走る意欲が衰退しているので、気分転換に目先を変えて、まちなかを走った。
人目が気になるなあと覚悟しながらでしたが、心配無用。まちなかには人気なし。
この道は、60年前、小学校へ通った道。
沿道の様子は変わっていても、道そのものは当時のまま。
道の突き当りには、山形大学農学部。
通った小学校は農学部のすぐ隣にあって、学校の行き帰りは大学構内を通り抜けていた。
ここに学ぶ当時のアジア系の留学生は、ボク等には初めての外国人だったのかなあ。
彼等とのちっちゃな交流が、仲間内での自慢の種になったりしていたなあ。
大学から500mほどのところには、ボクが卒業した高校が建つ。
今の姿に当時の面影はないし、ボクの思い出もぼんやりとしか見えてこない。
庄内藩主の居城があった鶴岡公園近くには、当時の風情を残す建物が点在する。
「武家屋敷」が角館には残って、ここには残らなかったのはどうしてなんでしょう。
「ここは外様じゃない、譜代の殿様だ」と、今もお殿様が大好きな市民性なのにねえ・・・
鶴岡公園とその周辺に建つ古い西洋建築物は、市内観光の拠点になっています。
ボクにそれぞれの由緒来歴は語ることはできませんが。
大宝館は、ボクには市立図書館の印象が強いけど、今は何に利用をされているんでしょう。
まさか、市の観光パンフのセンターを取るとは。
左が市警察、右が郡役所・・・だったかなあ。
殿様筋が運営に関わる?致道博物館の敷地内に移築保存されています。
おお、出たあ! 最新の建築物。
新文化会館の是非が市長選挙の一大争点となり、建設当時の市長が落選した。
完成後4年を過ぎ、今もなお箱物批判を受けている可哀想な建物。
世界的な女性建築家が設計したんだけどなあ。意匠的にはいいなあと思っています。
藤沢周平の小説に登場する海阪藩の城下を流れる「五間川」のモデルは、この内川。
海阪藩が舞台となる氏の小説は読んだことがないので、確信めいたことは言えませんが。
ちなみに、どっちかというと、ボクは池波正太郎が好きですけど。
自宅から数キロ、徒歩なら30分ほどのエリアですが、数年ぶりに通った道がほとんど。
ここ、変わったなあ・・・、あっ!こんなになってる・・・
沿道の風景の変遷に気づいても、以前の姿が思い出せない。
住む人たちの街並みの記憶は、今風に言えば、こんな風にアップロードされていくんですね。
ここは青果物店だったよなあ。建物が無くなれば、忘れ去られてしまうのでしょうね。
どんな思いで貼り紙を残したのでしょう、明日は・・・・かな。
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