「三十歳」と邦訳されている、インゲボルク・バッハマンの「Das dreißigste Jahr」。
あなたは何歳ですか?と問われて、例えば 25歳の人が
私は今 人生、26番目の年 を 日々生きています。とは あまり答えないだろうが
その数字が 区切りのところに差し掛かっていると 俄然、上記の文のような思いが出てくるのだろう。
私、もうすぐ30歳なの。
僕は 来月で40だよ。
あら 私は 50よ、50。40代もあと半年。
はいはい、アラカンがやってきましたよ。昨日59になったばかりだけれど。
身分証明年齢的には 29/39/49/59 である人々が 偶然居合わせたとすれば
四方山話の立ち位置は 30/40/50/60 と、プラスone年齢階層への気持ち吐露合戦になるのではないだろうか。
変な吐露合戦に妄想がもつれ込んでいるのは、
その バッハマンの「Das dreißigste Jahr」 を、読んでいるんだけれど読めていないような 頭になかなか入ってこないモヤモヤ状態の時に 偶然
「29歳問題」という映画の存在を知ったからなのです。
で 見てみた、「29歳問題」(香港の映画、原題は「29+1」)。
バッハマンの「Das dreißigste Jahr」は 邦訳が2冊あるようで
1965年・生野幸吉訳では
「(本文中に〔満二十九歳の誕生日から、満三十歳になるまでの一年間〕と注記したような)実際の意味にはなるが、題名としてほかに考えられないので、三十歳と訳しておいた。」と訳者考え惑い、
2015年・松永美穂訳でも
「…生野さんもあとがきで書いておられるが、ドイツ語を正確に訳せば〔三十番目の年〕となるべきところであり、それは三十歳という年齢そのものよりも、三十歳になる前の、二十九歳からの一年間を指している。このためタイトルを「三十番目の年」とすることも考えたが、編集部とも相談の結果、「三十歳」を受け継ぐことになった。」と 50年の後にも 訳者惑いぬ、日本語置き換え。
香港映画の「29+1」という題付けは、
〔29+1〕の先の〔30〕が透けて映し出されて その一年の揺らぎを美しく表現されているように感じた。
けれど
〔29+1〕は〔三十番目の年〕とイコールにするにはいかないかなあ、
ミルクボーイに ほなDas dreißigste Jahrと違うか! と ボケだかツッコミだかされちゃうね
などと ホンマに余計なもん考えながら 再生しました。
元々は舞台劇だった作品の映画化、とのこと。
演劇のような映画のような、その揺らぎが 「29+1」感覚をより研ぎ澄ましているように思えた。
「本作のもうひとつの魅力は、全編に散りばめられた香港映画への愛情たっぷりのオマージュ。」(公式サイトより。)←香港映画をあまり見たことがないので、そこのところがワタクシ的には感じることができないのは残念だ。
♪ ハッピー エブリデー トゥーミー
毎一個階段也是由零開始 。
映画の中のフレーズふたつ、心において バッハマン方面も さて、進んだりするだろうか。