12時半過ぎて、西和賀から山伏トンネルを抜けて、雫石に入る。
帰りの時間を考えたら、この時間にこんなところまで足を伸ばすことはないのに。
こじつけていえば、これもラグビーワールドカップのせいと言ってもいい。
どーんとした存在感、「お山の大将」のお山をズバリ具現化したような男助山。
岩手路を行き来して50年近くなるけど、存在を知ったのは10年ほど前のこと。
県道を挟んだ東側には女助山がある。日本昔話しの里のようなここの空気が大好き。
何か、よく分かんないままに来てしまったよ、岩手山。
国道46号走行時のようなドラマチックさはないけど、「また来たよ。」
深みのある鮮やかな青色の御所湖。
御所湖と岩手山・・・ただただ、眺めいるばかりだ。
国道46号、変則五叉路の館坂交差点。
高松に競馬場があったころ、盛岡競馬開催の日曜は、朝から大渋滞だった。
赤間君のアパート、高松病院、そして、少年刑務所・・・、いろいろ浮かぶ風景がある。
グランドへのアプローチは、当時のままかな。
色んな思いで、ここを行き来したっけなあ。
運動公園が人工芝に変わったという話は聞いていた。
当時は、国体時の天然芝はすっかり剥がれ、細かい粒子の真っ黒な土のグランドだった。
雨でも降ってるものなら、白のジャージはいくら洗濯しても、二度と白くなることはなかった。
「ガン・コンは、まだかあ・・・」 桜キャプテンの声が聞こえる。
松島事件のこともあったし、通路の向こうに二人の姿を見た時は、ホッとしたりして・・・
下宿から徒歩で小一時間。一年の時は色んなもの持たされて歩いた。歩くしかなかったんだ。
なるほどなあ。これなら・・・、でも、南公園の天然芝を観てしまってはなあ。
全体の風景が、当時より狭くなったように感じた。ボクは4センチも縮んでしまったのに。
色々な思いがこみ上げてくるかなあと思ったけど、全ては人工芝に覆われてしまったなあ。
二十歳過ぎてからこの歳まで、声出して泣いたのは、ここの更衣室での一回だけだ。
大学三年の秋、当時は、資材倉庫然とした平屋の建物だった。
試合後のタックル練習。生タックルだった。アゲーン!アゲーン!・・、右の耳が裂けた。
誰もいなくなった頃を見計らって、更衣室に入った。
ベンチに座った瞬間、訳のわからないものが、うめきと一緒にこみ上げてきた。
ずーっと察していた内山が顔を見せた時は取り繕ったけど、いなくなったら、また泣けた。
当時の日記に「あとからのいい思い出にはしない!」と書いたけど、いい思い出になった。