11月21日(火) 8時00分~10時25分/4ch 日本テレビ
そのとき家族は?会社は?働き盛りで発症…若年性認知症
”若年性認知症”を特集。沖縄・豊見城市に住む大城勝史さんは2年前、若年性認知症と診断された。大城さんは自宅から400m離れたバス停までたどり着くことができず、毎日地図と風景写真を確認しながら通常の倍の時間をかけてバス停まで歩いている。外出時には必ず、助けを求める言葉が書かれたメモや連絡先が書いてある手帳をぶら下げて出かけなくてはいけない。
大城さんは働き盛りの40代。認知症によって退職せざるを得ない人が多い中、勤務先の理解により発症前と同じ自動車販売店で働いている。担当は洗車係。営業職時代にも進んでやっていた洗車は体が作業を覚えていて、滞りなくこなせるという。
大城さんが何かおかしいと感じ始めたのは6年前。3人の娘を育てる37歳の時、「契約書が作れない」「お客の顔が覚えられない」など、仕事に支障をきたすことが起きるようになった。病院で伝えられたのは脳炎もしくは、アルツハイマー型認知症の疑い。それからというもの、大城さんは日々をブログに綴り始めた。病名を告げられた日のブログには、「車の中で泣きました、やっぱり…」という言葉が。自分はもう働けないのか、猛烈な不安の中、勤務先に病名を告げると会社は大城さんの思いを受け止めてくれた。身近で大城さんを見てきた同僚の大見謝恒明さんは、「自分ができることを一生懸命、人一倍やる。ほんと(仕事に)欠かせない存在です」と話した。
昼食後、午後の勤務に入ってまもなく大城さんは座り込んだりあくびをすることが多くなっていた。これは認知症にみられる脳の疲れ。大城さんは眠気に襲われていた。会社はその症状を承知し、午前と午後に30分ほどの休憩を認めている。
妻としてどう支える?家族の葛藤 まさか夫が「若年性認知症」
職場の理解を得られる人がいる一方で、「仕事で責任を果たせない…」と自ら退職を選んだ人もいる。3年前、若年性アルツハイマー型認知症と診断された古川和博さん。1人娘は独立し、今は妻の眞紀子さんと二人暮らし。日常生活のほとんどは眞紀子さんの助けなしではままならない。それでも、家のことを何かしたいと、和博さんは食後の食器洗いを率先して行っている。今は和博さんの障害年金と眞紀子さんのパート代などで生活している。古川さんは高校卒業後に電気工事士として勤務しその後結婚、娘を授かった。54歳の時に認知症らしき症状が現れ、仕事ができない自分に対して落ち込んでいる様子だった。そんな古川さんは家族の勧めで病院へ行き、若年性アルツハイマー型認知症と判明。認知症と診断された古川さんは、妻の勧めで仕事を退職した。夫が仕事を辞めてから明るくなって嬉しい反面、妻の眞紀子さんは「夫の認知症を周囲に知られたくない」との世間体が胸を締め付けたという。その悩みを取り払ってくれたのは近所の仲間だった。近所の仲間は古川さんが認知症だと知るとグラウンドゴルフに誘ってくれ、現在も週に1度交流している。「少しでも奥さんをサポートできれば、孤立は最大の敵だ」と周囲は話している。
娘3人の父・薄れる記憶…42歳 働き盛りを襲う「若年性認知症」
40歳で認知症と診断されたが仕事を続けられている大城さん。この日は緊張した様子で、日本認知症ケア学会での講演に訪れた。医療や介護に携わる人々を前に、認知症になっても働ける場所がある喜びを語った。大城さんは社会とのつながりのために働きたいし、小さい娘に働いている姿を少しでも長く見せたいと語った。この日の大城さんのブログは「みんなに感謝しながら頑張ろう」との言葉でしめられていた。
今回特集した”若年性認知症”について、加藤浩次さんは「原因も特効薬もない中、どこまで続くのかという不安に襲われると思う。『明日覚えていなくても頑張ろう』という気持ちになるには相当時間がかかっただろうし、周りのケアがあったからこそ」などと話した。