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大分日の出るのが遅くなってきた。午前6時半、太陽は小入笠へ通ずる尾根の落葉松の背後で、ようやく幾筋かの金色の光りの帯を放射し始めた。空の高い所には秋特有の薄雲が見えている。気温13度、今朝も放牧地は朝露に濡れ、まだ囲いの中に牛たちの姿はない。南北に伸びるこの狭い谷に日の光りが溢れるまで牛たちは、いましばらくはどこかで早い朝飯を食べるのに忙しいだろう。
「 貴婦人の丘」の見える場所まで行ってみようとして外へ出たら、ちょうど囲いの中を1頭の和牛が小走りに過ぎていくところだった。例の「考える牛27番」だと思って近くまで行ってみたらそうではなく、しかも2頭だった。
以前に、いつまで経っても塩鉢に近付けない牛が不憫で、そこから少し離れた場所に塩を置いてやった。あの2頭の牛はその記憶と期待があって、他の牛に邪魔されないうちに塩にありつこうとしたのだろうか。耳標を見たら45番と46番で、この牛たちは和牛の中でも主流ではない。
牧舎にいればこんな苦労はせず、餌はすぐ目の前に定期的に運ばれてきて、塩は欲しいと思えばいつでも口にできるようになっている。まさに上げ膳据え膳である。
しかしそこには自由がない。広い放牧地を思うように歩き、走ることができない。食の苦労のない不自由を、牛たちが喜んでいるとは思えない。食べるということは、牛たちにとっては労働に等しいはずだ。
人でも、老いさらばえたかつての受刑者が、再び塀の中に戻りたくて犯罪を犯すという例があり、そういう特異な話も分からないではない。牛の中にも、あれだけ連日、毎夜雨に祟られたら、似たようなことを考えるかも知れない。それでも、もしあの牛たちと野生鹿のどちらを選ぶかと問われれば、答は決まっている。
その牛たちが牧を去る日もついに1週間を切った。
いい秋日和の朝になった。北アルプスの峰々は薄い靄の中に遠くまで見えていた。きょうなら、雨の心配もなく、あの稜線上を眺望を楽しみながら安心して行けるだろう。
ある気象予報士は「落ち着かない天気が続く」と、予報が難しいこの先の天気をこんな言葉で誤魔化した。上手いことを言うものだとつくづく感心した。
台風接近の報に、キャンプの予約を取り消した人もいた。それは仕方ないが、別な理由で諦めた人も出て、そのことを心配している。
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本日はこの辺で。