日々

穏やかな日々を

子どもの頃

2014年11月02日 23時55分32秒 | 思い出
この頃の紅葉は
魅力的で、あでやかで
木々が主張しているようで

ワタシハモミジ
ワタシハカエデ
ワタシハツタヨ

言い合って
かえって、緑色の松や杉やヒノキを目立だせている

こういう時いつも思い出すのは
秋の夕日に照山もみじ♪という歌・・・・・

そして、子供時代の、無邪気な笑顔
遊んだ日々

私は子供時代は強い正義感あり
まるで、剣士のような(笑)
そんな気分で、男の子の友達が多かった。

女子にはやや恥ずかしくて
緊張して、意識して、かつ、少数

なんか、今なら、ヤンキーな女子になっていたかも・・・・・・・

活発に、崖を登ったり、滑って降りたり
戦闘ごっこをしたり、空き家に冒険に入ったり

今でも、男性にあまり緊張せず
きれいな、女性に緊張する
可笑しな自分・・・・・・・・・・・・^^)
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祭り多き

2014年09月02日 12時30分34秒 | 思い出
秋明菊、一番花が咲いたよ
ピンク・・・・・・・・

コブシのみ、赤くなって
ハナミズキの葉、うす赤く
逆光で見る花葉はきれいね

夏祭り過ぎて
実りの祭り、秋祭り、神社の祭り、
日本は折々に祭りかな?

婆はあまり、神社仏閣
祝ってやらなかったな~(^^)~
子の時代がどうだっろう。。。。。。。。。
孫ちゃんたちはママに連れて行ってもらって
アイスを食べて
お祭りは大好き

婆はもうさよなら、お家での留守番
花々が祝ってくれている。

でも、ごちそうは食べに行きたいね。
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大阪の動物園

2014年05月14日 13時32分50秒 | 思い出
大阪――ううーん、楽しかったよ^^)

動物園、ぞう、ライオン、白クマ、一目でいいと思っていた野獣たちは見たよ~^^~
カバ、サイ、シマウマ、キリン、見た見た~^^~

ただ、2歳児が眠ってしまって、時間切れ、トラ、ヒョウ、ヘビ、が見れなかったTT)

なんで、私は大動物が好き?というか、小動物に関心がないか~?
考えるに、幼児のころから、父親がターザン映画によく連れて行ってくれて、
あの、「あーあ、あーーー」に伴って、動物たちが動く、あの様がいい。
ゾウさえ集団で走る!
ゾウにまたがって、トラ、ライオンさえ、従える・・・・・・・・
あれがいい、
まるで、自分がターザンになりきっていたのかな?
「あーあ、あーーー」といいながら、ジャングルを飛び回っていた・・・・・・・・・
そんな光景、昨日のように浮かんでくる
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7月になって

2013年07月02日 22時53分24秒 | 思い出
7月
やぁ――――
夏になりましたね~
どんなに暑くても
7月にならないと
夏気分にはなりません

7月13日は私の誕生日
誕生日のある7月は
なぜか子どもの時からラッキーと明るい気持ちになって
夏すき子どもになっていました
夏が来る!
誕生日が来る!
夏休みが来る!
ウナギが食べれる!

思っていて
ウナギを1回は今でも食卓にのせます。
もっとも子どもの頃はウナギは思っていませんでしたが
大人になって思うようになりましたね。
ただ、長い夏休みはありませんが
お盆が夏休み
3日は休みました。
それが夏休みのつもりかな?
遠い家族が集まるのも夏だからかな?
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想いの迷走

2013年06月15日 11時17分13秒 | 思い出
「これは、あじさい、クチナシによく似ている」

物事を考える時
特にレジメや報告書等の作成の時
脳がすぐブドウ糖不足になるようで
なにかをもぐもぐしないといけない私がいる
ということを理由に
今もお菓子を食べ
しばらく食べると
そろそろ止めなきゃあと禁止令が耳元でささやき
お菓子をつまんでは元に返すという所作を繰り返す
となると
書類作成継続ができなくなって
時計を見
あーーーもうこんな時間か~と
手を休める
頭も休めて
ブログに関心が移る

結果、今の私・・・・・・・・・・
チョメチョメとキ―をたたく(爆)

雨雨しとしと
暗い道端にクチナシが白い

むかしむかし
夫の実家に大きく広がったクチナシの木があって
隣に池があり
義母とならんでクチナシの木をバックに
池の鯉を見ながら写真を撮ってくれたおだやかな今日この頃を思い出す。
むかしむかし、私の青春時代、21歳の頃
義母と撮ったのはそれだけで時にアルバムをめくって見ながら思い出している。
もう、アルバムをめくらなくても
脳裏に焼き付いていてその光景は容易に思い出すことができる。
義母は高血圧性脳症で腎障害の脳症もあり
義父と孫(女の子)しか分からなくなって
夫は病院に面会に行ってもつまらないのか
見まいにはめったに行かず
ある国会議員の支援で走り回ってもいたので
とうとう自分の母の死に目にも会えなかったし
電話しようにも連絡など付く状況でもなく
自分の方から電話することもなく
薄情な息子だなと私は感じて
自分の息子にはこんな風になってもらいたくないなと思ったりした。
義母は54歳で逝った
私は第二子を産んで同じ病院に入院中だったので
ショッチュウ病室を訪れていたが、もちろん息子の嫁とは知らず、
生れたての赤子を連れていっても誰の息子で自分の孫だなんて分かず・・・・・・・・・・・

そんな義母のまだスマートな穏やかな顔を思い出す、クチナシの花だった~♪(歌も思い出したり(^.^)

梅雨は適度な雨なら いい
長雨はまずい
暑い日差しを厚い雲がさえぎって
しばしの心地いい湿り気をもらって、癒される。

もうすぐ誕生日、70歳になる。
でも世間では63歳と思わせようと作戦をたて
70歳は隠そうと思っている(どこまでできるか疑問・・・)

ブログ書きながらの休憩終了、久々に想いの迷走(^^)
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雪やこんこん

2013年01月28日 12時28分25秒 | 思い出
寒い日が続きます。


高い街灯が国鉄にあって
こうこうと光るその下で上をあおぎ
さんさんとふる雪を見ていた
雪は光に照らされて
暗い天から湧くがごとく絶えまなく
ふりそそいでみあげる私の顔にあたった
しっかり首に毛糸をまき帽子をかぶりあたたかいオーバーを着て
寒くはなかったが、
でも、デートの帰りでパンプスを履いていた娘の頃の私。
デートは幼馴染の女友達だから、ちっともどおってことないけれど、
昔はそんなふうに同性の友とデートといって映画など見たガールたちであった
異性間で映画など見る風習は普通のレディーにはなく
ましておぼこの私はそんな気さらさらなく
気の合う女子同士で大判焼き店や映画などがふれあいの場だったかな?

そんなことを思い出させる雪の降り方
一日中さんさんと降りやまない雪の一日

おおきな「だんべら」で風がなかったので
孫二人と家の前で雪を楽しんだ
みるみる隅に雪が溜まったので
4歳児はよろこんで雪をまるめて1歳児をおんぶする私に投げてきた
1歳児はきゃーきゃー喜んで背中でぴょんぴょんはねる・・・・・・

雪やこんこん
あられやこんこん
ふってはふってはまだふりやまぬ♪
・・・・・・・・・・の歌そっくりの雪状況でした。

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浅草紅香 叔母の記事を記憶に

2013年01月05日 14時01分54秒 | 思い出
浅草 紅香

戦後のタイヘイ・マーキュリーから発売された 紅香のSPレコード・リストです

タイヘイ盤

曲名
作詞
作曲
編曲
発売
レコード番号
(マトリックス)
摘要

娘シャンソン
原味津三
原味津三 宇津美俊雄 昭和27年1月
H10199
(26-374-1)
伏見竜二と共演
新ズッキン節
福田茂
草笛道夫
草笛道夫
昭和27年2月
H10208
(26-404)
 
パチンコ節
藤田まさと
浦辺泰夫
寺林正和
昭和27年2月
H10208
(26-405-1)
伏見竜二と共演
新おこさ節
松本一晴
北木正義
北木正義 昭和27年4月
H10231
(27-450)
 
予備隊トンコラ節
大倉芳郎
梅村初栄
北木正義
昭和27年4月
H10232
(27-433-1)
伏見竜二と共演
ひえつき節
    北木正義 昭和27年5月 H10243
(27-465) 伏見竜二と共演
ソーラン節
      昭和27年5月 H10244
(27-477)  
こんなにされて
鈴木千代三 大村能章 大村能章 昭和27年8月 H10255
(27-537)  
浮かれ旅唄
藤田まさと 飯田景応 飯田景応 昭和27年12月 H10275
(27-581) 松竹映画「若君罷り通る」主題歌
トンチンカン節
大倉芳郎 飯田景応 飯田景応 昭和27年12月 H10276
(27-583) 東映映画「エンタツ
    チョビひげ漫遊記」主題歌
チョイト娘ぶし
牧喜代司 原味津三 原味津三 昭和28年1月 H10288
(27-598)  
瀧夜叉姫の唄
山本逸朗 加賀谷伸 袴田一郎 昭和28年2月 H10298
(28-638) 東映映画「朝焼け富士」主題歌
博多どんたく
西岡水朗 飯田景応 飯田景応 昭和28年3月 H10301
(28-627)  
貴方とならば
野辺也寸 飯田景応 飯田景応 昭和28年5月 H10321
(28-649) 藤島桓夫と共演
浮気ぶし
中村晃 松井弘 飯田景応 昭和28年5月 H10321
(28-672) 東宝映画
   「総理大臣の恋文」主題歌

 

マーキュリー盤

曲名
作詞 作曲 編曲 発売 レコード番号
(マトリックス) 摘要
五ッ木子守唄     大村能章 昭和28年12月 H15015
(28-786)  

エッサッサ節 豊田一雄 豊田一雄 飯田景応 昭和29年1月 H15020
(28-829) 藤島桓夫と共演

宇目の唄げんか     山中寿夫 昭和29年6月 H15028
(28-839) H15126
(29-1012)

五ッ木子守唄     大村能章 昭和29年6月 H15070
(28-786) (H15015)の再発売

宇目の唄げんか     山中寿夫 昭和29年6月 H15070
(28-839) (H15028)の再発売

関の五本松       昭和29年10月 H15099
(29-950) 三味線:豊吉
鳴物:玉藻会社中

安来節       昭和29年10月 H15099
(29-951) 三味線:豊吉
鳴物:玉藻会社中

お座敷数え唄 牧喜代司 宇津美俊雄 宇津美俊雄 昭和30年1月 H15126
(29-1023)  
さくらかっぽれ 牧喜代司 飯田景応 飯田景応 昭和31年4月 H15193
(31-1175) 由利章と共演

タントくずし 牧喜代司 藤原秀行 藤原秀行 昭和32月11月 H15315
(32-1529)  
デーオ娘 松井由利夫 遠藤実 藤原秀行 昭和32月12月 H15322
(32-1540)  
へその緒音頭 牧喜代司 袴田宗孝 袴田宗孝 昭和33月4月 H15343
(33-1581) 夏目三郎と共演

磐梯くずし 牧喜代司  伏見龍二  牧野昭一  昭和34月8月  H15395
(34-1730)   


http://zariganisan.web.fc2.com/tm-rp/benika.htm

http://zariganisan.web.fc2.com/hp7.htm

http://zariganisan.web.fc2.com/tmp/lm5.htm
(ここに写真が載っている)

我 叔母 父の妹です
父が死亡して10年、記念に彼の妹の記事を記憶に残すために
父の愛した妹です。
私婆もなんども見に行きました、東京から山陰の演芸会に出演する時には、父が「見て来い」と言って、行かせてくれました。
小学校時代でした。。。。。。。。。

浅草紅香さんは、42歳まで歌いました。
その後は夫の作曲家伏見竜二のもと、作曲のアシスタントをし、
60代で死亡しました。
父は東京まで「みおくり」に行きました。
とっても江戸っ子的なおきゃんな東京のおばさんで
私の妹がとてもよく似ています。 



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出雲の心・あったかい心

2010年10月22日 07時22分21秒 | 思い出
神話と出雲人の心:古代の出雲人、どう生きた 島根大・北川名誉教授が出版 /島根
毎日新聞 10月20日(水)15時2分配信

 ◇構想8年、神話絡め分かりやすく
 島根大名誉教授、北川泉さん(79)=松江市在住=がこのほど、国引き神話やヤマタノオロチ神話、出雲弁と地域文化などをつづった「神話と出雲人の心」(白陽社)を出版した。「神話誕生当時の庶民が何を考え、どう生きてきたかを、神話を絡めて書きたかった」という。中学生が理解できる内容に仕上がっている。【元田禎】
 執筆は7~8年前に思い立った。「神話が生まれた2000年から2500年前ごろ、日本にはまだ文字がなかった。出雲には神話が多い。人々が伝承し古事記などの書物が完成したわけだが、出雲の古代人の死生観についても解き明かしたかった」と話す。
 9章で構成。北川さんは古代出雲の特徴を「食べ物を獲得する活動の場として極めて豊かな環境で、中国大陸をはじめ国内においても遠隔地交流が盛んに行われた。しかし地形的には広大な平地を持たなかった」と指摘。ヤマタノオロチ神話については、「上流の製鉄集団と下流の稲作農民との間の対立構図こそが原風景」とし、「むすめは大蛇に食われるのではなく、斐伊川のはんらんによって根こそぎ持ち去られた稲作農民の窮状を訴えたもの」とした。
 専門書ではないが、北川さんがこだわったのは斐川町の荒神谷遺跡だ。84年、弥生時代の銅剣358本が見つかり、銅鐸6個、銅矛16本も相次いで出土。「出雲風土記には、神社は合わせて399カ所とあるが、これは銅剣、銅鐸、銅矛の合計数に近い。国譲り神話と密接な関係があり、出雲の国の代表神たちは、国譲りの約束が行われたのち、各集落の神社に奉納していた銅剣を集め、盛大な祀(まつ)りをして埋納した」との持論を展開。「荒神谷での銅剣の埋納は、小国分立、銅剣シンボル祭祀(さいし)の終焉(しゅうえん)を意味し、新しい神の国・出雲の出発点でもある」とまとめた。
 北川さんは「我が国は農耕文化を基本とした助け合いの精神が豊かな国。その根底には『農の心』があることを、多くの人に知ってもらいたい」と話す。
 206ページ、定価1890円。今井書店などで販売。


出雲の稲作は我が先祖の誇り
みんなでやった、田植えが印象に残っている。
町育ちの私も母といっしょに母の実家で田植えをし、農作業を見て育った。
あの時の叔父や伯父、叔母や伯母たちと従兄たち
なんせ母は12人兄弟の末から3番目
まあ、母の実家は賑やかっだったね~

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子どもの頃 恐竜が好きだった

2010年03月05日 10時47分23秒 | 思い出
子どもの頃 恐竜が好きだった
爬虫類は嫌いなのに なぜか あのでかい 恐竜は好きだった
だから なぜ 絶滅したのか 関心があった
それは、人間の絶滅を 連想させた
幼い子供の頃の 恐竜への関心
今 また それを 思い出す。

豊かな地球よ
そはなぜそこのいる
ずっとずっと思ってきた
そして
これからどこへ行く

恐竜が生まれ育ち消えていった原因は
ちっこい私自身の存在のを解明してくれるような気がして

恐竜の絶滅に
小さいころから
関心があった

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恐竜絶滅

2010年03月05日 10時43分41秒 | 思い出
恐竜絶滅 1回の小惑星衝突が原因 直径10~15キロ 恐竜など白亜紀末期の生物大量絶滅は、現在のメキシコ付近への1回の小惑星衝突が原因とする論文を、日本など12カ国の国際チームが5日の米科学誌「サイエンス」に発表した。約6550万年前に地球環境を一変させた破壊的衝突の全容も明らかにした。大量絶滅をめぐっては、複数の地球外天体衝突説、火山噴火説も出されているが、研究チームは「否定された」と結論付けた。【永山悦子】(毎日新聞)

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/science/dinosaur_and_fossil_discoveries/?1267746729

チームには、地質学、古生物学、地球物理学、惑星科学など専門家41人が結集。メキシコ・ユカタン半島の巨大クレーター「チチュルブ・クレーター」(直径約180キロ)が形成された時期の世界各地の地層などの最新データを、解析し直した。

 その結果、チチュルブ・クレーター形成と大量絶滅の時期は一致▽他の天体が前後に衝突した痕跡はない▽6550万年前ごろは火山活動が活発ではなかった--と判明。クレーター形成による環境変化は、大量絶滅に十分だったとした。

 チームによると、衝突した天体は直径10~15キロの小惑星、衝突速度は秒速約20キロ、衝突時のエネルギーは広島型原爆の約10億倍、衝突地点付近の地震の規模はマグニチュード11以上、津波は高さ約300メートルと推定された。

 衝突による放出物は世界約350地点で確認された。放出物は大量のちりとなり、太陽光がさえぎられて地球上が寒冷化。5~30度の気温低下が約10年続き、海のプランクトンや植物が死滅、食物連鎖の上位にいた恐竜などが絶滅したと考えられるという。

 この際、海底に生きる一部のプランクトンや、体が小さく食料が少なくてすんだ哺乳(ほにゅう)類は生き延び、後に多様化したとみられる。

 チームに参加した後藤和久・東北大助教(地質学)は「チチュルブへの衝突によって生物の大量絶滅が起きたという説が揺らぐことは、もはやないだろう」と話している。

 ◇ことば 白亜紀の生物絶滅の学説

 米の物理学者が1980年、「地球外天体の衝突で引き起こされた」との仮説を発表。91年にチチュルブ・クレーターが見つかり、主流の学説になった。一方、一部の古生物学者は「生物種は長期間かけて多様性を失い絶滅する」との従来の学説を基に反発。別の天体衝突が原因との説や、インドでの大規模な火山活動が原因など新しい説も出されている。

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ありがとう

2010年02月19日 08時39分42秒 | 思い出
わたしの親友にとても哀しんでいる人がいる
その人に会うと
わたしも誰かに癒されたいと思う
それは母
母が亡くなって12年経つ
13回忌とはよく言ったものだと思う
その行事をしなければということが頭から離れないのではなく
いたって無信心でもあり
ただ
母を懐かしく思い出すことが多くなり
あーそうか
もう12年経つのか~
13回忌か~
とぼんやり思うのであり
昔の人たちも
この頃になると
死した人たちが懐かしくなり
お経とかあげたくなるのかなと思う

「死んでからどんなに大切にされてもつまらん
生きてるうちに喜ぶことせよ」
とは父の言葉
それは母を邪険にとりあつかっている
私への言葉であり
父が死して8年の今ごろ
またまた思い出す

若くして死した弟を父母はどう思っていたのだろうか
自分が替われるものならと
思っていたかもしれない

私の息子も今年は42になる
よく
ここまで生きていてくれて
ありがとう

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思い出 父のこと そば屋の店主

2010年01月07日 00時05分50秒 | 思い出
あしのながーーーい犬がいた
となりにあしのながーーーい男がいる
そのとなりにはロングで広がったスカートの女がいる
西部映画の一場面

これも昔あったことか


女はいつも欄外で
男達の営みをみる
そんな時代は昔のこととなり
女も男と同じように働き出した

66婆の父母は
戦後、水商売をする
出雲蕎麦の店を開く
酒を出すそば屋を開店
昭和20年代まではよかった
でも30年代になって
新しい飲み屋街が代官町にでき
父母の店に来ていた大和防のメンズ達が来なくなって
そば屋は立ち行かなくなった

父は出雲市駅の立ち食い蕎麦屋を発案し
駅のホームで売り出した
全国で先駆けの
いわゆる茹で蕎麦、出しを掛ける「掛け蕎麦」かな?
黒崎旅館のそば出店がホームにできた
そこの第一号店主であった

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100歳の記念

2009年12月09日 00時07分19秒 | 思い出
明治42年生まれの松本清張
明治44年生まれの父
清張さんが100歳なら
父は98歳なんだね~生きていたら~
そんなことを思いながら松本清張さんのドラマをみている私
若い頃面白くて読むのをやめられなかった 事を思い出すけど
具体的な文を全く思い出せない
大まかな筋さえ思い出せない
だから年を経て新鮮かもしれない

その人の感性がその人を決める
歳だけではなく
性差だけではなく
育ちだけではなく

今日は暖かい日

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山下菊二 闇をえぐる眼

2009年09月07日 07時30分04秒 | 思い出
山下菊二 闇をえぐる眼

戦争 このおぞましい「様」は
巨大な怪物の仕業?

日曜日 だんだん目が覚めてきた・・・・私に
衝撃的な映像が映る

日曜日の朝食の残った果物
なかなか食せない私がいる
ぽつぽつ食べながらこの映像を見ている

・・・・・・・・

中学校や高校時代の絵
美術の時間が思い出される

絵の中に文字を書いてはいけない
輪郭を黒い線で書いてはいけない
遠近法で描かねばならない

そんなことばかり思い出す

フリーに自分の心を書いていいよ
過去の画家はこんなふうに描いたよ
とか
少しでも聞いていたら
世の中の見方がまだ少し変わっていたかもしれない
いや
幼い心には到底届かない
深い心の表現は単に不可解な不快な心のみ残って
理解不可能な自分を感じていたかな

この66年過ぎた今
山下菊二を見るから
感慨深いかもしれない

筋萎縮症になった自分を抱えながら
戦争や差別を描き続けてきた

非人間性
誰にも潜む
戦争とともに顕在化した
残酷な怪物

きっと
わたしにもあって
日々の葛藤を産んでいるのかもしれない

67歳で死した彼
まだまだ生きててほしかったね。


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海は青かった

2009年08月18日 01時00分12秒 | 思い出
今日が終わり明日が始まった
こうして
日は暮れていく
月の形は?
雲がある?
そんなことを思っても
いざ窓を開けてみることなく
想像の世界でめい想する
そんなふうに
毎日が過ぎていく
嫌いで嫌いで大嫌いな人
殺したいと思ったり
いつか寝たきりの蝋人形のようになる
老いぼれた自分を想像したり
人はなんでも頭の中で実現できる

深い人生の埋没する坂の上で
足をすべらす子どものように
頼りない自分が
ふわりと飛んで
紙飛行機の翼につかまった小人のように
いとも簡単に空の人になったり

青い青い海の上で
じっと浮かんでいると
魚がわんさか寄って来て
ぱくぱくぱくぱく口から泡を吐き
目から涙を出しながら
痙攣する

この夜は
精神がおかしくなって
夢ばかり起きながら見る

めちゃくちゃな夢を起きながら見る
そんな不思議な体感が襲う

きっと
戦争で熱帯の夜を歩きながら
或いは
極寒の草原を歩きながら
兵隊達は夢を見る
起きながら
歩きながら
夢を見る

風が吹いている
頬にあたる
髪が揺れる
空ろな感覚で感じている精神

眠くない夜はそんな迷う心を映す
そんな過去の夢を再現する

海はなぜ青いの?


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