括的に戦艦大和の欠点を挙げており、極めて論理的な説明であったため、反論するどころか唖然としてしまった。
まず、戦艦大和は航行速度が遅すぎる。最高速度27ノットであるが、巡航速度は更に遅い。燃費効率を考えると、16ノット前後が理想的とされた。これは当時の巡洋艦、戦艦の平均的な巡航速度を大幅に下回る。
大和の航行速度が遅いが故に、他の艦の速度も落さねばならなかった。当たり前だが、当時も艦隊戦闘は、集団でやるもんだ。駆逐艦、巡洋艦などに守られながら、長距離から大口径の砲塔で攻撃して敵艦船を破壊する。これが当時の基本的な戦術であったがゆえに、大和一隻のおかげで他の艦まで速度を落とさねばならず、これが後々裏目に出る。
また大口径の大型砲台からの攻撃は、過去に於いては究極的な攻撃方法であり、第一次世界大戦後の軍縮会議では戦艦の排水量と搭載する砲塔の口径を制限することが求められたことからして、欧米でも同じ思考であった。だからこそ、海軍上層部は世界最大の砲台(46センチ砲)を搭載する大和を世界最強だと信じた。
しかし、その前提を壊してしまったのが、他でもない日本海軍であった。戦前の常識である、航空機の攻撃では戦艦は沈まないという前提を、日本は初戦の真珠湾攻撃及びシンガポール沖海戦でぶち壊した。
真珠湾内で安全だと信じていたアメリカ海軍は、日本の攻撃機からの雷撃(魚雷攻撃)で沈む戦艦たちに呆然とした。不沈艦だと信じていた戦艦プリンス・オブ・ウェールズと重巡レパルスが、日本の航空機による攻撃で沈んだとの報に崩れ落ちたのはチャーチル首相とイギリス海軍であった。
ここからがアメリカの凄いところで、急遽造船計画を大幅に変更した。戦艦を減らし、空母を大量生産した。雷撃と爆撃が得意な攻撃機を造りだし、対艦船戦に向けて訓練に励み、その成果がミッドウェイ海戦やレイテ沖海戦で発揮された。
ちなみにアメリカ海軍の戦艦は、もう艦隊戦なんざやらなかった。海上に浮かぶ砲台として日本軍が隠れ潜む島に向けての艦砲射撃が主任務となった。これは今も引き継がれ、艦砲の替わりにトマホークミサイルの発射台としてボヘミア紛争や湾岸戦争で活躍している。
一方、日本海軍ときたらレイテ沖で大和の二番艦である武蔵が沈んで、ようやく空母の増産を決断する愚かさである。大和は最後の砦だと称して、本土の港の奥に隠す有り様である。
でも最後は沖縄防衛の為、大和の他、小型の駆逐艦だけで艦隊を派遣するも、鈍足の大和が簡単にアメリカの警戒網にひっかかり、大和は攻撃機から滅多撃ちに遇い、太平洋の海底に沈むこととなる。
少し細かいことを書くと、大和にも対航空機向けの装備はあった。世界最大の46センチ砲には、対航空機用の砲弾も用意されていた。しかし、大和の主砲は一度撃つと、その衝撃波が凄まじく、他の小口径銃などを装備したほかの砲台が一定時間使用できなくなる。だから、却って航空機からの攻撃を受けやすくなる。
なので、この対航空機用の砲弾は、むしろお荷物であった。また敵艦の40センチ砲(アメリカ海軍戦艦の標準装備)を喰らっても沈まないほどの分厚い装甲を誇った大和だが、実際の被弾は艦船砲ではなく、もっぱら航空機が落とす爆弾であったため無意味であった。
後知恵ではあるが、戦後になって元海軍参謀が、「装甲を薄くして、航行速度を上げたほうがマシだった」と述べる始末だが、あんた大和建造の推進者だろうと突っ込みを受けたのは当然だろう。
また大和のみならず武蔵、信濃(空母に変更された三番艦)沈没の最大の要因は、魚雷(雷撃という)による被弾であったことも書き添えておきたい。艦砲には強かったはずの大和だが、実戦で艦砲を浴びることはなく、もっぱら航空機からの爆弾、魚雷で傷ついた。
戦後の我々は、結果だけみて判断するので、ある意味後だしジャンケン的な批判である。しかし、もっとも馬鹿らしいのは、航空機による攻撃では沈まないとされた戦艦を、航空機で沈めた先駆者が日本軍であったことだ。
これは偶然ではなく、そのために対戦艦用に武器を開発し、訓練を積み重ねた成果である。馬鹿らしいのは、この開発と訓練と同時期に、大和は建造されていることだ。いずれも同じ日本海軍内でのことだから、呆れてものが言えない。
戦艦大和は、確かに世界最大の砲塔をもち、世界最大の戦艦であった。しかし、その設計思想は時代遅れであり、その時代遅れの原因を作った(航空機で戦艦沈没)のも同じ日本海軍であったことだ。
はっきり言えば、戦艦大和を作るための資材、予算を空母及び航空機の増産に使っていれば、太平洋戦争も別の展開があったかもしれない。そのくらい大和の建造は、愚かな決断であった。
なお表題の漫画は、その大和建造を阻もうとする若き士官と、敵対する軍上層部を描いたもので、数学と会計学を駆使する若き士官の奮闘ぶりが、今となっては哀しい。
でも従来の大和を感情的に悲劇の主役とみなす戦争作品とは一線を画す佳作だと思っています。最近映画化もされたようですが、是非とも原作に目を通して欲しいと思います。
私は携帯電話が嫌い。
便利なのは認める。また街中に公衆電話が大幅になくなっているので、移動電話としての携帯電話は必携だとも考えている。その必要性を認めつつも嫌いなのは、考え事を邪魔されるのが不快だからだ。
なので、私の携帯電話は常時マナーモードになっている。おまけに鞄の底に仕舞い込んでいるので、着信に気が付かないことも多い。一日に3回程度は、見てチェックするようにしている。これで十分だと思っている。
傲慢に思えるかもしれないが、家庭でも事務所でも固定電話があるのだから、緊急の電話はこちらにかけてもらえば良いだけ。だいたい、私にかかってくる仕事上の電話の大半は、守秘義務が絡む情報が多いのだから、街中で気軽に話せる訳がない。話す場所を選ばねばならない以上、どこでも話す訳にはいかない。
だからこそ、このスタイルで十数年やってきている。営業やクレーム対応などの仕事電話が多い人ならば、そうはいかないだろう。その意味では、我儘というか贅沢なスタイルだとも自覚はしている。
まァ少し意地になっているとも思っている。でも、こちらの事情を勘案せずに、無神経にかかってくる携帯電話には辟易している。まして私用電話や営業電話だと腹立たしいことこの上ない。
ただ緊急の連絡というものは確かにある。だから着信音や振動には気を付けるようにしている。ところが、これが厄介だ。電車で移動中、携帯着信音がすると、ついつい自分のスマホに手が伸びる。でも隣の席の方のスマホの着信音であった。
また研修会の最中に、どこからか着信音が聴こえると、やはり自分かと携帯を探してしまう。たいがいが他の方のものであることが多い。でも、稀に自分あての着信音であることもあるから厄介だ。
マナーモードなので振動音に過ぎないのだが、これが気になって仕方ない。はっきりいってイライラする。なので、私は自分のスマホは鞄の奥に仕舞い込んでしまっている。これなら着信音が外に漏れることはない。
ところが困ったことに、近くで着信音なり振動などが聴こえると、気になって仕方ない。多分自分のではないよなと思いつつ、確認したくなる。で、やはり自分宛ではない。
私の銀座の事務所は、雑居ビルの一室にある。もちろん防音工事済みの部屋である。これは前の使用者が同業者だったので、確認済みである。しかし、元々は広いフロアを二部屋に改造したものだ。
そのせいだと思うが、隣の部屋から形態の着信音が聴こえてくることがある。これが気になって仕方ない。ちなみに人の声は聴こえないのだから、防音工事はそれなりに役だってはいる。でも何故だから携帯の着信音だけは、かすかに聴こえてくる。
気にし過ぎだとは思うけど、嫌なものはイヤ。まァ、着信が分からない電話では意味がないとも思うのですけどね。
昨日もあり、今日もあるからといって、明日もあるとは限るまい。
日本と韓国との関係が不安定化しつつあるなか、一番重視しなければならないのは、やはりアメリカである。アメリカあっての日本の国防であり、日本の平和である。
日米関係は概ね良好であるが、日韓関係がおかしくなってきていることに、アメリカは次第に我慢がならなくなってきている。すでに前政権の時に、オバマ前大統領立会いのもと、日韓関係について釘をさしたつもりでいた。
しかし、大統領が変わると再び日韓関係が荒れてきた。ここまで来ると、トランプ大統領の意向とは別に、アメリカ国防省はその国防戦略の見直しを検討せざるを得ない。
アメリカが朝鮮半島に軍隊を常駐させるようになったのは、朝鮮戦争が契機である。実のところ、アメリカの国防戦略にはないイレギュラーな対応であった。
20世紀初頭に定まったアメリカの国防戦略は、大西洋と太平洋の両端に拠点を置き、二つの海をアメリカの防衛圏となすことを目指してきた。東の拠点であるブリテン諸島は、既に拠点として完成していたが、西側はハワイ諸島とフィリピンでまで、つまり東太平洋までが限界であった。
なぜなら日本が太平洋の西側を抑えていたからだ。しかし、第二次世界大戦で日本を屈服させ、アメリカ本土以外では最大の軍事拠点を設けることに成功した。これで完成したと考えていたのだが、朝鮮に戦争が起こり、結果的に朝鮮半島南部に軍事基地を置くことになった。これは想定外であった。
元々はアラスカからアリューシャン列島(ロシアの支配下だが)を南下し、日本列島、台湾、フィリピンと続く西太平洋を周回する線が、アメリカの防衛圏であった。そこに中途半端に朝鮮半島が加わった。
つまり、元々はアメリカの防衛圏には入っていなかったのが、朝鮮半島である。今も停戦さえ法文化されていない未解決の戦争事案でもある。それゆえに、ずるずると現状のまま今日まできてしまった。
ヨーロッパでは冷戦が終わり、アメリカもその大概戦略を大幅に見直してきたのだが、悩みの種が朝鮮半島であった。現・大統領は北の独裁者に好意的な姿勢を見せるが、アメリカ国防省は違う。核兵器を持つ国を潜在的敵国だと考えるが故に、決して油断はしない。
だが、朝鮮半島に置いてあるアメリカの基地を維持する必要があるのかは、アメリカ内部でもかなり疑問視されていた。まだはっきりとは明言していないが、近い将来、その管理を韓国に委ねる可能性が高まってきた。
つまり実質的に朝鮮半島から米軍基地を撤退させるわけだ。もちろん、緊急時に使えるようには仕組むだろうが、基地の管理運営は韓国に任せる。要するに基地の維持管理費用を全面的に韓国政府に負担させるわけだ。
まだ公表はされていない。ただ、近年韓国に駐留させていた米軍兵の家族たちを日本やグアムに移している。横須賀や福生などでは、米軍の軍属の家族たち対象の賃貸物件が急激に空き室率を減らしているようなのだ。
従来、韓国政府は駐留米軍兵の家族を、韓国内に居住させること(要は人質でもある)を求めていたのだが、この要求は近年見られないことからも、事実であろうと推測できる。
おそらく米軍撤退との公示はないと思うが、実質的に米軍は朝鮮半島から離脱する可能性が高まっていると私は予測しています。これは日本にとって、何を意味しているのか。
一言で云えば、日本列島が最前線になるということだと思います。アメリカは兵站拠点として、また防諜拠点として日本を手放すつもりがないことは、相も変らぬ米軍基地施設の増強から確かだと思います。
つまり日本は、これまで以上に日本防衛の名の下に、米軍基地防衛に力を入れることが求められる。
平和憲法を守れ? 自衛隊の憲法下での認定?
もはや、そんな事態ではないでしょう。在韓米軍の撤退は、日本に当たり前に戦争が出来る国になることを求めるはずです。緊急時の軍隊の行動規範の制定や、防諜規定の制定など、これまで以上に法制度の面での軍事活用が整備されることが求められるのです。
いったい、何時までこの国は現実を無視し、国民を騙して、軍隊を強化していくのでしょうかね。本来、国会で真剣に議論すべきことなのに、まるで見当違いの議論と言う名の誤魔化しに終始しているのをみると、ウンザリしますよ。
このしばらく、韓国関連の記事を書くことが多く、正直閉口している。
日韓は別として、欧米の報道では、この日韓の軋轢は報じられることは少ない。経済関連でブルームバーグなどが少し報じるだけで、BBCでもCNNでも滅多に報じられることはない。
欧米視点=日本にとって理想的な視座という訳ではない。それは分かっているが、日本の報道があまりに偏り過ぎているので、私も敢えて韓国関連以外の報道に切り替えようと思う。
現在、アメリカではトランプ大統領の再選が焦点となっている。これは4年前からそうなのだが、アメリカのマスコミは総じて反トランプである。それは今も変わりない。
トランプ大統領の言動は、上品とは程遠く、しかも短絡的に見えてしまうのは確かだと思う。しかし、だからこそトランプ大統領を支持する人たちがいる。
トランプこそ、我々の代弁者だと信じている人たちは確実にいる。逆に云えば、従来の大統領たちは、そうではなかったとの思いが、彼らを熱心なトランプ支持者とさせる。
かつてのアメリカは健全な中産階級が社会を支えていた。しかし、この中産階級は、他の国ならば労働者階級である。本来の中産階級ほど富を蓄積してはいなかった。彼らこそ、二度の世界大戦で自国は傷つくことなく勝者の地位にあったアメリカが産んだ特異な中産階級であった。
だが敗戦から立ち上がった西ドイツと日本が、経済的にアメリカを圧するようになると、アメリカの中産階級は企業にとって重荷になった。だからこそ、アメリカは生産工場を海外に移転した。アメリカ国内にあふれる西ドイツ製品と日本製品が絶好の口実となった。
特に白人の国でない日本は、アメリカ経済の低迷の犯人とされて叩かれた。だが、本当の犯人は別にいる。それがアメリカの資本家、別名投資家たちである。
工場の海外移転に伴い解雇されて不満を抱え込んだ白人労働者に、その原因は日本車の輸入だと焚き付けた。海外に工場が移転しても、彼ら投資家たちの受け取る配当は減るどころか、増える一方であった。
異様な高給を蝕む経営者と、高配当を享受する投資家たちに支えられて、アメリカは世界市場にその触手を伸ばし続けた。日本にもけっこうある。日本で生まれた企業ではあるが、大株主は外国の投資家であることは珍しくない。
驚いたことに、アメリカでは共和党も民主党も、この投資家の富の独占を支え続けてきた。その結果、アメリカはその富の9割を超富裕階級が独占する異様な社会となった。
一見、裕福そうな家族でも、夫婦共稼ぎが普通だし、家族どころか親族総がかりで稼いで生計を維持しているケースも珍しくない。一部の超富裕層と、多くの貧困層を抱えた国、それが今のアメリカだ。
だからこそ、トランプ大統領は産まれた。投資家の犠牲になった大衆こそが、トランプの真の支持者である。投資家に支配されたマスコミが、彼らトランプ支持者の声を伝えることは少ない。
近年、アメリカ社会で問題になっている銃撃事件の多発は、不満を抱えた貧困層の不満が土壌になっている。そこには触れず、あくまで銃規制の問題として報じているのがアメリカのマスコミである。
アメリカのマスコミは、総じてトランプへの失望、誹謗を報じたがるが、私はトランプ大統領は再選されると予測しています。
ちなみに戦後の日本は、アメリカの後を追うことが多いのですが、安倍政権は見事にトランプ路線を追っている。どうやら、いつのまにやら日本もアメリカ同様に、貧富の差が拡大しているようです。
経済評論家の長谷川慶太郎が亡くなった。
今となっては、あまり評判にもならないし、若い人には「知らない、誰?」と言われてしまうだろう。それは分かるが、それでも私はこの人をけっこう高く評価している。
戦後の日本は、新聞やTV、雑誌などマスコミの世界における経済論評は、圧涛Iに左派が牛耳っていた。現在では死語なのだが、当時は「マル経」にあらざれば、経済を語らせずといった風潮すらあった。
ちなみにマル経とは、マルクス派の経済学である。あの頃の大学では、経済学といえばマルクス派が圧涛Iな割合を占めていた。だからこそ、長谷川慶太郎の登場は革新的であった。
ちなみに長谷川本人は、日本共産党の党員であった。砂川事件を機に辞めたようだが、左派出身であるにも関わらず、計画経済には否定的であった。経済評論家として名を成したが、大学は工学部出身である。
その理論的な解説の原点は、このあたりにあると思うが、特筆すべきは徹底的に現場主義であったことだ。北朝鮮の平壌に取材に出かけ、監視員兼ガイドに連れられて郊外の工場に視察に行った際、中に整然と並べられたPCに電源がつながれていないことをしっかりと見抜いている。
また今も建っている高層ホテルの建築現場に視察に行き、そこでコンクリの打ち方の問題点に気が付き、北の技術の低さを指摘している。ちなみにこのホテル、ほとんど休業しており今では廃墟である。
人気が出てから一時期、TV朝日の朝の情報番組である「やじうまワイド」にコメンテーターとして出ていたが、その際にTVスタッフが感心していたのが、長谷川のお洒落情報であった。
当時、60を過ぎていたと思うが、休日に代官山で散策して若者たちに混じって人気の店に足を運んでいたという。なるほど、売れ筋情報に詳しいはずだと、偶然通りかかったTVスタッフが納得したそうである。
ただ、現在長谷川慶太郎の評価が激しく分かれるのは、彼が投資を煽った張本人だとされていること、またアジアとの決別を強く主張していたからである。
投資に関しては、私は少し気の毒に思っている。バブル全盛期において、利益率からいったら製造業のようなハード産業よりも、金融や證券、不動産といったソフト分野のほうが圧涛Iに利益率が高かった。だからこそ、長谷川は投資を推奨したはずだ。
しかし、景気の過熱を心配した大蔵省の総量規制という名のハードランディングの強要により不動産、株式市場は急落した。長谷川は投資家から大変な非難を受けたという。市場経済の信奉者であった長谷川からすれば、市場に過度な干渉をした政府の責任なのだろうが、怒りの行き先は投資を推奨したものに向けられたのも致し方ない。
またアジアへ深入りすることを警戒した長谷川は、アジアを見切って欧米こそ重視すべきと説いたが、人件費の安さなどから日本企業はアジアへの投資を増やした。これもまた長谷川の評価を下げる一因となった。
実際、私自身も長谷川の著書を時々読んではいたが、毎年読むことはしなくなっていた。現実の日本の動きと、いささか乖離している気が否めなかったからである。
最後に一言、加えておきたい。80年代から名を挙げた経済評論家であったが、私の知る限り、軍事情報を適切に判断できたのは長谷川が最初だと思います。防衛大学の講師を務めるほどの知識があった長谷川は、戦争関連の情報にも適切に対処できた数少ない経済評論家でした。
謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。