
「春は曙」とあの人は言ったが、夏は「夜」だと。「月のころはさらなり。蛍の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなどほのかにうち光て行くもをかし。」ウンウン、なるほどそして、えぇ「雨など降るもをかし」かぁー。フーン、どんな暮らしをしていたのやら。民草は竪穴住居に毛の生えたような家に暮らしていただろうに。
止まれ。夏は夕暮れと言うために、長い前振りになってしまった。まだ季節的に少し早いが、一日の仕事を終えて小屋の前で呆けていると、何とも言えない満足感がこみ上げてくるのが、夏の夕暮れである。
お百姓さんが一日の野良仕事を終えて、家路につく際に感ずる安堵感というか充足感にも似ているだろう。なら、一日を平和に終えようっという気持が、それまでしていた夫婦喧嘩の矛をおさめ、亭主がやさしくなるときと、この気持ちは似ているのだろうか。そうそう、「西の山に日が入るころには夫は妻にやさしくなるものだ」と、教えてくれた人がいた。

チビは意外に食いしん坊
やさしくする妻なるがいなければ、ビールに相手をしてもらうしかない。帰るのを諦めて、一日の疲れと満足感を黄金の酒に溶かすのだ。至福の時がゆっくりと暮れていく時の中に紛れ、豊饒な沈黙がさらに深まる。牧場(まきば)の夕暮れが止まる。

思いがけないところにクリンソウ
フー、何が何だか分からないことを言い出したゾ。
上に泊まると当夜の夕飯、翌日の朝と昼、計三食を考えないといけないが、これが面倒。しかし、「夏も曙」!
山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の営業に関しましては6月2日のブログをご覧ください。