■既に述べたとおり、1990年代の高雄市内はスモッグに覆われていましたが、現在の高雄市内はまるで別の都市のようになったとの当会事務局長の感想です。今回の訪問で、市内各所で見聞した話題をご紹介します。なお、どうしても食べ物関係に偏るのはお許しください。
↑北回帰線より南に位置する高雄市は、亜熱帯気候です。大通りの街路樹からもその雰囲気が味わえます。↑
旅行者にとって、90年代の高雄市内の移動はもっぱらタクシーでしたが、現在は、紅線と橘線の2本が市内を南北と東西に走っています。2007年1月5日の台湾新幹線(板橋⇔左営)の開通にあわせて、高雄捷運という高速旅客交通システム(MRT)が建設され、紅線は2008年3月9日に、橘線は2008年9月14日に開業しました。現在も新たな路線の建設が進められています。
↑美麗島駅は紅線と橘線が交差する唯一の乗換え駅で2008年9月14日に橘線の開通とともに開業しました。この駅の名前は1979年12月10日に台湾を震撼させた民主化運動の美麗島事件から名付けられました。ガラス張りの地上の建物は日本人の設計だそうです。↑
橘線にのって、港に近い西子湾駅に向かいました。ここから10分ほど歩くと旗津(チーチン)行きのフェリー乗り場に着きます。片道15NTドルですが、改札は無く、旅客は料金を箱に入れて乗船します。取材班は箱を見逃してしまい、そのまま乗ってしまったので帰路にその分を余計に箱に入れました。
旗津にはフェリーで8分ほどで到着します。ここは、細長い砂州なので、3分も歩くと反対側に出ます。高雄港は2006年に世界第6位のコンテナ取扱量を誇る港ですが、漁港もこの一角にあるため、旗津にはたくさんの海鮮料理店があることで知られています。
ちょうど昼食時だったので、おいしそうな海産物が並んでいた店に立ち寄りました。店先にならんでいる魚介類を選ぶとすぐに料理にしてくれます。
一方、高雄市の南北方向を結ぶのは紅線です。今回、北から3番目の橋頭糖廠駅から南に10駅目の左営駅まで乗ってみました。
これはヨーロッパのシーメンス社製車両や運行システムが導入されています。そのため、なぜか車内での飲食は禁止となっており、罰金1500NTドル(約4500円)の表示が車内に貼ってありました。
橋頭糖廠駅は、すぐ目の前が砂糖工場の跡地で、現在は砂糖工場の工場や倉庫を利用した砂糖に関係するテーマパークや芸術村などに再開発されていて、多くの市民が訪れています。
↑上:製糖博物館展示販売センター。中:人気の氷あずき売り場。下:炎天下の観光には氷あずきが一番。↑
左営駅までの途中にある世運駅は、2009年7月16日~26日まで開かれた第8回ワールドゲームのメインスタジアムが近くに建設されたことからこの名が付けられました。
左営駅は、新幹線の終点でもありますが、MRTの左営駅の2番乗り場から、今年の3月から運航を始めた特殊なバスが発着しています。高雄市民の人気を集めており、予め切符を予約しておかないと、なかなか乗れません。
この特殊バスは、れっきとした高雄市公共汽車管理處が運航している観光用の水陸両用バスです。通称、「鴨子船」と呼ばれ、普通のバスより小さいこの水陸両用バスは、左営駅を出発すると10分ほどで、近くの観光名所である蓮池潭に到着し、スロープを下って池に着水するや、今度は後部に取り付けたプロペラを回して、池を一周してから、もと来たルートをたどり、左営駅に戻ります。この間、約30分ほどですが、既に次の乗客が既に列を作ってバス停で待っています。
↑上:高雄市の水陸観光車第1号。中:水陸観光車の後ろ姿。下:プロペラ。↑
食事をするなら、「新台湾の原味」(高雄市明誠三路1号)に行ってみましょう。グルメ情報としてあちこちで紹介されていますが、店内がひとつの町のようになっていて、裏通りを歩いている気持ちになります。
日本語で書いてある沢山の看板は日本統治時代のものです。戦前・戦中にタイムスリップした感じです。
中には、戦時下の軍国主義のスローガンもあり、複雑な気持ちにさせられるものもあります。
2階に上がると、なんと古びたバスがデーンと置いてあります。「金馬号」というこのバスは、かつて台北―高雄間を往復していたバスだそうです。もちろん、バスの中に入れます。その奥には映画館があり、当時のチケット売り場に、ポスターがたくさんあります。実際に当時の映写機もあり、昔の映画を放映していて、食べながら映画を見ることもできます。
料理も、典型的な台湾料理はほとんど網羅しており、味も申し分ありません。台湾ビールがよく合います。
夜の楽しみは屋台です。今回は美麗島駅から歩いて5分足らず康橋商旅(Kindness Hotel)に宿泊しましたが、毎晩、高雄で有名な六合夜市とよばれるナイトマーケットが近くに出現します。
1950年発祥といわれ、初めは空き地に屋台がぽつぽつと出始め、その後、「小吃」というB級グルメで名を馳せる夜市となり、さらに規模拡大して、いまの六合夜市になりました。昼間は普通の大通りが、夕方6時を過ぎると、行き交う人々で賑わう夜市に変貌します。
軒を連ねるおよそ150の屋台のほとんどは「小吃」、娯楽ゲームなどで、服や雑貨などを売る屋台も目にします。人気屋台は、安くて家庭的なステーキ(排骨)や、農産物・コールドドリンク・氷菓・海鮮料理屋など、多種多様な食べ物屋台が並んでいます。なお、高雄にはこのほかにも瑞豊夜市、鳳山青年夜市などの有名な夜市があります。
↑珍しいヒシの実。煮た後、固い殻を割って食べる。↑
今回は4泊5日の高雄滞在でしたが、台湾の結婚披露宴を体験できて、大変楽しい取材ができました。
帰路、高雄の左営駅から台湾新幹線に乗り、各駅停車で桃園まで行き、バスに乗り換えて桃園空港から帰国の途に就きました。
↑左営駅の高鉄切符売り場。↑
↑ネットで予約して近所のコンビニで買える切符。QRコードをかざせばそのまま改札を通れる。↑
■桃園空港を離陸してからしばらくすると、海上に2つの島が見えました。もしかしたら尖閣諸島かもしれないと思い、撮影しました。
今回の取材旅行の直前、2010年9月7日午前、中国漁船が日本の領海である尖閣諸島付近で操業したうえに、取り締まろうとした海上保安庁の巡視船に体当たりをするという事件がありました。海上保安庁は公務執行妨害と違法操業の疑いで中国漁船の船長を逮捕し、その後、船長は日中外交に配慮した日本側の判断で拘留期限前に処分保留で釈放されたため、その後日本国内であれこれ論議が活発化しています。
この尖閣諸島の領有権を巡っては台湾の国民党政府も権利を主張していますが、親日派の本省人にとっては関心がありません。国民党の親中派だけが中国に同調して騒いでいるだけです。
この問題について、日本国内でも民主党政権のやり方を批判する声が騒がしくなっています。それを批判する気持ちはありませんが、冷静に考えれば、日本が尖閣諸島を実効支配している限り、中国や台湾が何を言おうと、ここは日本固有の領土だと悠然と主張していればよいのです。船長を釈放した過程では確かにタイミング的にまずかったと思われますが、撮影したビデオの公開を中国側にちらつかせて、解放してやれば、中国も別の反応を示したかもしれません。
今回の事件で一番象徴的だったのは、日本に滞在している多くの中国人が何も意見を言わなかったことです。言論の自由の恩恵を身にしみて感じているはずの在日の中国人たちが、自分たちの意見を出せないほど、中国政府の非民主的な制裁を怖がっていることがこれではっきりしたわけです。日本政府の対応は百点満点ではなかったと思いますが、決して弱腰ではなく、民主的な対応の手本を示したと自己評価をしていればよいのです。そして、同じように中国にいじめられている東南アジアの国々と連携を深めていけばよいのです。
ところで、先に紹介した高雄市の旗津区は、東沙諸島と南沙諸島も管轄に含んでいます。あたかも東京都の港区が小笠原諸島を管轄下に置いているようなものです。台湾は中国からいくら批判されても、東沙諸島を実質的に統治しているため、平然と受け流しています。また、台湾は南沙諸島の一部も実効支配しているのです。
日本は竹島を実効支配し続けなかったばかりに、韓国に実効支配を許してしまいました。北方四島も、終戦直後のどさくさでソ連に実効支配を許してしまいました。ひとたび実効支配を許してしまうと、いくら歴史的な所有権利を主張しても、犬の遠吠えに過ぎません。沖縄や小笠原は返還してもらえましたが、米国との密約と引き換えでした。
おそらく世界中で最も親日的な国は台湾です。この魅力的な隣国について、日本人はもっとよく理解しなければならないと思います。
↑台湾では商品を日本語で書くと高品質イメージとなり売れ行きが良いという。中にはオヤッという文字もあるが、ご愛敬。↑
【ひらく会海外取材班・この項おわり】
↑北回帰線より南に位置する高雄市は、亜熱帯気候です。大通りの街路樹からもその雰囲気が味わえます。↑
旅行者にとって、90年代の高雄市内の移動はもっぱらタクシーでしたが、現在は、紅線と橘線の2本が市内を南北と東西に走っています。2007年1月5日の台湾新幹線(板橋⇔左営)の開通にあわせて、高雄捷運という高速旅客交通システム(MRT)が建設され、紅線は2008年3月9日に、橘線は2008年9月14日に開業しました。現在も新たな路線の建設が進められています。
↑美麗島駅は紅線と橘線が交差する唯一の乗換え駅で2008年9月14日に橘線の開通とともに開業しました。この駅の名前は1979年12月10日に台湾を震撼させた民主化運動の美麗島事件から名付けられました。ガラス張りの地上の建物は日本人の設計だそうです。↑
橘線にのって、港に近い西子湾駅に向かいました。ここから10分ほど歩くと旗津(チーチン)行きのフェリー乗り場に着きます。片道15NTドルですが、改札は無く、旅客は料金を箱に入れて乗船します。取材班は箱を見逃してしまい、そのまま乗ってしまったので帰路にその分を余計に箱に入れました。
旗津にはフェリーで8分ほどで到着します。ここは、細長い砂州なので、3分も歩くと反対側に出ます。高雄港は2006年に世界第6位のコンテナ取扱量を誇る港ですが、漁港もこの一角にあるため、旗津にはたくさんの海鮮料理店があることで知られています。
ちょうど昼食時だったので、おいしそうな海産物が並んでいた店に立ち寄りました。店先にならんでいる魚介類を選ぶとすぐに料理にしてくれます。
一方、高雄市の南北方向を結ぶのは紅線です。今回、北から3番目の橋頭糖廠駅から南に10駅目の左営駅まで乗ってみました。
これはヨーロッパのシーメンス社製車両や運行システムが導入されています。そのため、なぜか車内での飲食は禁止となっており、罰金1500NTドル(約4500円)の表示が車内に貼ってありました。
橋頭糖廠駅は、すぐ目の前が砂糖工場の跡地で、現在は砂糖工場の工場や倉庫を利用した砂糖に関係するテーマパークや芸術村などに再開発されていて、多くの市民が訪れています。
↑上:製糖博物館展示販売センター。中:人気の氷あずき売り場。下:炎天下の観光には氷あずきが一番。↑
左営駅までの途中にある世運駅は、2009年7月16日~26日まで開かれた第8回ワールドゲームのメインスタジアムが近くに建設されたことからこの名が付けられました。
左営駅は、新幹線の終点でもありますが、MRTの左営駅の2番乗り場から、今年の3月から運航を始めた特殊なバスが発着しています。高雄市民の人気を集めており、予め切符を予約しておかないと、なかなか乗れません。
この特殊バスは、れっきとした高雄市公共汽車管理處が運航している観光用の水陸両用バスです。通称、「鴨子船」と呼ばれ、普通のバスより小さいこの水陸両用バスは、左営駅を出発すると10分ほどで、近くの観光名所である蓮池潭に到着し、スロープを下って池に着水するや、今度は後部に取り付けたプロペラを回して、池を一周してから、もと来たルートをたどり、左営駅に戻ります。この間、約30分ほどですが、既に次の乗客が既に列を作ってバス停で待っています。
↑上:高雄市の水陸観光車第1号。中:水陸観光車の後ろ姿。下:プロペラ。↑
食事をするなら、「新台湾の原味」(高雄市明誠三路1号)に行ってみましょう。グルメ情報としてあちこちで紹介されていますが、店内がひとつの町のようになっていて、裏通りを歩いている気持ちになります。
日本語で書いてある沢山の看板は日本統治時代のものです。戦前・戦中にタイムスリップした感じです。
中には、戦時下の軍国主義のスローガンもあり、複雑な気持ちにさせられるものもあります。
2階に上がると、なんと古びたバスがデーンと置いてあります。「金馬号」というこのバスは、かつて台北―高雄間を往復していたバスだそうです。もちろん、バスの中に入れます。その奥には映画館があり、当時のチケット売り場に、ポスターがたくさんあります。実際に当時の映写機もあり、昔の映画を放映していて、食べながら映画を見ることもできます。
料理も、典型的な台湾料理はほとんど網羅しており、味も申し分ありません。台湾ビールがよく合います。
夜の楽しみは屋台です。今回は美麗島駅から歩いて5分足らず康橋商旅(Kindness Hotel)に宿泊しましたが、毎晩、高雄で有名な六合夜市とよばれるナイトマーケットが近くに出現します。
1950年発祥といわれ、初めは空き地に屋台がぽつぽつと出始め、その後、「小吃」というB級グルメで名を馳せる夜市となり、さらに規模拡大して、いまの六合夜市になりました。昼間は普通の大通りが、夕方6時を過ぎると、行き交う人々で賑わう夜市に変貌します。
軒を連ねるおよそ150の屋台のほとんどは「小吃」、娯楽ゲームなどで、服や雑貨などを売る屋台も目にします。人気屋台は、安くて家庭的なステーキ(排骨)や、農産物・コールドドリンク・氷菓・海鮮料理屋など、多種多様な食べ物屋台が並んでいます。なお、高雄にはこのほかにも瑞豊夜市、鳳山青年夜市などの有名な夜市があります。
↑珍しいヒシの実。煮た後、固い殻を割って食べる。↑
今回は4泊5日の高雄滞在でしたが、台湾の結婚披露宴を体験できて、大変楽しい取材ができました。
帰路、高雄の左営駅から台湾新幹線に乗り、各駅停車で桃園まで行き、バスに乗り換えて桃園空港から帰国の途に就きました。
↑左営駅の高鉄切符売り場。↑
↑ネットで予約して近所のコンビニで買える切符。QRコードをかざせばそのまま改札を通れる。↑
■桃園空港を離陸してからしばらくすると、海上に2つの島が見えました。もしかしたら尖閣諸島かもしれないと思い、撮影しました。
今回の取材旅行の直前、2010年9月7日午前、中国漁船が日本の領海である尖閣諸島付近で操業したうえに、取り締まろうとした海上保安庁の巡視船に体当たりをするという事件がありました。海上保安庁は公務執行妨害と違法操業の疑いで中国漁船の船長を逮捕し、その後、船長は日中外交に配慮した日本側の判断で拘留期限前に処分保留で釈放されたため、その後日本国内であれこれ論議が活発化しています。
この尖閣諸島の領有権を巡っては台湾の国民党政府も権利を主張していますが、親日派の本省人にとっては関心がありません。国民党の親中派だけが中国に同調して騒いでいるだけです。
この問題について、日本国内でも民主党政権のやり方を批判する声が騒がしくなっています。それを批判する気持ちはありませんが、冷静に考えれば、日本が尖閣諸島を実効支配している限り、中国や台湾が何を言おうと、ここは日本固有の領土だと悠然と主張していればよいのです。船長を釈放した過程では確かにタイミング的にまずかったと思われますが、撮影したビデオの公開を中国側にちらつかせて、解放してやれば、中国も別の反応を示したかもしれません。
今回の事件で一番象徴的だったのは、日本に滞在している多くの中国人が何も意見を言わなかったことです。言論の自由の恩恵を身にしみて感じているはずの在日の中国人たちが、自分たちの意見を出せないほど、中国政府の非民主的な制裁を怖がっていることがこれではっきりしたわけです。日本政府の対応は百点満点ではなかったと思いますが、決して弱腰ではなく、民主的な対応の手本を示したと自己評価をしていればよいのです。そして、同じように中国にいじめられている東南アジアの国々と連携を深めていけばよいのです。
ところで、先に紹介した高雄市の旗津区は、東沙諸島と南沙諸島も管轄に含んでいます。あたかも東京都の港区が小笠原諸島を管轄下に置いているようなものです。台湾は中国からいくら批判されても、東沙諸島を実質的に統治しているため、平然と受け流しています。また、台湾は南沙諸島の一部も実効支配しているのです。
日本は竹島を実効支配し続けなかったばかりに、韓国に実効支配を許してしまいました。北方四島も、終戦直後のどさくさでソ連に実効支配を許してしまいました。ひとたび実効支配を許してしまうと、いくら歴史的な所有権利を主張しても、犬の遠吠えに過ぎません。沖縄や小笠原は返還してもらえましたが、米国との密約と引き換えでした。
おそらく世界中で最も親日的な国は台湾です。この魅力的な隣国について、日本人はもっとよく理解しなければならないと思います。
↑台湾では商品を日本語で書くと高品質イメージとなり売れ行きが良いという。中にはオヤッという文字もあるが、ご愛敬。↑
【ひらく会海外取材班・この項おわり】