単気筒ライダー(だった男)のひとりごと

愛犬チビ と CB400SSライダーだった前期高齢者の日々

まちなか

2022-01-11 | 暮らし・ジョギング

 

走る意欲が衰退しているので、気分転換に目先を変えて、まちなかを走った。

人目が気になるなあと覚悟しながらでしたが、心配無用。まちなかには人気なし。

 


 

この道は、60年前、小学校へ通った道。

沿道の様子は変わっていても、道そのものは当時のまま。

道の突き当りには、山形大学農学部。

 


 

通った小学校は農学部のすぐ隣にあって、学校の行き帰りは大学構内を通り抜けていた。

ここに学ぶ当時のアジア系の留学生は、ボク等には初めての外国人だったのかなあ。

彼等とのちっちゃな交流が、仲間内での自慢の種になったりしていたなあ。

 


 

大学から500mほどのところには、ボクが卒業した高校が建つ。

今の姿に当時の面影はないし、ボクの思い出もぼんやりとしか見えてこない。

 


 

庄内藩主の居城があった鶴岡公園近くには、当時の風情を残す建物が点在する。

「武家屋敷」が角館には残って、ここには残らなかったのはどうしてなんでしょう。

「ここは外様じゃない、譜代の殿様だ」と、今もお殿様が大好きな市民性なのにねえ・・・

 


 

鶴岡公園とその周辺に建つ古い西洋建築物は、市内観光の拠点になっています。

ボクにそれぞれの由緒来歴は語ることはできませんが。

 


 

大宝館は、ボクには市立図書館の印象が強いけど、今は何に利用をされているんでしょう。

まさか、市の観光パンフのセンターを取るとは。

 


 

左が市警察、右が郡役所・・・だったかなあ。

殿様筋が運営に関わる?致道博物館の敷地内に移築保存されています。

 


 

おお、出たあ! 最新の建築物。

新文化会館の是非が市長選挙の一大争点となり、建設当時の市長が落選した。

完成後4年を過ぎ、今もなお箱物批判を受けている可哀想な建物。

世界的な女性建築家が設計したんだけどなあ。意匠的にはいいなあと思っています。

 


 

藤沢周平の小説に登場する海阪藩の城下を流れる「五間川」のモデルは、この内川。

海阪藩が舞台となる氏の小説は読んだことがないので、確信めいたことは言えませんが。

ちなみに、どっちかというと、ボクは池波正太郎が好きですけど。

 


 

自宅から数キロ、徒歩なら30分ほどのエリアですが、数年ぶりに通った道がほとんど。

ここ、変わったなあ・・・、あっ!こんなになってる・・・

沿道の風景の変遷に気づいても、以前の姿が思い出せない。

 


 

住む人たちの街並みの記憶は、今風に言えば、こんな風にアップロードされていくんですね。

ここは青果物店だったよなあ。建物が無くなれば、忘れ去られてしまうのでしょうね。

どんな思いで貼り紙を残したのでしょう、明日は・・・・かな。



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