わが部屋の温度、29.9度
暑さに鈍感になったのか❔
余り暑さを感じない、😵💧ね。
これが、熱中症になる高齢者の感覚かな~💦
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女性の代理人を務める谷真介弁護士(大阪弁護士会)などによると、女性は兵庫県宝塚市の介護老人保健施設で、入所手続きなどを担当する支援相談員として働いていた。その施設で2021年4月に大規模なクラスターが発生。認知症の人が暮らすエリアの入所者36人が感染し、同エリアで働く職員17人も感染する事態となった。
当時は変異株「アルファ株」が猛威を振るう「第4波」のまっただ中。入所者の搬送先は見つからず、働ける職員も足りなくなり、女性は4月のある日、施設の運営法人の理事長から「(認知症入所者のエリアに)行ってくれへんか」と指示され、同エリアで計6日間勤務。入所者への配膳やおむつ交換など介護の仕事をするようになった。施設内で8人が死亡したため、女性は看護師と一緒に遺体を運ぶ作業にも携わった。遺体は感染防止のため透明のビニール袋に覆われ、作業中は故人の顔を間近で見ざるを得なかったという。
女性は施設に就職する前、介護ヘルパーとして働いたことはあったが経験は浅かった。突然の指示でコロナ感染の最前線に立たされ「孤独でつらさを感じた」といい、遺体との対面時も「経験したことがないショックを受けた」と振り返る。防護服を支給されたが1日1着で、脱ぎ着する際は感染リスクにさらされた。
5月から事務職に復帰したものの、遺体の光景がフラッシュバックするなどして下旬ごろから食欲不振や不眠といった症状が出て休職。6月に病院を受診し、うつ病と診断された。女性は現在も休職している。
女性の労災申請を受けた西宮労働基準監督署は23年5月、うつ病の発症は労災に当たると認定した。当時は高齢者らへのワクチン接種が始まったばかりで、女性は感染の恐怖を感じながら業務に従事していたと指摘。さらに遺体の搬送作業で心理的な負荷が強まったと判断した。クラスター発生後の時間外労働も月50時間で前月に比べて2倍に急増したことも考慮した。【戸上文恵】
藤根康平(ふじね・こうへい)裁判官は判決理由で、亡くなる1カ月半前にも朝食を喉に詰まらせ、むせ込んだことがあり、同じように食事を提供すれば、より重大な結果が生じる危険を認識できたと指摘した。
その上で、介護記録にむせ込んだ事実が記載されていないなどとして「十分な情報共有や原因分析がされなかったとうかがわれる」と過失を認定した。
判決によると、男性は19年に入居。21年11月26日、朝食のロールパンを喉に詰まらせ、病院に救急搬送されたが、死亡した。
長生福寿会の担当者は取材に「判決文を受領し次第、内容を確認し、対応を検討したい」と述べた。
相模原の障害者施設殺傷事件の評論など、障害者や安楽死を巡る論考で知られた社会学者で立命館大教授の立岩真也(たていわ・しんや)さんが7月31日午後1時33分、悪性リンパ腫のため京都市左京区の病院で死去した。62歳。新潟県出身。葬儀は関係者で行う。喪主は長男想(そう)氏。
新潟県の佐渡島に生まれ、東京大、同大学院で社会学を専攻。重い障害や難病と共に生きる人々にとって望ましい社会の在り方を探究した。2016年に相模原の事件が起こると、安楽死を肯定するような議論を痛烈に批判。批評家の杉田俊介さんと共著「相模原障害者殺傷事件」を刊行し、障害者差別などの歴史的観点から事件を検証した。
川崎市に住む79歳のヘルパー、正子(まさこ)さん(仮名)の仕事は分刻みだ。朝8時半から30分間、90代の女性をデイサービスに送り出すため訪問。移動して9時半から45分間は男性宅で掃除や片付け。続いて10時半には別の男性宅で掃除、11時半からは入浴介助のため次の利用者宅へという具合だ。この日は午後4時45分まで計6軒を訪問した。
正子さんがヘルパーを始めたのは00年に介護保険が始まった数年後。当時は経済的な理由だったが「やっていて楽しい」と感じ、続けてきた。
来年で80歳。体力がいる仕事をいつまで続けられるか分からない。「区切りをつけたい」と今年でやめるつもりでいた。しかし勤務先から強く慰留されている。
健康面の不安を抱えながら働くヘルパーも少なくない。東京都三鷹市の66歳のヘルパー弘子(ひろこ)さん(仮名)は昨年、介助中に腰椎を骨折した。大柄な男性を抱えてベッドに移動させ、体を戻した時に音がして激痛が走り、動けなくなった。半年以上の療養を強いられたが、最近復帰。「働き続けたいが、力仕事はまだ怖い」と話す。
介護労働安定センターの21年度の調査によると、ヘルパーのうち60歳以上は全体の37・6%で、平均年齢は54・4歳。30代以下は13・7%で、ヘルパーを選ぶ若手は極端に少ない。施設に比べ待遇が低いことに加え、訪問先では1人で判断し、対応しなければならないなど経験が必要とされるからだ。ハラスメントを受ける心配もある。
人手不足も深刻で、厚生労働省が発表した20年度のヘルパーの有効求人倍率は14・92倍にも上っている。東京商工リサーチの調査によると、人を確保できず事業休止や倒産に追い込まれる事業者も相次ぐ。
待遇改善を求めて国賠訴訟を起こした原告のヘルパーの一人、藤原(ふじわら)るかさん(67)は「生活をまるごと支える専門的な知識が求められるのに、誰でもできる仕事とされ、収入が低く抑えられている」と人が集まらない原因を挙げる。
「60歳以上のヘルパーが仕事を続けられるのは現実的にはあと5年、10年」と指摘するのは淑徳大の結城康博(ゆうき・やすひろ)教授だ。「若手がいない状態で引退したら、多くの人が介護を受けられなくなるのは確実」
結城教授は「介護保険が始まって23年、ヘルパーの待遇を良くするという対策を全くとってこなかった結果だ。他の業種に人材が流れないよう、時給を大きく上げる、公務員化するなど抜本的な対策を取らなければ保険あって介護なしが本当に現実になる」と警告する。
※ホームヘルパー
訪問介護員。在宅の高齢者や障害者を訪問して身体介護や家事支援などをする。食事や入浴、排せつ、着替え、寝返りの介助など基本的な生活を継続できるようにするほか、掃除や洗濯、買い物や調理などを援助したり、代行したりする。全国に約51万人。厚生労働省は2040年度に必要なヘルパーを約280万人としている。
斎藤毅(さいとう・つよし)裁判長は判決理由で、たびたび食事をかき込んで嘔吐(おうと)していた山田さんの誤嚥(ごえん)の危険性は予見できたと判断。常に食事を見守る注意義務を施設が怠ったと指摘し、「見守りがあれば死亡を回避できた蓋然(がいぜん)性が認められる」と結論付けた。
判決によると、山田さんは19年2月、北陽福祉会が運営する「ほのぼのホーム西尾」に入所。同12月、食事を喉に詰まらせ窒息死した。
北陽福祉会は「(判決の)内容を確認した上で、今後の対応について判断させていただきたい」としている。
遺族は山田さんが施設の元職員に腕や胸をつねられるなどの虐待を受けたとする暴行容疑などの告訴状を名古屋地検に提出したが、既に不起訴となった。
専攻医の1年目として東北大学精神科に勤務し、いよいよ外来患者を持つことになった時のことです。その方は、うつ病の80代男性Aさん。「現在は抑うつ状態ではなく、数年間気分は安定しているが、不眠に悩まされている」とのことでした。綺麗に整えられた白髪、クリーム色のセーターを着て、汚れのない茶色の革靴を履いていました。ゆっくりな歩みですが、同い年ほどの奥様に手を繋がれながら入室してくる姿は、どこか愛らしい様子だったことを覚えています。
奥様が「夜に目が覚めてトイレに行くんですけど。足元がおぼつかないみたいで。私も手伝っているんです」とAさんを気遣うようにしてお話される中、Aさんは「うーん」と悲しげな表情でうなりながらうつむいていました。聞くところによると、夜間に目が覚めてトイレに行くときに足元がおぼつかないことから、やむを得ずベッド脇にポータブルトイレを置き、奥様もその度に起きては手伝っているとのことでした。
睡眠薬を確認すると、ベンゾジアゼピン系睡眠薬(BZD)が使われていました。私は臨床経験が乏しく、手探りでしたが「BZDによる脱力がおぼつかなさの原因かもしれない」と教科書的な発想は浮かんでいました。そこでAさんに「睡眠薬を変えてみましょう」と提案し、BZDをやめ、適応外ではありましたが、トラゾドンを処方しました。トラゾドンは抗うつ薬ではありますが、実臨床では不眠に対してもよく使われています。正直なところ、薬を変えることでどのくらい生活が変わるかは想像がつきませんでしたが、とにかく2人の生活をよりよいものにしたいと手探りで進めるしかなかったのです。
すると、次の外来では、お2人の様子が入室時から既に違っていました。Aさんはどこか足取りが軽く、奥様はわずかに微笑んでいます。「先生、夜もほとんど起きなくなりましたし、何より足元がしっかりして。ポータブルトイレを使わずに生活できるようになりました。そうしたら、私もトイレを手伝う必要がなくなって、夜もゆっくり眠れるようになったんです」と奥様が嬉しそうに話してくれたのです。Aさんも「よくなったよ。ポータブルトイレは、いやだから、よかったよ」とにっこりと笑っていました。
手探りの投薬調整でしたが想像以上の変化が起きており、「よかったです!」と思わず声が大きくなったのを覚えています。夜に十分休めるようになり、日中に疲れを残さないようになったことから、次第に地元で小旅行に行くようになるなど、夫婦の時間を楽しむことができるようにもなったそうです。
今振り返ると、Aさんは元来おしゃれが好きで、ポータブルトイレを手伝ってもらうことに引け目や恥ずかしさを感じていたのではないかと思っています。ポータブルトイレをやめることができて自信を取り戻した本人の笑顔や、奥様の安心した笑顔は、私の臨床経験の中でも大切な一場面となっています。医師にとっては「たかが睡眠薬の変更」であるかもしれませんが、患者の生活に与える影響はとても大きく、常に患者の生活に寄り添った診療が必要であることを感じた経験でした。
【AFP=時事】存命中の世界最高齢となったフランスの修道女リュシル・ランドン(Lucile Randon)さん(118)は26日、史上最高齢記録の122歳164日よりも長生きしたいと語った。長寿の秘訣(ひけつ)は仕事と他人の世話だという。
シスター・アンドレ(Sister Andre)として知られるランドンさんは、地中海に面する南仏トゥーロン(Toulon)の高齢者施設で暮らす。施設の喫茶室で報道陣の取材に応じ、「仕事に殺されると言う人もいるが、私の場合は仕事に生かしてもらった。108歳までずっと働き通しだった」と語った。
現在は目が見えなくなり車いすで移動する生活だが、以前は自分よりもずっと年下の高齢者の世話をしていた。
「人は憎み合うべきではなく、助け合い、愛し合うべき。私たちがこうしたことすべてを共有できれば、世の中はぐっと良くなるでしょう」とランドンさんは述べた。
ランドンさんは1904年、南部アレス(Ales)生まれ。現在は祈りや食事、他の入所者や施設職員との交流などをしながら日々を過ごしており、絶え間なく届く手紙のほぼすべてに返信している。
2021年には、新型コロナウイルスに感染したが回復。毛髪やDNAサンプルの提供を求められたが、長寿の秘密は「神のみぞ知る」として断っている。
ランドンさんは、存命中の世界最高齢となったことを「誇りに思う」一方、「年を取るのは良いことではない。以前は他の人の世話をしたり、子どもたちに踊りを教えたりしていたのに、今ではできなくなってしまった」と述べた。
だがランドンさんは、1997年に122歳164日で亡くなったフランス人女性ジャンヌ・カルマン(Jeanne Calment)さんの史上最高齢記録を塗り替えたいと思っている。
施設のアクティビティー責任者でランドンさんの親友でもあるダビド・タベッラ(David Tavella)さんによると、ランドンさんは史上最高性記録は「手の届くところ」にあると考えている。
タベッラさんはランドンさんについて、「自分の限界に苦しみながらも、膨大な量の祈りをささげて乗り越えてきた」として、史上最高齢記録は「地球にとどまるつもりならば達成したようなものだ」との見方を示した。
ギネス世界記録(Guinness World Records)は25日、ランドンさんを存命中の世界最高齢と認定した。
【翻訳編集】 AFPBB
今朝の風は、涼しいね。💖
さすが、盆の風だね。
でも、部屋は、28度。
昔は、朝夕涼しくて、23度、24度もよくあった。
朝、子達の世話を何もしなくてもいい朝は、気持ちもやや沈んでいるけれど、窓を開け、夏の花達を見ていると、しあわせ感は、戻って来る。
そして、のんびりと、目玉焼きをつくり、トマトとキウイ、牛乳で、朝ごはん。
パンは、食べません。
ダイエット中だから。(笑)
ほんと、コロナ小太りが4キロもあつって、我ながら、びっくり。
今日は、お墓に行かなくちゃ。
ちょっと、遠いよ😁
高齢化とともに認知症患者の増加が見込まれる中、由良病院(玉野市深井町)は4月から認知症予防の朝食メニュー試食会を始めた。認知症病棟で比較的状態が安定している朝に必要栄養素を摂取できるよう工夫してきた経験を伝えるとともに、専門医や管理栄養士の講座を通じ、地域に認知症への理解を広め、自発的に予防に取り組んでもらう。
「認知症の根本的な治療はない。だからこそケアをしっかりする必要がある」「一人だけでケアしないで専門職に相談して」。4月26日の初回。精神科専門医、認知症診療医でもある南辰也院長が、集まった地域住民ら22人に認知症の基礎知識を優しく語りかける。
吉田孝栄管理栄養士は「何か一つ食べれば予防できるものではない」として、バランスのよい食事▽摂取カロリーを守る▽塩分・糖分を控える―といったポイントを説明した。
試食のメニューは、雑穀めしを主食に、サケの明太子あえ、厚焼きたまご、ヒジキの煮付け、ブロッコリーのごまあえ、ゆずなますをワンプレートに盛り付け。具だくさんのみそ汁を添えた。副菜は作り置きでき、朝から食物繊維、ミネラル、葉酸など幅広い栄養素を取れるようにしている。参加者は「朝からしっかり食べた方がいいんですね」「塩分が控えめでもおいしい」などと味わった。
当面、月1回のペースで実施していき、将来的には朝食を提供する認知症カフェの開設を検討している。南院長は「初回から大勢参加いただきうれしい。認知症は誰がなってもおかしくない病気。地域の皆さんと一緒に予防の取り組みを進められれば」と話している。
次回は5月24日午前11時から、軽度認知障害(MCI)などの講座がある。無料だが事前申し込みが必要。試食は既に定員に達している。問い合わせは由良病院(0863―81―7125)。
2月27日に80歳で死去した「ダルク」創設者の近藤恒夫(こんどう・つねお)さんは、自身も覚醒剤依存に苦しんだ当事者として、35年以上、薬物依存からの回復を目指す「仲間」たちの支援に力を尽くしてきた。
「私の意志の力ではどうにもなりません」。1980年、覚醒剤取締法違反罪で有罪判決を受けた公判の最終陳述で、近藤さんは涙を流しながら裁判長に訴えた。どんなにやめようと努力してもやめられない。その苦しみを正直に打ち明け、自身が薬物依存に対して「無力」であることを認めることから、近藤さんの回復は始まった。
その後、アルコール依存者の支援活動を行っていた神父らの協力を得て、85年にダルクを設立。生前「私たちは『犯罪者』としてではなく、同じ病気を抱える仲間として向き合ってきた」と語ったように、互いの経験や悩みを分かち合い「仲間たちの中で薬物をやめていく」当事者活動をけん引。医療や福祉では実現できないダルク独自の回復への道を切り開いた。
元入寮者が回復してスタッフになり、別の場所で新たなダルクをつくり...。そうやってダルクは現在全国の約60団体、約80施設に広がった。近藤さんは著書でこうつづる。「薬物依存は、その人が抱える孤独や孤立から解放してやらない限り、絶対に解決しない」
アルツハイマー病患者から作った人工多能性幹細胞(iPS細胞)を使い、病気に関わる複数の遺伝子を特定したと、京都大の井上治久(いのうえ・はるひさ)教授(神経内科学)らのチームが21日までに発表した。井上教授は「これらの遺伝子を標的とし、早期診断や治療薬の開発につなげたい」と話した。
アルツハイマー病は脳内に特定のタンパク質が過剰に蓄積されることが原因とされる。今回、病気のうち9割以上を占め、家族に病歴がない「孤発性」について調べた。
チームは患者102人の血液細胞から作ったiPS細胞を脳の神経細胞に成長させ、病気を細胞レベルで再現。細胞の遺伝子の働きなどを分析し、特定タンパク質に関係するとみられる24の遺伝子を特定した。さらにこのうち8の遺伝子は特定タンパク質の量の調節に関わることも分かった。
チームは、特定した遺伝子の情報やこれまでの臨床データなどを活用し、個人の遺伝情報から病気の発症を高精度で予測するモデルの構築を進めている。