いつの日にか想定されていたこととはいえ、本州・岡山県玉野市宇野と四国・香川県高松市を結ぶ宇高航路2社が、3月26日を最後に同航路からの撤退を表明したニュースには驚かされた。航路開設100年という節目の年に幕を下ろすとは、何とも皮肉なこと。
そもそも瀬戸大橋開通の1988年を境にして利用者が減り、さらに昨春からの同橋の大幅割引や、近年の原油高騰による燃料費増大が追い討ちをかけ、減便や経営の合理化で乗り切ろうとしたが、両社の赤字は膨らむ一方で、過去3年の赤字は年間数億円単位だったという。
同航路と並んで1910年から瀬戸大橋開通までの間運航していたJR宇高連絡船の思い出は尽きない。40数年前の学生時代に遡るが、デッキでの「立ち食い讃岐うどん」や、フェリー内で求めて食べた「五色弁当」や「醤油豆」の味が忘れられない。
社会人になってからも駆け出しが香川県担当であり随分お世話になった。海上の所要時間が丁度1時間あり、その間運転の疲れを癒したり訪店準備に呼吸を整えることが出来重宝した。
宇高丸は過去に度々衝突、沈没事故に遭遇しているが、とりわけ1955年(昭和30年)5月11日、濃霧の中での紫雲丸と第三宇高丸との衝突事故は、紫雲丸が沈没し168人の尊い命が奪われるという大惨事であった。この事故をきっかけに、本四架橋の構想が具現化していった。
いずれにしても同航路は通勤、通学、通院にと地元住民の“生活航路”であっただけに、今後の影響は必至で本四架橋の光と影をみる思いだ。フェリー業者は「国策に敗れ、非常に残念」と国の政策に翻弄された苦しい胸の内を吐露した。
そもそも瀬戸大橋開通の1988年を境にして利用者が減り、さらに昨春からの同橋の大幅割引や、近年の原油高騰による燃料費増大が追い討ちをかけ、減便や経営の合理化で乗り切ろうとしたが、両社の赤字は膨らむ一方で、過去3年の赤字は年間数億円単位だったという。
同航路と並んで1910年から瀬戸大橋開通までの間運航していたJR宇高連絡船の思い出は尽きない。40数年前の学生時代に遡るが、デッキでの「立ち食い讃岐うどん」や、フェリー内で求めて食べた「五色弁当」や「醤油豆」の味が忘れられない。
社会人になってからも駆け出しが香川県担当であり随分お世話になった。海上の所要時間が丁度1時間あり、その間運転の疲れを癒したり訪店準備に呼吸を整えることが出来重宝した。
宇高丸は過去に度々衝突、沈没事故に遭遇しているが、とりわけ1955年(昭和30年)5月11日、濃霧の中での紫雲丸と第三宇高丸との衝突事故は、紫雲丸が沈没し168人の尊い命が奪われるという大惨事であった。この事故をきっかけに、本四架橋の構想が具現化していった。
いずれにしても同航路は通勤、通学、通院にと地元住民の“生活航路”であっただけに、今後の影響は必至で本四架橋の光と影をみる思いだ。フェリー業者は「国策に敗れ、非常に残念」と国の政策に翻弄された苦しい胸の内を吐露した。