尺八演奏、凄い
子どもの頃、ご近所に尺八を弾く人がいて、耳を傾けて聞いていた。
テレビでこの方を今初めて知る、寝れなくなった。
藤原道山さんをパチリ。
松田聖子 あの日は一睡もせず沙也加さんに寄り添った
[ 2021年12月25日 05:30 ]
神田沙也加さん(享年35)が18日に急逝して1週間になる。出演していた舞台が25日から再開され、母の松田聖子(59)は出場予定だったNHK紅白歌合戦担当者との話し合いを再開させた。最愛の娘を亡くした悲しみは深く「一睡もせずにご遺体に寄り添い続けていた」(関係者)という聖子は、立っているのもままならない状態なのに元夫の神田正輝(71)とツーショットで会見した。なぜ自ら報道陣に対応し、紅白に向けた話し合いも始めたのか――。まだ見えぬ悲しみの向こう側へ、聖子は歩き始めようとしている。
スポニチ本紙の取材では、聖子は沙也加さんの遺体が警察から葬儀場に搬送される20日昼すぎに札幌入り。「沙也加さんは、降り積もる雪のおかげなのか外傷は見当たらず、本当に穏やかな表情でまるで眠っているようでした」(関係者)。無言の愛娘の冷たくなった頬に何度も自分の頬をすり寄せ、覆いかぶさるように両手で何度も撫でながら泣き叫ぶ母親の姿は「筆舌に尽くし難い、これまで見たことのない聖子さんの姿だった」という。
悲報が伝えられたのは18日深夜。毎年恒例の都内でのディナーショー終演後で、知らせが遅かったのは沙也加さんの事務所社長を務める実兄の配慮。「もし、先に重体が伝えられていたら、とてもステージには立てなかった」と関係者。20日の通夜後も聖子は一人、ホテルに帰らず、次の日の葬儀・告別式の準備に取りかかるまでの「20時間以上、一睡もしないまま沙也加さんのそばから離れようとしなかった」という。
泣き腫らした目は翌21日午後、荼毘(だび)に付された際に再び大粒の涙であふれ、正輝の胸で泣く場面もあった。それが午後6時の日航機で帰京する直前の午後5時すぎ、斎場で正輝と会見することを決意する。それはなぜか――。
「この後のことを考えると、親子3人が一緒にいる姿を皆さんにお見せできる機会はこれが最後だった。最愛の子供を亡くした悲しみに暮れているのに、世の中の皆さんの応援があって生きてきた芸能人一家として、果たすべきことがあると考えるのが聖子さんの凄いところ。だからあれは元夫婦ツーショットではなく、沙也加ちゃんとの親子最後のスリーショットの会見だったんです」(関係者)
ピンクの位牌と骨箱は「一卵性」と言われた母娘を象徴する、ともに大好きな色。帰りの機内で聖子はその骨箱を胸に抱きしめたまま「決して離そうとはしなかった」という。
大みそかの紅白歌合戦。当初は財津和夫作詞作曲の新曲「私の愛」を歌う予定だったが、沙也加さんと2人で出場した思い出が深い紅白のステージで、どの歌をどんな演出でなら歌えるのか。聖子と沙也加さんの思いを考えながら、紅白担当者は答えを探している。
≪89歳祖母も札幌入り≫聖子の母で、沙也加さんを幼い頃から厳しくしつけてきたことで知られる祖母・一子さん(89)も札幌入りしていた。幼い頃からおもちゃのマイクを手に歌うのが大好きだった孫に「歌手になるのだけはやめなさい」と言い続けた一子さん。それは“偉大すぎる母”と比較され、つらい思いをしないようにとの思いから。母娘で溝ができても常に沙也加さんを見守っていた。
≪気遣いの人「チーム聖子」に心打たれる≫気遣いの人だと言われている聖子。ディナーショーの19日の東京最終公演に続き、23~26日のホテルニューオータニ大阪での全4公演が中止となったことに「申し訳ない」という言葉を繰り返していたという。中止の判断を受けた同ホテル側は「大丈夫です。チーム聖子ですから」と快く対応したという。関係者は「毎年のようにディナーショーをやっている聖子さんは普段からホテル側と良い関係を築いている。チーム聖子という言葉に聖子さんも心を打たれたのでは」と話した。
【紅白リハ】出場辞退の松田聖子に代役、代替演出なし NHK「結果としてはそういうことはない」
配信
大みそかの「第72回NHK紅白歌合戦」(後7・30)のリハーサル3日目が30日、東京・有楽町の東京国際フォーラムなどで行われ、番組統括の一坊寺剛チーフ・プロデューサー(CP)が出場を辞退した松田聖子について言及した。 18日に神田沙也加さん(享年35)を亡くし、当初予定していた紅白への出場を見合わせた。報道陣から松田の代役出場や代わりの演出について問われると、一坊寺CPは「結果としては、そういうことはないという内容になりました」と説明した。 また、隠し玉としてサプライズ出場歌手の出場についてほのめかしていたが、「もうちょっと時間あるので頑張りたいと申し上げたんですが、時間切れになってしまい…」と、現在発表されている出場歌手で“打ち止め”であると報告。それでも「日本の最高のエンターテインメントをお届けできると思います」と自信をのぞかせていた。
昔々、もう45年も前のこと、ある歌手が、殺された。神田恵美さん。同じ町の出身の方だったので、かなりのショックを受けた。その殺され方が、あまりに残酷だった。犯人は元、夫、12年の刑だった。(軽い)
この度の神田沙也加の死も、ショックだった。聖子さんは、今後、歌が歌えるだろうか。
今、五木さん達が歌ってる。
神田正輝、松田聖子と緊急会見…沙也加さん急逝受け「そっとしておいていただけたら」
神田は骨壺を抱きながら「近親者のみで葬儀を行うことができました。皆さんご協力ありがとうございました。あまり2人とも話すようなことではないので、しばらくの間そっとしておいていただけたら」。聖子は位牌(いはい)を抱き、「寒い中、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」と声を詰まらせた。
午後2時半すぎ、札幌市内の斎場に霊きゅう車が入った。助手席には、位牌(いはい)を手にした聖子の姿があった。同市内で密葬を行い、斎場で沙也加さんは、この日荼毘(だび)に付されるとみられる。
沙也加さんはダブルキャストで主演したミュージカル「マイ・フェア・レディ」の公演のため札幌市内のホテルに滞在していた。18日の午後12時からの公演に出演予定だったが姿をみせず、その後、捜査員がホテルの14階屋上スペースで血を流して倒れているのを発見。病院に搬送されたが、死亡が確認された。
ピアノを弾く手は、どんな時の手より、美しい。憧れる。
N響×ブルース・リウのショパン協奏曲第一番(ショパン)を弾く手。
指揮は、尾高忠明さん。
(尾高さんは、渋沢栄一のひ孫さん、尾高さん自身は、渋沢栄一さんのひ孫って知らなかったみたいです、「青天を衝け」この番組の音楽の指揮者になって、お母さんから聞いて分かったそうです。)