二日前に初めて足を伸ばした鶴羽橋に、また来たよ。
今度は、この先の黒川橋まで行けるんじゃないかと思ってさ。
Googleマップ上では、鶴羽橋までより7キロ長い、自宅から往復16キロの距離だ。
黒川まで走るなんてボクの日常ではありえないけど、16キロのランなら経験済みさ。
手前が母狩山で、後ろが湯ノ沢岳ですね。
この辺りに来ると、羽黒橋からの眺めに比べ、ぐーーんと山が近いね。
河川敷にある赤川市民ゴルフ場は、30年ほど前に行政主導で造成された。
当時、「上司と上手くやるにはゴルフ始めないと」とボクに勧めるやつがいた。
未だゴルフクラブは持ったことない。多分、一生やらないだろうね。
スイジン、ミズガミ、読み方はどっちでしょう。
稲作に水は大事だもんね・・・でも、「水上安全」と刻まれています。
この辺りに「渡し」でもあったんでしょうかねえ。
まるで時代劇に出てくる街道筋の風景だね。
ボクの住む鶴岡も田舎町ですが、こんな牧歌的な風景はボクの生活圏にはないなあ。
まだかまだかの黒川橋がやっと見えてきて、正直、ほっとした。
後悔はしていませんが、少しばかり甘かったかなと思い始めています。
当然の事、同じ距離を戻らなきゃなんないからねえ・・・
十年ぶりの再会は、こじんまりしちゃったなあという印象の黒川橋。
高欄には「昭和十年五月完成」の銘板があります。
王祇橋が上流に完成し、この橋は撤去される予定でしたが、住民の要望で残ったとか。
ここにも川幅いっぱいの堰と右岸側には魚道らしきものも確認できました。
堰上げられた雪解け水が勢いよく落ちる光景は、爽やかな空気感でいっぱい!!
羽黒橋から6キロ遡っただけですが、ここは鶴羽橋からの光景をも越えています。
二日前にアップデートされたばかりの赤川の印象が、再びアップデートされてしまった。
日本の河川はヨーロッパの河川と比較するとまるで滝だ!と言われるわけが理解できるよ。
ボクは堰を見ると灌漑用を連想するけど違うね。見てきたものは河床の洗堀防止だと確信した。
あらあら・・・、随分ひっそりと佇んでいらっしゃいますね。
黒川集落に農民芸能として受け継がれているのが、黒川能。
国の重要無形文化財で、海外でも公演したことがあるとか・・・知らんけど。
黒川橋を振り返った時の景色は、まるで橋詰君とこの信濃を流れる千曲川のようじゃん。
な~んて感激しながらも、右の股関節から大腿直筋あたりが尋常じゃないよ。
心惹かれる風景に出会うたび、何度も立ち止まってシャッターを切ってきた。
ここにきてそれが限界に近い右脚の大事な休息時間になっています。
鶴羽橋が見えてきても、もうボクの感情は何の反応も起こさない。
かといって、来るんじゃなかったなんて1ミリも思っちゃいないよ。
辛いとか、やめようとか、この野郎!とか・・・、喜怒哀楽の感情なんて湧いてこない。
60代最後の一か月となるこの五月に、今のボクの限界をしみじみと実感しているだけ。
落ちたなあ・・・とか、少しずつ取り戻そう・・・って、一歩一歩足を運んでいるだけ。
往路は黒川橋まで予定通り一時間で行けたけど、復路はその1.5倍を超えてるね。
徒歩より遅いかもしんないけど、歩いちゃいないよ、走っている。
やっと羽黒橋が見えて、「千里の道も一歩から」を思ったけど・・・まだまだ先がある。
いつもの折り返し点の羽黒橋から見慣れた風景を見ていたら、不思議な感情を味わった。
もしかしたら、これは竜宮城から戻ってきた浦島太郎の心情に似てんじゃねえかと。
この鶴岡は街と呼ぶには違和感があるけど、この風景を見ていたら都会だと思ったよ。
ようやく赤川堤の出発点に戻ってきたら、七人のおばあさんたちが仲良く日向ぼっこ。
「おかあさんたちは、何かのお仲間グループなんですか?」
「いや、バラバラ。たまたまよ・・・、で、おとうさんは近くなの?」
おとうさん・・・? ボク、みなさんと一緒じゃないから。一回り以上も若いんだからね。
その証拠に、60代のうち、この一か月のうち、今日のリベンジはしてみせるからね。