ようやくにして、待ち焦がれていた秋らしい天気になってきた。明け方の深い青空も、今は散漫した日の光によって薄らいで、空の高いところには丹念にひと刷毛ひとはけ描いた薄い筋雲が見えている。朝露に濡れて光っていた牧草も、黄色味の目立つ褪色した草の色に変わりつつあり、どこにいるのか今朝は牛たちの姿がそこには見えない。
一昨日は仲秋の名月を外へ出て待ち、眺め、昨夜はその続きを部屋の中から布団の上で横になって眺めた。驚くばかりの輝きを見せる月の光、そしてそれに付き従うように木星も淡い光の点となって見えて、「名月を取ってくれろと泣く子かな」の句に詠まれた、無邪気な腕白小僧の気持ちも理解できた。
この月があったからこそ、地球は安定して自転しながら太陽の周りを近付きもせず遠のきもせず、365日をかけて公転できているのだとか、本で読んだことがある。また、月の重力の影響がなければしおの干満も起きず、海洋はわれわれも含めて豊かな生命を育むことができなかったかも知れないと、科学が語る地球と月との深い関係も併せて知った。
もちろん月がなかったなら、かぐや姫の物語に代表される王朝の文学はもっと違っていただろうし、その影響を受けた日本人の感性、情緒、考え方だってもっと浅くて、ススキ穂も団子も酒もないような味気のない秋の夜長だったかも知れない。
偶々昨夜BSフジで、北沢峠から野呂川の源流を遡り、両股小屋で1泊、そこから仙塩尾根に上がり、熊野平小屋で2泊目(ここまではテント泊)、そして塩見岳山頂を経て塩見岳小屋で3泊目は小屋泊まり、という登山を地元の男性2名と女性1名、計3名で案内する番組を見た。懐かしかった。
両股には何回か行ってるし、そこから仙塩尾根を通り塩見岳からもっと先の聖岳や光岳を目指したこともあれば、北岳に向かったこともあった。仙塩尾根の名の通り、仙丈ー塩見間に拘り歩いたこともある。
仙丈岳は故郷の山だと思っているし、その山容は一番気に入っている山の一つでもあるが、北岳ほど縁のある山とはならなかった。番組で、深田久弥が仙丈岳を「南アの女王」と呼んでいたと初めて知ったどころか、案内の女性も「女性的」という言葉を使ってこの山を紹介していて、これにはもっと驚いた。
あの山ほど堂々としている山はなく、見るたびに男らしい山だとずっと思っていた。今後も、この山への見方、感じ方は変えないが、それにしても山の印象にこれほどの差が出るというのは・・・、分からないものだ。
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本日はこの辺で。