単気筒ライダー(だった男)のひとりごと

愛犬チビ と CB400SSライダーだった前期高齢者の日々

2019秋 盛岡へ(1/2)運動公園

2019-10-28 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

12時半過ぎて、西和賀から山伏トンネルを抜けて、雫石に入る。

帰りの時間を考えたら、この時間にこんなところまで足を伸ばすことはないのに。

こじつけていえば、これもラグビーワールドカップのせいと言ってもいい。

 


 

どーんとした存在感、「お山の大将」のお山をズバリ具現化したような男助山。

岩手路を行き来して50年近くなるけど、存在を知ったのは10年ほど前のこと。

県道を挟んだ東側には女助山がある。日本昔話しの里のようなここの空気が大好き。

 


 

何か、よく分かんないままに来てしまったよ、岩手山。

国道46号走行時のようなドラマチックさはないけど、「また来たよ。」

 


 

深みのある鮮やかな青色の御所湖。

御所湖と岩手山・・・ただただ、眺めいるばかりだ。

 


 

国道46号、変則五叉路の館坂交差点。

高松に競馬場があったころ、盛岡競馬開催の日曜は、朝から大渋滞だった。

赤間君のアパート、高松病院、そして、少年刑務所・・・、いろいろ浮かぶ風景がある。

 


 

グランドへのアプローチは、当時のままかな。

色んな思いで、ここを行き来したっけなあ。

 


 

運動公園が人工芝に変わったという話は聞いていた。

当時は、国体時の天然芝はすっかり剥がれ、細かい粒子の真っ黒な土のグランドだった。

雨でも降ってるものなら、白のジャージはいくら洗濯しても、二度と白くなることはなかった。

 


 

「ガン・コンは、まだかあ・・・」 桜キャプテンの声が聞こえる。

松島事件のこともあったし、通路の向こうに二人の姿を見た時は、ホッとしたりして・・・

下宿から徒歩で小一時間。一年の時は色んなもの持たされて歩いた。歩くしかなかったんだ。

 


 

なるほどなあ。これなら・・・、でも、南公園の天然芝を観てしまってはなあ。

全体の風景が、当時より狭くなったように感じた。ボクは4センチも縮んでしまったのに。

色々な思いがこみ上げてくるかなあと思ったけど、全ては人工芝に覆われてしまったなあ。

 


 

二十歳過ぎてからこの歳まで、声出して泣いたのは、ここの更衣室での一回だけだ。

大学三年の秋、当時は、資材倉庫然とした平屋の建物だった。

試合後のタックル練習。生タックルだった。アゲーン!アゲーン!・・、右の耳が裂けた。

 


 

誰もいなくなった頃を見計らって、更衣室に入った。

ベンチに座った瞬間、訳のわからないものが、うめきと一緒にこみ上げてきた。

ずーっと察していた内山が顔を見せた時は取り繕ったけど、いなくなったら、また泣けた。

当時の日記に「あとからのいい思い出にはしない!」と書いたけど、いい思い出になった。