コロナ研究が縁、京大・西浦教授に招かれ日本避難のウクライナ人学者が帰国へ
ロシアのウクライナ侵略前、世界は新型コロナウイルスに揺れていた。未知の感染症に立ち向かった研究者の国境をまたいだつながりが、侵略下で一人の国外避難を支えた。ウクライナ国立科学アカデミーのイゴール・ネステルクさん(68)と京都大教授の西浦博さん(45)。「研究を続けられたことは大きな喜びだった」と語るイゴールさんは今月下旬、日本での研究プロジェクト終了に合わせ、帰国する。(永瀬章人)
イゴールさんは1954年、ウクライナの隣国モルドバで生まれた。その頃、二つの国は旧ソ連の一部だった。モスクワの大学院で博士号を取得し、旧ソ連崩壊前にウクライナの大学で職を得た。液体や気体の流れを計算する理論流体力学の専門家として、多くの論文や著書を発表。専門分野を医学や経済学にも応用し、2020年からは新型コロナの流行の動静を予測する研究にも取り組んできた。
昨年2月24日。アカデミーのあるキーウにいたイゴールさんはニュースでロシアが侵略を開始したことを知った。「こんなことがあって良いはずがない」。その日のうちに、一般の市民で構成する領土防衛隊に志願した。
研究一筋で軍に属した経験はなかった。若い仲間たちと一緒に訓練を重ね、小銃を手に市街地や幹線道路で警備に立った。「実際の戦闘で私は役に立たないかもしれない。でも、武器を持って立っているだけでも、市民を勇気づけられると思った」とイゴールさんは振り返る。
そんなイゴールさんの研究に、西浦さんは侵略の前から注目していた。理論疫学が専門で、コロナ禍の初期、感染拡大を防ぐため人と人の接触の「8割減」を提唱したことで知られる。イゴールさんと面識はなかったが、論文や著書に触れ、ウクライナのコロナ対策をリードする数理モデルの研究者だと思っていた。
「人道的な見地からも、落ち着いた環境で研究を続けてほしかった」と西浦さん。日本で、まもなく始めようとしていたプロジェクトへの参画を提案するメールをイゴールさんに送った。
イゴールさんは昨年3月中旬、領土防衛隊を離れた。老齢の両親が暮らすモルドバを経由して4月中旬、関西空港に到着。身元保証人は西浦さんが引き受けた。
京大では、西浦さんのプロジェクトチームで各国のコロナ対策のデータを基に、感染対策の有効性を検証した。研究に打ち込んでいる時は、ウクライナで起きている戦争のことを忘れられた。休日にはチームの同僚が見つけてくれたアパートを出て、町歩きや登山を楽しんだ。「初日の出を見たり、西浦教授やご家族と一緒にすしを食べたり、たくさんの思い出ができた。鴨川で泳いだこともある」とイゴールさんは笑う。
今年3月のプロジェクト終了を前に、イゴールさんは帰国するかどうか迷った。
来日後、昨年7月にモルドバの父ゲオルギーさんが90歳で亡くなり、母カテリーナさん(91)が独りとなっていた。侵略後の数週間身を置いた領土防衛隊の仲間の戦死も知った。「ここは、あなたのいる場所ではない」。40歳代の実業家という彼は、イゴールさんに研究生活に戻るよう勧め、日本行きを後押ししてくれた。
「日本に残ることも考えたが、母には私の助けが必要だ。何よりウクライナの研究者として、国に戻って人々のために尽くすべきだとの答えに行き着いた」と、イゴールさんは帰国を決めた理由を明かす。
キーウでは今年2月末からコロナの新規感染者数が増え、市当局によると入院を必要とする患者も増加傾向にある。「私の研究が完成すれば、コロナの拡大を従来よりも正確に予測できるようになる。公衆衛生に役立てることができ、経済に及ぼす影響も減らせるはずだ」と話すイゴールさんは、キーウに戻ってからも研究を続ける決意だ。
西浦さんは「今後の感染対策の基盤となる研究を提供してくれた。無事に研究を続けられる未来を祈っているし、それを見守る友人であり続けたい」と思っている。