梅雨も、変わった。
しとしとと降る雨なく
ザアザア、ゴロゴロ、
大雨、大風、
なんと、今回の大風は、連続7日続いた。
我が家の紫式部は、根本から、折れてしまう。
そして、続いて、大雨。
土砂崩れ、ありあり。
大変な、梅雨。
梅雨も、変わった。
しとしとと降る雨なく
ザアザア、ゴロゴロ、
大雨、大風、
なんと、今回の大風は、連続7日続いた。
我が家の紫式部は、根本から、折れてしまう。
そして、続いて、大雨。
土砂崩れ、ありあり。
大変な、梅雨。
庭、風なし
木々、葉っぱ、びくりともせず。
雨なくも、山崩れる、老年の山、日本の山、と、中学生の時、地理の先生が言った。
かわいいあじさいたち
梅雨がこうも変わるとは、夢にも思っていない
ほんとに、毎年起こる水害は、日本の特徴になってしまったでしょうか?
どの山も、崩れても、おかしくないと、中学校の地理の先生に教わりました。山から平野、平野から山と変化する、地層の変化。日本の山は、これから、平野へと変化する、老化の進んだ山。いつ、山崩れが起きてもおかしくないと。
それに加えて、温暖化の結果の大雨、、、
新しい道路を作った時に、治水がおろそかにされたかな?
道路は広くなったけれど、川は、狭くなった?でしょうか?、結果、水があふれた、大社町の道路潅水は、そんな気がする。
道路の一車線が二車線になる、車は通りやすくなって、観光客は沢山訪れる大社町。私の父の実家がある、ふるさと。夏は、いつも、海水浴に行ったね。
県警や消防の捜索が行われている山形県鶴岡市の土砂崩れ現場=31日午前10時19分
集落の裏山の斜面がごっそりとえぐれ、赤い土がむき出しになった。大みそかの31日未明、山形県鶴岡市で大規模な土砂崩れが発生。暗闇の中、住宅も巻き込まれたとみられ、親戚の安否を気遣う人が現場に駆け付け「全部やられてしまった」と言葉を失った。 現場は県道沿いで田畑が広がる。土砂は家屋をのみ込み、屋根や柱が原形をとどめずに道路にまでなだれ込んでいた。 親戚の男性と連絡がつかず様子を見に来たという、同市の無職石塚三男さん(62)は「ここは昔から地盤が緩いと言われていたが…。心配だ」と漏らした。
今年の梅雨は、雨マークでも、降らない、ポツポツ。「これじゃあ、梅雨じゃあないね」とひとり言、言いながら、パチリ。
それでも、フェンスに、雨模様。
太陽が、葉っぱも照らす、はっぱもピカピカ
全国各地で記録的な豪雨が相次ぐなか、島根県西部を流れる江の川流域の自治体や国が協議会を発足させ、流域全体で水害対策を行う「流域治水」の取り組みを進めることになりました。
新たに発足したのは、江の川を管理する国土交通省や流域に当たる島根県や広島県の7つの自治体などでつくる「江の川水系流域治水協議会」です。
5日、広島県三次市で開かれた初会合では、国の担当者が、水害対策として従来のような堤防の整備だけでは限界があり、流域全体で対策を行う「流域治水」が必要であると説明しました。
そのうえで、田んぼやため池を部分的に改修し、雨水をためられる量を増やすことで、河川に流れ込む水の量を減らす方法や、比較的短い工事で済む、集落そのものを囲むような堤防の建設など、全国で行われている事例を紹介しました。
また、集団移転についても、5戸以上であれば、国から移転の際に費用の補助があるため、検討を進めて欲しいと話していました。
協議会は、今後も会合を重ねて、来年3月をめどに「流域治水」の計画を公表する予定です。
江津市の山下修市長は「従来のような堤防建設では、10年、20年と長い時間がかかることは明らかで、住民の命を守るためには、住宅の移転も方法の一つとして考える必要がある。国にはスピード感と柔軟性を持って自治体を支援してほしい」と話していました。
川本町の野坂一弥町長は「江の川流域では、歴史の中で何度も被災してきた人たちがいるので、その思いを受け止め、全体の計画に反映できるよう努めていくとともに、一刻も早く治水対策が進むよう取り組んでいきたい」と話していました。
また、美郷町の嘉戸隆町長は「今までは上流と下流で別々に活動していたのが、流域全体で総合的に取り組むというのは、水害リスクを減らす意味でも意義深い。私自身、メンバーの1人として全力を尽くしたい」と話していました。
浜田河川国道事務所の大元誠治副所長は「これまでは、河川は河川で治水事業を行ってきましたが、自治体を含めて流域全体で、さまざまな案を出しながら取り組めることに意義があります。事務局として音頭を取りながら、スピード感のある対策がとれるよう尽力していきたい」と話していました。
熊本県南部に甚大な被害を出した豪雨は11日、発生から1週間となった。人吉市と山江村では仮設住宅の建設も始まるなど復興に向けた動きも出ている。写真は、作業する関係者=同県人吉市【時事通信社】
(時事通信)
熊本県南部に甚大な被害を出した豪雨は11日、発生から1週間となった。依然6人が行方不明となり、自衛隊などが引き続き捜索。人吉市と山江村では仮設住宅の建設も始まるなど復興に向けた動きも出ている。
11日から建設工事に着手した仮設住宅は、人吉市と山江村で計40戸を予定。県は8月中旬の入居開始を目標に整備を進めている。ただ、今後必要となる戸数については現時点で不明としている。
今回の豪雨災害の死者は九州北部での豪雨も含め、九州全体で65人。内訳は熊本県61人、福岡県2人、大分・長崎両県で各1人。最も被害が大きかったのは熊本県南部で、これまでに死者59人が確認された。
特に氾濫した球磨川流域の山間部にある球磨村の被害が深刻で、死者23人、行方不明1人。死者のうち14人は特別養護老人ホーム「千寿園」の入所者だった。
球磨村は浸水被害が激しかったが、被害の全体像は調査が進んでおらず、全壊・半壊や浸水戸数などは分かっていない。役場に通じる道路が崩落して車が通行できず、村は災害対策本部機能を約5キロ離れた球磨村総合運動公園に移転させて業務を行っている。
県南部の他の市町村の死者は、人吉市が19人、芦北町が10人、八代市4人、津奈木町2人など。
熊本の福祉施設での14人の心肺停止。
どういう状態で、亡くなられたのか?
ベットが、水没して、寝たまま、息ができなくなった?
想像ができない。
職員たちの気持ちを思うと、言葉がない。
福岡県、佐賀県、長崎県の大雨、
川の様子が怖いです。
熊本県の被害も大きいです。
死亡と心肺停止とどう違うのか?
医師の死亡確認がまだの方が心肺停止という言い方だと分かった。
中国地方も命を守る避難をしてください。
ノウゼンカズラの花を送ります。
少し、目の保養で、休んでください。
中学校の時、日本の山、平野部、を教材で作ったことがあった。
その時先生が、日本の山はいつでも崩れてしまう、年を取っている山だと。
それから、22歳の時、山の多い、邑智郡で働いたけど、その時山崩れに出会った。
川本町から、石見町に車で行ったけど、帰りの道が山崩れで通れなくなって、
崩れた山の石や岩の上を歩いて渡り、川本町からの迎えの車で、帰ったことがあった。
崩れて通れなくなった道は、10mほど、岩や石で埋められた。
先生の言われた。年を取った山だと実感した。
中学校の地理の時間で、山の出来方で雨によって、谷ができ、山ができ、また、崩れて、平野になっていく、そんな山の様子を習ったけれど、まさか、山崩れに会うとは、びっくりだった。
それから、出雲市で、山を切り取って住宅が建てられたけど、その山が崩れて、住宅が下敷きになり、高校生が亡くなった。それから、山を崩して住宅を建てるときは、山が崩れないように、対応されたけど、新興住宅は出雲市では山近くにはできなくなったかな?
出雲市は簸川平和が広かったから、島根医大も県立中央病院も田んぼが埋め立てられてできた。
松江市の方が、平野は少なく、大きく敷地を取るような団地は山を削って作られた。
広島も、山に住宅が多く出来ていて、大雨、山崩れ、住宅の崩壊があった。
中国地方は中国山脈が多く広く、また、島根は湖の大きいものが二つあって、川も多く、簸川平野は古代からの川の氾濫で出来た。斐伊川は天井川で、平野よりはるかに川底は高い。
松江駅あたりは宍道湖の泥地、埋め立てだから、最近まで、多く家屋が浸水した。
昭和47年の大雨は、島根県中が水の被害にあった。多くの地域で、ボートが出た。
宍道湖、中海、地域の川が溢れないように、治水に力を注がれた。今も、街の川の水位を下げるために、川の工事がされている。
子どもの頃の我が家は、小川の前の低地にあったので、大雨が降ると浸水床上になるので、いつも、畳を二階に父が運んだ。水の入った我が家は長靴で歩いた。
隣の家は、基礎が高く作られていたので、床上も床下も浸水はなく、食事はお隣さんのお世話になって、台所を使わせてもらった。
でも、小川の氾濫だから、浸水も少々。
近年の大雨の川の氾濫は、恐怖に感じるぐらい死亡者も多く、怖く酷い。