作家で精神科医の 帚木蓬生さん(75)(福岡県中間市)が、小説『花散る里の病棟』(新潮社)を刊行した。明治から4代続く福岡の医者の家を通して、戦争やコロナ禍などの過酷な現実に直面しながらも、地域の人々に寄り添い続ける「町医者」に光を当てた。
「医療小説では名医や悪徳医師が登場しがちだが、身近な町医者が書かれるべきだと思った。彼らこそ医療の前線基地なのだから」
明治末、医者になった初代の野北保造は、寄生虫治療に尽力し「虫医者」と呼ばれて住民に慕われたが、50歳過ぎで急死する。父の無念を晴らそうと医者になった2代目の宏一は山あいの診療所で献身的に働き、その背中に「近づきたい」と願う3代目の伸二も、老人福祉施設を開設して孤独な老人たちの相談に乗る。ただ、米国で最先端医療を学んだ4代目となる健は、多忙な町医者を敬遠していた。
4世代を通して立ち上がってくるのは、100年の医療史とでも呼ぶべき生と死の物語だ。象徴するのが、あの戦争。2代目の宏一は、軍医としてフィリピン・ルソン島に送られ、敗走できない兵士を安楽死させざるを得ない極限状態に置かれた体験から、その悔悟や鎮魂の念を抱き続ける。3代目の伸二も、元看護師の患者から、敗戦の混乱期に性的暴行を受けた女性たちが堕胎する施設で働いたというつらい過去を打ち明けられ、社会の暗部を知る。
帚木さんは「銃後の人々にも甚大な影響を及ぼすのが戦争。ロシア軍のウクライナ侵攻の情勢と重ねて、戦争が決して過去の話ではないことを感じてもらいたい」と話す。
そして現代。4代目の健はコロナ禍と直面する。公立病院の過酷な現場で患者たちに向き合ううち、町医者としての自らのルーツを強く意識していく。〈町医者こそが医師という職業の集大成なのだ〉
「町医者は地域の人々の健康の守りであり、日々の安心感にもつながっている。私も勤務医から開業医となったことで、医師としてのやりがいをより深く知ることができたと思う」
町医者であることとともに、野北家を代々つなぐものが、初代からたしなまれてきた俳句だ。「何日間も考え続けた句もあった」と帚木さん。厳しい現実を写実的に切り取り、鎮魂の思いなどがぬくもりをもって表現される。その中の一句。
新しき春も迎えず逝った人
地域の人とともにある町医者の使命を思う。(北川洋平)