てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

思いがけぬ見舞い

2006-11-26 21:06:53 | ビジネスと社会
 今日は親友で元同僚のF川さんが、ご子息のS君を伴ってわざわざ倅に見舞いを届けてくださった。日曜日だというのに午前中の仕事を済ませて、繁多の合間を縫ってのこと。倅への心からの見舞いの情が溢れる訪問に、思わず目頭が熱くなるのを禁じえなかった。

 久し振りに会うS君の背丈は父君をはるかに凌ぎ、逞しく成長している。応対ぶりや仕草は、見た目と裏腹にナイーブで心根の優しさが窺える。両親の愛情を一身に受け、誠に温厚篤実な好青年に育っている。まばゆいばかりだった。

 いずれ人生の伴侶に恵まれるだろうが、その時には祝宴に参上したいものだ。わが長男の結婚式には父君にご臨席いただいた。その恩返しを是非ともしたいと念じている。

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容態回復

2006-11-26 09:42:46 | 健康と医学
 倅の容態は、倒れてから6日間を経て、どうやら峠を越し快方に向かっています。
 依然として赤札のかかったSCU(ナースステーションの前にある重篤のリカバリ室)にいますが、3日間連続してのCT、MRIの検査でも病巣の進行や新たな発症は見られません。医者の話では、倒れてから後に徐々に進行することもあり、3日間は予断を許さなかったそうです。今はその心配も無く、厳しかった主治医の表情がやっと緩んだといいます。
 今となっては、嫁に迅速に担ぎ込まれてからの献身的な付添看護、病院の適切で手厚い処置を受けたお陰と感謝しています。

 倒れて2日目からはリハビリを開始し、日々改善しています。幸いなことに後遺症も残らずに済みそうです。 ただ、この度の小脳梗塞とは無関係ですが、酷い肩こりと頭痛が元で睡眠不足と食欲不振が続いていましたが、こちらの方もリハビリの際のマッサージが奏効し、直後しばらくは効果が持続しています。
 
 明日4回目のMRI検査を受けますが、治療と再発防止ためにも養生は欠かせません。皆様からのお見舞いと励ましのお言葉を、わが胸に体して専心努力し、再起を目指しているとことと思います。完全復帰までは、まだまだ時間を要すると思います。

 ご心配いただいた皆様に、重ねて厚くお礼を申し上げます。
 まずは現状報告まで。

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小脳梗塞

2006-11-21 21:48:55 | 健康と医学
 倅の病名は「小脳梗塞」でした。早期発見で治療を受けたため、大事には至りませんでしたが、まだ予断を許しません。
 早速に各方面から、温かいお気遣いのコメントやメール、励ましの電話を賜り有難うございました。この場をお借りして厚くお礼を申し上げます。
 どうかこの後はご休心ください。

 なお倅の容態が落ち着き、回復の見通しがたつまで、「てすさび日誌」を小休止させていただきます。悪しからずご容赦ください。
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一寸先は闇

2006-11-20 18:16:54 | 健康と医学
 今朝、新聞社の支局長を務める長男が、めまい、耳鳴り、手足のしびれを訴え、近くの坂出○○病院に緊急入院した。

 医師の所見では、「脳梗塞の症状だが、脳には異常は認められない」といわれる。明日の昼までには詳しい検査結果が出るのでそれ待ち。
 一報を受けた夕方4時時点では落ち着き、口の周りにしびれが残っている程度で、盛んに眠気を訴えているという。
 親としては気掛かりではあるが、付き添う嫁の話から判断して、見舞いには明日向かうことにした。

 長男は慢性的な頭痛を抱えており、4、5年前に脳神経科で有名な岡山K病院を受診したが、その際にも異常はなかった。
 当支局長は前任者が倅と同じ年恰好で脳梗塞に倒れ、それが元で今年3月末に退社している。その後を受けての赴任だったので、ジンクスめいたものを感じていたのだが、まさか2年7カ月目にして的中するとは…。
 人生一寸先は闇というが、お互い明日はどうなるかは誰も知る由もない。どうか一過性のもので済み、一刻も早い回復を神に祈るのみだ。

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最期の後始末

2006-11-19 20:44:37 | 暮らしと生活
 義父の好物のサワラの刺身、ワタリガニと弁当、新米を少々持参し、昼から二人で一献傾けた。事前にメールを入れていたのでガレージの扉を開け、私のためにカキモチを油で揚げて待っていてくれた。私がカキモチが好きなのを承知で、心を込めて手作りしてくれたもの。

 盃が進むうちに「遺言ではないが、もしもの時には近くの○○○祭典を頼んで欲しい」という。現在は我が家も、義父も別の冠婚葬祭場△△△の会員で、既にこれまでに葬式を2回、結婚式・披露宴で1回利用している。とりわけ不満はないのだが、近場にホールが相次いでオープンした。次回は乗り換えてもいいかなと思っていた矢先だった。

 帰宅して、早速に高校の時の同級生Aが社長をしている○○○祭典に連絡をとった。生憎留守だったが、折り返しAから電話が入り事情を話した。
 直ちに支配人が飛んできて、詳しく説明を受けた。乗り換えの件も併せて相談し、秘策を授けて貰った。そして○○○祭典への会員入会手続きをとった。

 Aは産廃業者から身を起こし、警備保障、○○○祭典まで手広く手掛け、今では県南に5ホール持つなど成功を収めている。高校卒業以来の出会いで、すっかりご無沙汰だが、「また近くに会おうや」ということになった。持つべきものは友と感謝した。

 義父も唯一気掛かりだったらしく「これで胸の痞えが下りた」と感謝のメールがきた。それにしても自分の最期の後始末にまで気を配るとは、やはり90歳でなおかくしゃくとしている人は違う。私もかくありたいと思う。
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