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雪雲の中の太陽、もう少し存在感があったのだが
先日の東京行について、何しに行ったんだという声が届いた。その中で、星の狩人かんとさんの夢にこの牛飼奴が出没したとかで、一夜安眠を妨げてしまったと恐縮している。「身内の方のお祝いですか? 」と問われたけれど、そういうことではなくて、田舎者にはやたらと気の急く旅でござった。
立錐の余地なき大小のビルが蝟集林立し、行き交う多数の人と車、最近は首都移転の話は聞かないが、ひと揺れ来たら積み木細工のようなあの都市はどうなることかと、そのことを改めて感じて帰ってきた。
東京では2泊、充分な睡眠が取れなかった。田舎に戻って今度はその反動でか一昨夜、昨夜と9時間以上眠った。これから朝風呂に入れば、きょうも格別な予定はないまま一日が始まる。
こうした安穏な日々に身を任せ、時が呆気なく勝手に過ぎていってもいいという思い半分と、もう半分はもう少し何とかしろとという別の考えとがせめぎあう。そして「いい歳をして」という迷いの中で、今度はどうやら後者の勢いが勝ったようだ。
年齢のことばかり呟くようで恐縮だが、では普段に物事を判断するとき、無意識の裡に果たして自分をどのくらいの年齢に想定しているのかと考えてみた。すると漠然としたものだが、どうやら40歳前後ではないかという答えを得た。実際とはエライ違いだが、どうも気分はそのあたりだ。
また、思考の程度はもっと若く、多少の知識経験は増えたかも知れないが、多くのことは生まれ持った性格に負っているような気がする。つまり、恥ずかしながらこれまでの半世紀にも及ぶ歳月、成長も遂げていないということだ。
そういえば、体重も20代のころからあまり変わらない。一度20代の終わりごろに5,6㌔増えたことはあったが、その後ずっと安定している。10㌔も20㌔も体重を増やすということは、背中に1泊2日、もしくはもっと長い山行に要する荷物を背負って日常を暮らすようなものと思い、それは避けたかった。
もっとも格別、そのための努力をしたとは思わないが、これも生まれ持った体質ということだろうか。
何でも生得のものということになりそうだが、そんなことを考えていたら、いつの間にか青空は消えて、雪が舞い出した。週の前半はまた寒気が来るとか。
明日か明後日ぐらいには上にいくつもりでいたが、あまり荒れるようならその予定も少しずれるかも分からない。アレ、この判断は、高齢者としてのものと言えるかも。
本日はこの辺で。