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一昨日は天気も悪く、ゴンドラも運休していたため、山間の美しい花の咲く村を少し歩いただけで、園原を後にした。近くの昼神温泉に泊まるという手もあったが、土曜日に予約なしでは難しかろうと思い、そうしなかった。
その後天竜川を渡り、さらに反対側に位置する遠山郷へ向かおうとしたのは、今春、秋葉神社へ昔人のように歩いていこうと計画しながら果たせなかった分、車ではあるが、せめて街道の一部だけでも走って帰路としたかったからだ。そのくらい、何故かあの古い街道にはこだわりと、思入れがある。
その遠山郷だが、光岳に行った時以外に少なくとも2回は通ているはずで、時間の止まってしまったような古くて、ささやかな上村の商店の佇まいなどは覚えている。ところが、その時越えたはずの地蔵峠の記憶がすっかり落ちてしまっていたことを、昨秋「神楽の湯」へ出掛けた折に、その峠から教えてもらった。152号線を通る以上は、この峠を超えなければ、上村にも神楽の湯にも、そして光岳にも行くことはできなかったはずだ。
峠はどこもそうだが、似ているようでそれなりの特徴や個性がある。それが、全く記憶にないのだ。そもそも、秋葉行を最初に考えたのはもうかなり昔のことだが、自転車で行くことも一案としてあった。時系列的に考えると、この自転車の利用を考えた以前に、すでに地蔵越えを体験していたはずだったが、あんな険しい峠のことなど頭になかった。あれば、自転車という線は出てこなかったはずだ。
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この山道を、火伏の神・秋葉社へ講を組んで難儀な道中を歩いていった旅人に思いが行く。その姿が目に浮かぶ。難所はまだあり「青崩れ」という、これも峠である。諏訪から遠州に下っていくのに、杖突峠、分杭峠も入れれば厄介な峠越えが幾箇所にもになる。標高を下げていくはずなのに、簡単ではない。地蔵峠から古い山道を少し歩いてみたが、剣呑な杣道で驚いた。
あんな道でも、秋葉神社行は人々にとってある種の息抜きになったのか、それともただ、ただ大変なだけで終わった旅だったのか・・・。もう実現できるかどうか覚束ないが、まだ歩いてみたい気持ちだけは未練のように残る。
最近、独り言の通し番号が狂っていたので訂正しました。