知床観光船 事故 救助の表現に違和感

2022-04-25 10:41:22 | タナカ君的日常
神戸新聞NEXT より画像を転載

 一昨日の23日、 ウトロ港を出発した知床半島の観光船が船体の傾きと操船不能の連絡を発信した後、 乗客・乗員が船体もろとも消息不明となって大騒ぎになっている。 昨日からは漂流中の人体・数体が「救助に向かった巡視船や漁船に発見され、 病院に運ばれた」との報道が相次いだ。

 これに関連するニュースで扱われる用語「三名を救助」「病院に搬送」とかの表現の中に含まれた

「 救助 」の文字に違和感  を覚えてしまう。

 日本は法治国家、 法律で人間の死亡判定は医師が行うと決められているからだろうけれど、 日常的な救急車でも、 今回の救助船の場合でも呼吸が停止し、 心臓の鼓動が感じられない心肺停止状態の人を医者の居る病院等に搬送するのが決まりごとの様になっている。

 また高齢者が自宅で医者にかからずに生活している中で死亡した際にも事件性が無いかと警察が関与して来たりする。 そして死亡診断書が有って初めて火葬場の利用手続きも開始出来る様だ。

 そんなだから海面をほぼ一昼夜漂って心肺停止状態で見つかったとしても医師の診断で死亡が確認されるまでは「生きている状態」と扱うのが習わしとなっている。 それにしても「救助した」の表現は如何なものか。

 僕の腑に落ちる表現としたら「救命胴衣を着けた漂流者・三名を発見し 病院に搬送」、「なを三名ともに心肺停止状態」 ですね。 そうした方が北海道旅行に送り出し、 遠方で暮らす家族にも 「ああ死んでしまったのね」と無用の希望を抱かずに済むんじゃないですか。

 遊覧船の乗客は全員救命胴衣着用が規定されているのだろうけれど、 発見された人々は本当に着用していたか? そんな事にも興味が有ります。 「一般的にオレンジ色した救命具を着用していたら、 発見に至るまで、 もう少し早い時間に見つかるんじゃ無いか?」 そんな疑念も湧きますし
  
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