里に下りてきている。青い空に白い筋雲が見え、あまり夏の空というには相応しくない。古い家だから朝夕は涼しく、冷房器具などなくても快適である。
ここにいれば嫌でも目に付くわが家の古い柿の木、昨年はあれほどたくさんの実を付けたというのに、今年はそれらしきがまったく見えない。青い実からは渋が採れ、赤く実れば干し柿になるからと心待ちにしている人がいて、いくらでも好きなようにしてくれと言ってあったのに、どうも今年は期待に添うことができそうにない。
きょうは上には行かない。他の牛と群れないNo.3の様子がおかしく、昨日その牛の下牧を決め、その手配をしてここに帰ってきた。午後に、畜産課の職員が行って下ろしてくる手はずになっているが、蓄主もその判断に同意して、感謝しているとのことだった。(8月6日記)
また深夜の独り言になる。一昨日は焼き肉屋、昨日は鰻屋とラーメン屋、里では夏らしい食物をしっかりと食べて精を付ける段取りのはずだったが、酒が美味過ぎてそっちへ箸が向かなかった。焼き肉屋ではホルモンを少し食べただけで、ロースとかカルビには食指が動かず、牛守だからそれでいいと思いつつ熱燗と冷えた生ビールを飲んだ。鰻屋では箸を全く付けずまたしてもビールと熱燗を飲み、折角の鰻重は土産のかば焼きと一緒に冷蔵庫の中に眠っている。修行が足りず菜食主義者にはなれないが、せめて牛さんぐらいは共食いにならないようにと、今だけは無理しても彼女らを気遣っている。
貧しい牧守(「まきもり」この言葉ようやく登場の機会ができた、クク)の分際で、こうした里での連夜の相応しくない宴は、ようやく1年ぶりで故郷へ帰ることができた友人のFMZ君の心づくしである。きょうから新調した高価な電気炊飯器と一緒に、また山の暮らしに戻る。
昨夜酔い潰れて眠っていたら2件、キャンプの予約の取り消しがあった。夢うつつに一生懸命にその名を記憶しておこうとしてそのせいでか安眠できず、こんな深夜に目覚める羽目になるとは。上に行って予約表を見れば思い出せる程度にはその名前を記憶しているが、covid-19の影響は日に日に深刻さを増しつつあり、これもそれが理由のようだ。
1週間があまりにも早過ぎる。あと10日もすれば、上ではきっと夏の季節が去っていく後姿を見ることになるのだろう。
見よや、太陽はかしこに
わづかにおのれがためにこそ
深く、美しき木蔭をつくれ。
われも亦、
雪原に倒れふし、飢ゑにかげりて
青みし狼の目を、
しばし夢みむ。
伊藤静雄 「八月の石にすがりて」の抜粋。詩人の印象的な言葉の羅列、夏になると決まって思い出す。
本日はこの辺で、明日は沈黙します。おっと赤羽さん、都会の暑さが伝わってくる通信に感謝。