矢島さんの訃報

2013-01-03 20:32:35 | タナカ君的日常
 我々が活動してきた山歩きの会でなくてはならない位置を占めていた「矢島のおとうちゃん」、 11月初旬に緊急入院して以来、3度程の手術を経て危ぶまれた命を取り留めて療養中であった事は知っていた。 しかし年が明けて早々に旅だったと連絡がはいりました。

 そして「お別れ会」が今度の5日(土)に行われる事になりました。 築地の寿司屋での会合の際に作った2年前の名簿をもとにして、 会員だった方には手分けして連絡を入れ、 出欠の確認作業が進行中です。 僕が分担した中での出席希望者を世話役の”てっちゃん”に伝えた際の話では40人程の出席が見込まれている様です。

 「おとうちゃん」そう呼ばれる方が多かった矢島さん。 それは会創立以来の重鎮的な存在で有ったことの他に、山の会の会報の発行にあたっての多くの会員との深い交流の結果でもありました。 印刷所を経営されていた矢島さんは毎月の例会で発行されるチラシ、 そして年に2~4回発行された季刊の会報の発行に尽力して下さったのです。 特に編集などのために家に押しかける山仲間を奥さんと共に大瓶のサントリーレッドで気さくにもてなしてくれました。 そして泊まり込みを決め込む者が出ても嫌な顔なんかせずに受け入れてくれました。 その様子は昔あったと聞く「若者宿」そのものだったような・・・ だから僕だって「お父ちゃん」と呼びかけることに何の違和感も有りませんでした。


 今日の午後から始めた電話連絡、正月休みの最中のことで連絡がつかない人も居る中で、「お別れ会」に40人もの人数が集まるとは、 全てお父ちゃんの人徳以外の何者でもないでしょう。

 さてTopの写真は例会の都度発行された「ヤッホー」そして時には20p前後、多い時は80pほどになった会報の一部です。 そして右に積み重ねた黒い背表紙の2冊は、タイトルを金箔で押して作った会報の合本です。

  これらの資料を今迄は単に山登りの活動記録として見ていましたが、 今迄以上にお父ちゃんの想い出の詰まった記念の会報集となりました。

 特に黒背表紙の合本ですが、 お父ちゃんが自分用に製作した物を見て「俺も欲しいな!」そう呟いたら、僕がまだ入会していなかった為に持っていなかった時期の初号からの分を含めて僕に作ってくれた物なのですから。 
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