単気筒ライダー(だった男)のひとりごと

愛犬チビ と CB400SSライダーだった前期高齢者の日々

2019秋 盛岡へ(2/2)岩手大学農学部付属植物園

2019-10-29 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

下宿を新田町に移した盛岡最後の一年間は、この路を歩き、正門からはいった。

その一年がなかったら、この路が、今も印象深く心に残ることはなかったと思う。

 


 

 

もう45年も前のこと。

二月の凍てつく深夜。見上げれば、天を衝く冬木立、満天の星・・・

並木の様相も全く変わり、思い出す風景は、多分に心象風景と化しているのかも。

 


 

年が明け、卒業が現実味を帯びるようになり・・・、盛岡を離れたくない。

OBのM先輩に「残ってラグビーをやりたい。」と言うと「バカかあ。さっさと卒業しろ!」

疎外感、劣等感、路の先に何にもなかった、何も描けなかった・・で、今に至るってこと。

 


 

正門そばに立つ大木の案内板に、並木の変遷について記されていた。

ボクが見上げた並木は、大正時代に植えられたユリノキとキササゲ。81年に伐採されていた。

正門へのアプローチとして、風情風格とも、ボク等の時代の方が数段上。感じるものが違うよ。

 


 

欝蒼とした印象は、以前にも増したような感じがします。

ド素人の言うことだけど、このぐらいの手入れ具合に止めておいた方がいいと思う。

 


 

奥に見える小さな建物は、正門を入ってすぐ左側に建つ番所。

正門へのアプローチの土塁の一部とともに、重要文化財なんだと。

土塁もかい。へえーと言うしかない。心して通ればよかった。

 


 

温室の存在が、いかにも、農学部付属植物園って感じ。

ボクも相当ダサい田舎もんだったけど、ここだってベンチを置くような雰囲気じゃなかった。

少し垢抜けたぜ。

 


 

在学中、一度ぐらい中に入ったことがあったと思うけど、はっきりした記憶がない。

農学部だけでも足を運んだことのないエリアが今もある。キャンパスがとにかく広い。

 


 

徳さんの「破砕転圧工法」を駆使した、農学部同窓会の名を冠する北水池。

出来たのはボクの卒業後。時間の経過とともに、周りの風景に馴染んできたように感じた。

 


 

あとから色々作り出すより、いっそ一部でもいいから、「自啓寮」を残せばよかったのに。

そうでしょう、賢治さん。

 


 

ボクもここの学生だったんだよなあと、今でも思ってしまう。何だろ、この感じ。

勉強嫌いは認める。椅子が痛めていた腰に最悪で、その後の練習が出来なくなるんだ。

授業は欠席しても、グランドには欠かさず行ったよ。単位はぽろぽろ落としたけど。

 


 

当時の空気は、植物園の中に一番残っているような気がした。

今度来るときは、ボクもこうした時間が取れるよう、余裕をもって来ることにしようか。

 


 

午後三時。夕食にと買い求めるお客さんもあるだろうと来てみたけど、完売だとよ。

連続して何度目だ、フラれたのは。ヤスと来た時は奇跡的だったということか。

白沢せんべいは、その代用品じゃないよ。バイクじゃ割れやすい。慎重にバックにつっ込んだ。

 


 

南大橋から望む岩手山の風景は、ボクには新鮮だ。

岩手山と北上川は変わらないけど、盛岡の街並みが変わってきたんだ。

 


 

午後四時を過ぎている。

これが最後の岩手山・・・、またなあ。

 


 

仙岩の紅葉もゆっくり眺めたかったけど、寒い。一度停めたら、走る気力が減退するようで。

田沢湖辺りで漆黒の闇。走るにつれ体が冷えていく。首筋が固まり、腿の付け根が痛い。

この時季、いつものことだけど、衝動的に足を伸ばしたことを後悔した。

 


 

ラグビーワールドカップの熱戦を観ているうち、学生時代の仲間の顔がオーバーラップ。

ラグビーとの出会い、恩師、先輩、仲間との出会い。みんな、岩手がボクにくれたもの。

もう、泣きそうだよ。